専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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10月8日(月)
世のなかは3連休最終日。
小坪地区の報恩講が一段落し、お天気のよい3日間。
今夜は仏教壮年会の例会。
7月座談会、8月納涼会、9月婦人会と共催『ビデオと講演の夕べ』。
今月、久しぶりに通常の例会。そしてお供えしての報恩講。
今日のテーマは、「共命鳥(ぐみょうちょう)」。
先日の広島別院での親鸞聖人750回大遠忌法要・安芸門徒会館落成慶讃法要の記念品にいただいたご門主さまの色紙に書かれた「共命」の文字。
「共命鳥」のことを調べていると、青森のねぶた「鳩摩羅什と共命鳥」に目がとまる。
それから、共命鳥の話をうかがうと、いろんな姿が重なってくる。
どれもどれも、自分が正しい、自分が中心。
台風が来ているときに思うことは、進路がそれて欲しい。
それた方向にいる人もいるのに・・・。
昨日は次男が幼稚園で初めての運動会。
ビデオ片手に応援。
帰ってビデオを見なおすと、映っているのは、よその子そっちのけで自分の子ばかり。
平等、思いやり。
そんな言葉はきれいに忘れて、どこへやら。
そんな自分に気づかせてくれるのが、浄土の鳥、浄土の相、そして阿弥陀仏。
それに気づけば、180度変わることは出来なくても、少しくらい何かが変わるかも。
例会が終わった後、お下がりのお供えをいただく。

今夜はりゅう座流星群が見えるというので、窓を開けて見るのだが、まったく見えず。
明日は朝からおみがき。
みんなできれいに仏具を磨いて、キラキラと輝かせよう。
10月3日(水)
心地よい秋晴れ。
コスモス、彼岸花が咲き、キンモクセイの香りが漂う。
今日お参りした先では、92歳になる女性がベッドで寝たままご縁に。
口からこぼれるお念仏はしっかりと聞かせていただいた。
その女性が今日の最年長なら、最年少は2歳の女の子。
一度、9時半頃伺うと、「娘たちにもご縁に遇わせたいから」といわれ、他所をまわって再び10時過ぎに伺う。
すると、玄関を女の子がお母さんと一緒にお掃除中。
その子は一昨年報恩講でお参りしたとき、生まれて1ヶ月。
お参りに行くまでは大泣きしていたそうだが、お参り中はお母さんに抱かれてスヤスヤと正信偈が子守歌。
そんなことをふと思い出したが、その子が2年も経つと、経本をひろげ、三代そろって一緒にお参り。
親から子、子から孫へ。
稲穂も下がるが、こちらも頭が下がる。
実りあるご縁に感謝。
10月1日(月)
今日から10月。
今朝、久しぶりに広南小学校の読み聞かせに。
2学期は報恩講等の行事と重なるため、参加させていただくのは難しいかなと思いながらも、読み聞かせを通して、こちらもいろんなことを学ばせていただくので、日程とからだと相談しながら。
今日は5年生を担当。
今日読んだのは、『だいじょうぶだよ、ゾウさん』。

ベルギーのローレンス・ブルギニヨン作、ヴァレリー・ダール絵。
日本語訳は、柳田邦男。
その柳田邦男氏が書かれた帯。
想像してみてください。だいじな愛するひとがあの世にいってしまうことを。だれでも、すぐには受けいれられないでしょう。しかし、月日がすぎていくなかで、ひとはいつしか、つらく悲しい別れでも、それを受けいれられるように心が成長するのです。幼いネズミくんは年老いたゾウさんに、「いっちゃいやだ」といいます。しかし、弱ってきたゾウさんを一生懸命ケアするうちに、心が成長して、ゾウさんがゾウの国に渡るつり橋を修理してあげます。そして、「こわがらないで」といって見送るのです。ゾウさんは「だいじょうぶ」といって、渡っていきました。
この物語は、著者が幼いころから死について話してくれた祖母との別れの体験をもとに書いたそうです。いまの時代、家族の病気や死について、子どもは会話のなかにいれてもらえないため、一生のなかでとてもだいじな死について学び、心を成長させる機会を失っています。この絵本は大人にも子どもにもだいじなことを語りかけていると思います。
それにすべてが現れる。
それと、別れたくないという自分中心の思いだったネズミくんが、ゾウさんにとって何が良いことなのかという思いやりのこころを持つことが出来たということに、いろいろと思うところがあるのではないだろうか。
5年生。みんな、静かに聞き入ってくれた。
帰りに5年生の教室前の廊下に、こんな素敵な絵を見つけた。
そして、その向こうに同じ光景。
思わず写真を撮らせていただいた。
帰って衣に着替え、白岳地区の報恩講。
9月30日(日)
今夜は専徳寺にて呉東組法中会。
台風が予想以上に早く進んだため、昼頃には雨もやんだ。
組長会での報告、10月の組内行事等が確認される。
10月は組内行事が目白押し。
10日が聞名講。
12日が呉東組仏教壮年会連盟の研修会。
13日が親鸞聖人讃仰会の仏教講演会。
14日から16日が専徳寺の報恩講。
18日が若婦人連続研修会。
21日がご縁の会。
ご縁の会も、そろそろ準備に。
いろいろと忙しいことではあるが、忙しくなくなったら何もまわらなくなってしまう。
いずれもいずれもご縁。
今夜は中秋の名月。
雲の間から少し顔を出す。
明日は久しぶりの読み聞かせ。
そして、白岳地区の報恩講。
お天気が回復したことが何より。
9月29日(土)
台風17号による天気の心配のあるなか、広島別院でご門主さまご臨席のもと、親鸞聖人750回大遠忌法要・安芸門徒会館落成慶讃法要が営まれた。

昨日・今日の2日間法要は営まれたが、安芸教区全組を2班に分けての日程で、呉東組は本日。
境内に仮設の座席が設けられてはいるものの、人数に限りがあるため、各寺から4名が参拝。
専徳寺からは総代さんに参拝していただいた。
組から選ばれた法要の結衆と列衆が出て、おつとめする。
結衆(けっしゅう)とは、御本尊の左右にある回り畳(まわりじょう)という畳に座っておつとめをする方々で、本願寺の巡讃という資格を持っている方が当たる。
呉東組からは、称名寺さん。
そして、さらにその畳の両脇の余間(よま)と呼ばれるところでおつとめするのが列衆(れっしゅう)。
このたびは、安登の浄念寺さんと私がおつとめさせていただいた。
列衆は最初から最後まで座りっぱなし。
なかなかそれは大変ではあるが、お内陣に響く大きな読経の声は迫力がある。
ご門主さまのご親教では、このたびの東日本大震災、原発の問題に触れられた。
この内容は、宗教倫理学会研究会においてご門主さまが発表されたことに少し重なるのでご紹介。
『仏教タイムス』(2012年7月26日号)
大谷光真(本願寺派門主)が研究発表 宗教倫理学会研究会
核廃棄物は倫理的宗教的に問題東日本大震災の復興支援と原子力エネルギーへの宗教者の対応を考える宗教倫理学会(高田信良会長)の研究会が20日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で開かれ、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主が発表。寺院が復興支援をするにも門信徒らとのつながりを強くする日頃の活動が大事とし、使用済み核燃料の処理方法がない原子力発電について子孫に廃棄物だけ残すのは「倫理的宗教的に問題」と述べた。
「社会の危機に際して、できること―教団、信者、市民」と題して大谷門主は「本願寺住職、本願寺派門主ではありますが、その公的発言ではない、そこには出てこない日頃つぶやいていることをお話し致します」と私的発言と前置きして発表。
寒川旭者『地震の日本史』を挙げ、「まあ、日本は本当に地震が多い国だ」と驚きを表明した上で、東日本大震災が「未曾有の災害」と言われたことに反論。「日本列島が今日成り立つためには人類の時間で計れるような期間ではない、長期にわたって地殻変動が起こってできた島ですから未だかつてあらずなんてあり得ない。ただ私が知らなかった、最近の私たちが知らなかったに過ぎない」とした。
そして日本列島に生きるには「開き直り、諦めをもって生きなければならない」としつつも「あてにならないこの世を生きる生き方も同時に仏教から学びそれによって生きていかねばならない」とし、「避けることはできないが減らすことはできる」と防災意識を高める必要性も述べた。
大震災にもかかわらず昨年4月9日から親鸞聖人750回大遠忌法要を予定通り執行したことについても触れ、「大遠忌はご命日の法要。いわゆるお祝い事ではない。むしろ悲しい辛い出来事を受け止める、遠慮する法要ではない。やろうとする側に立って話をした」と明かした。
同派の震災復興については宗勢調査を基に「門信徒で定年退職して余力のあるような方々にお願いするのが一番可能性が高い」とし、「そのためには日頃からお寺とのつながりがあって、皆で何かしようと意見がまとまるようでないとできない。お寺の平生の活動が関係している」と日頃の活動の重要性を挙げた。
原子力発電にも言及し、自身は20年以上前から「原発は人間の処理能力を超えたものとの認識をもっていた」と言明。
「一番の問題はトイレのないマンション」と使用済み核燃料の処理方法がない点を指摘。「そんなものをどうして許したのか。原発以外で廃棄物を処理する方法がないから溜まる一方でよろしいというものがあるだろうか」と疑問を呈し、「それほど歪んだ発電事業である」とした。
さらに「昔の人は孫の代が使う木を植えた。今の人は自分が使えるものは使って孫にはゴミだけ残して、こういう生き方そのものが私自身にとって非常に辛い」「廃棄物だけ残していくのはとても倫理的宗教的に問題である」と述べた。
野田佳彦首相が「私の責任で」と大飯原発再稼働を決めた件にも言及し、「原発で事故が起こったとしてたとえ現職でも引退する以上の責任はない。辞めていれば申し訳ないということでしかない。こんなことで責任を取ったことになるのか」と批判した。
今回の研究会は同学会が3月から進めてきた「3・11以降の社会と宗教」をテーマにした研究プロジェクトの5回目。本題寺派関係者など百数十人が聴講した。
大変踏み込まれた内容に思えるが、残念ながら現在の新聞では扱ってもらえないことだろう。
そして、記念品としていただいたのが、ご門主さまの書かれた「共命」の色紙。
「共命」は、『阿弥陀経』に説かれている「六鳥」のひとつ「共命之鳥」から頂いたお言葉です。体が一つで頭が二つある共命の鳥は、二つある頭のいづれもが、自らが一番と主張しあい争います。遂に、片方に毒を飲ませて亡きものにします。体が一つですので、食べさせた方も死んでしまいました。それから、共命の鳥は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と泣き続けていると言われます。(色紙説明文より)
大切なのは、気づくこと。
そのことに気づかせていただいた大きなご勝縁。
お天気も崩れることなく、良いご縁に遇わせていただいた。