専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
12月13日(火)
今日は午前中、長浜胡子地区の報恩講。
これで長浜地区は個別の数件を残すのみ。
今年は9月のお彼岸前からはじめた報恩講参りも何とか一段落を迎えそう。
今夜は呉東組の忘年会。
今年もいろいろと組内行事があり、お互いにその一年の労をねぎらう会である。
昨日、今年を表す漢字一文字が、毎年恒例の清水寺貫首さんの手により「絆」と表された。
「絆」とは、元々犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことをいい、そこから家族や友人など人と人とを離れがたくしている結びつきを「絆」というようになったのだそう。
忘年会といいながら、なかなか「忘」とはいかないもの。
特に今年は大きな出来事がたくさんあった。
忘れることのないよう、こころに繋ぎとめておきたい。
輪袈裟につけた『願』のバッジを見るたびにそれを思う。
12月10日(土)
今夜は皆既月食。
専徳寺境内の親鸞聖人像の前で約2時間、ダウンジャケットに手袋・マフラーと防寒対策をしっかりして鑑賞。
カメラで皆既月食の模様を撮影しようと試みるも、うまくいかず。
そこで、ビデオで撮影して静止画保存することに。
欠けた瞬間、雲に覆われてしばらく見えなくなる。
また戻っていく様子を見ようと思ったが、再び雲隠れ。
今年は各地で天変地異。
大変な一年であったが、最後は皆既月食で締めくくり。
きれいな星空と皆既月食を眺めながら、
月影の至らぬ里はなけれども 眺むる人のこころにぞ住む
法然聖人の歌がふと心に浮かぶ。
親鸞聖人750回大遠忌、法然聖人800回大遠忌の年にまたひとつ不思議な御縁をいただいた。
12月10日(土)
今日は昼から善通寺の報恩講御満座に。
毎年この日に、広の町田・塩焼・徳丸地区の報恩講を勤める。
以前は善通寺でお斎が用意されていたので、それまでに勤めるようにしていたが、数年前から広地区寺院の申し合わせで、お斎はしないこととなった。
それでも、その頃の名残で、この地区の報恩講はこの日。
専徳寺の報恩講は、世話係の方へお願いをして日程を各家庭に知らせていただき、お参りさせていただいている。
世話係のいない地域でも、専徳寺門徒のお宅がかたまっている地域にはハガキで案内をしてお参り。
それ以外の方は、電話等で報恩講の依頼をされたお宅にお参りさせていただくことになっている。
今日はそんなことで、広地区以外に依頼のあった郷原と仁方のお宅にも報恩講参りに。
善通寺の報恩講では、導師を勤めさせていただく。
善通寺の七条袈裟を着け、広の真光寺・郷原の浄光寺の御住職と一緒に、正信偈第二種の法要。
今夜は皆既月食。
晴れてはいるが、寒い夜となりそうだ。
12月8日(木)
今夜は今年最後の仏教壮年会の例会。
今年最後ということもあり、今年のいろんなことを振り返りながら話をさせていただいた。
「安穏のともしび」にはじまり、「願」のバッジ、先日の落語会等、今年は「願」と「縁」をテーマに動いてきたこと。
そして、このブログのことも話した。
今のお寺は「葬式仏教」といわれている。
外から見える姿は葬式と法事くらいだろう。
これだけ情報化社会といわれながらも、なかなかお寺の実態が見えてこないということに問題があるような気がした。
また、昨年「無縁社会」ということばが生まれた。
今日は12月8日成道会。
お釈迦さまが悟りを開かれた日。
お釈迦さまは悟りを開かれ、すべてのことは縁によって起こっていると「縁起(因縁生起)」の教えを説かれた。
そのことに気づく御縁がないから、「無縁」ということばが生まれてくる。
そこで、葬式と法事のことをほとんど記すことなく、お寺としてどれだけのことを記すことが出来るだろう。
そんなことから、このブログをスタート。
先日お参り先で、
「携帯電話で息子にブログを見せていただきました。」
と。
家のなかでお寺のことが話題になれば、次の世代に御縁がつながっていく。
750回大遠忌を迎え、次の800回を迎える世代に。
どこまで続くか分からないが、とりあえず出来ることから一歩ずつ。