専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
7月17日(火)
今日も青空の下、石泉文庫虫干し法座。
中国地方は梅雨明けしたと見られるそう。
朝席が終わると、石泉文庫から蔵書を専徳寺へと運ぶ。
広南小学校6年生のみなさんも地域学習でお手伝い。
小坪の子どもたちにとっては、石泉文庫?宇都宮黙霖?かも知れないが、汗だくになりながら本を干すのを手伝ってくれた。
本を干し終わった後、石泉文庫や宇都宮黙霖の話をいろいろと聞いていただくのだが、小学生だけでなく、お手伝いしてくださった地域の御門徒の方々も残って聞いてくださる。
石泉僧叡和上が生まれて250年。
65歳で亡くなり、その30年後にその後の石泉文庫のあり方について、門弟の方々と長浜の御同行で取り決めがなされた。
その一つが虫干し。
以来、この地の皆さんの協力で、ずっと受け継がれている。
200年も昔の本でありながら、きれいな姿で残っているのは、こうした方々のおかげ。
今日、参加した小学生のみなさんも、その輪に加わった。
実際にさわって、いろんなことを感じてほしい。
そして、今日はたくさんの質問もいただいた。
午後3時より干した本を片付け、一切経以外の蔵書を目録と照合。
そして、夜席でいただいたことばは、
仏身円満無背相
このことばは、昨日の夜席でおつとめした『般舟讃』のことば。
中国の善導大師のことばである。
仏身円満無背相 十方来人皆対面
仏身円満にして無背の相なり 十方より来る人、みな対面す。
ほとけさまは背中を向けない。どこから来る人に対しても向かいあう。
私たちは面倒なことには背を向け、出来れば関わらないでおきたいという気持ちを持ったりする。
今、問題になっている”いじめ”もそう。
でも、今日こうしてみんなが虫干しという行事に向き合い、関わった。
ほとけさまのこころを知り、みずからの姿を知らされる。
ようこそのお参りでした。
7月16日(月)
今日も青空の広がる暑い一日。
今夜から石泉文庫虫干し法座がはじまるので、昼からその準備。
本を干すためのロープを本堂に張るのだが、総代・仏教壮年会の会員の男衆が力を出してピンと張る。
この張り方が緩いと、本の重みでだらりと下がってしまう。
なかなかの力仕事。
夜席より法座。
セミの鳴き声の中で、『般舟讃』。
そして、御講師は呉の明圓寺 竹田嘉円師。
いただくのは私。
ご先祖様を大切にするのは、私の命を大切に思うから。
本物を知っている人は、偽物がわかる。
本物を知らないから、偽物かどうかもわからない。
明日は朝席後、石泉文庫から本を運ぶ。
広南小学校6年生も手伝いに。
そのあと、石泉文庫と宇都宮黙霖の話を。
お誘いあわせてお参りを。
7月15日(日)
昨日とは打って変わって、青空のひろがる良いお天気に。
ツクツクボウシも鳴き出した。
やっぱり、昨日のセミは正しかった。
それにしても暑い一日。
今夜は呉東組若手僧侶の勉強会、『我聞会』の例会が当山専徳寺にて。
連休中ではあるが、世の中が休みの日には、寺は法事の予定が入っていたりするため、みんな自坊にいることが多い。
それで、こうした集まりは日曜日の夜が多い。
とは言え、暑いなか、5件の法事とお通夜を終えての例会は、少々厳しいものがある。
今日の『蓮如上人御一代記聞書』の輪読は(127)(128)。
(127)では、仏法のためなら、苦労を苦労と思ってはならないという蓮如上人のことば。
それを聞くと、疲れたなどとは言ってられない。
厳しいながらも良いご縁をいただいたということ。かな?
そして、法話は私が担当。
これまでいろいろ集めてきた絵本を通して、「いのち」についてお話をさせていただいた。
種村エイ子さんの『死を学ぶ子どもたち』を通して知った、「性の授業 死の授業」をされている金森俊朗先生の『いのちの教科書』を読んでいるところ。
この書には、人生わずか十年ほどの子どもたちがからだから発し、自分や友を輝かせる生きた言葉が書かれています。
一つひとつの子どもたちの言葉、表現は、そのときそのとき、仲間や私、そして子どもたちにかかわった多くの人たちを、つなぎ、生かしてくれました。(あとがきより)
子どもの言葉にハッとさせられることも。
「生涯勉強」。
祖母が亡くなる前に遺してくれた最後の言葉を思い出す。
7月14日(土)
今日は朝から大雨・洪水警報が呉市でも発令。
そのため、長浜こども連合会主催のイベントも中止に。
このあたりでは雨はそれほど降っていないが、これまでの雨の影響が心配。
九州地方では、「これまでに経験したことのないような大雨」により、大変な状況になっていると聞く。
このたびの九州地方の被災されたみなさまには、こころよりお見舞い申し上げます。
こんな状況が続くと、いつになったらやむのだろう。本当にやむのだろうか。
と、いろいろと心配がひろがる。
そんななか、今朝境内で、今年初めてセミの声を聞く。
私たちはいろいろと心配しているが、セミの世界ではもう大丈夫と土の中から出てきている。
長い土のなかでの生活から出てきたセミは、限られた時間を精一杯生きる。
そのセミが正しいものと思いたい。
梅雨明けもそろそろかなと。