ねこのはなし


「ねこ」って、昔話の中ではあんまりいい扱いがされてないみたいですネ。
お釈迦さまが亡くなったのは薬を取ろうとしたネズミを食べちゃったから。
お釈迦さまが亡くなったときに、ネコだけが笑ってたから・・・。

でも、「ねこ」って、お寺とは切っても切れない仲なんです。

私たちがいつも目にしているネコたち。
このネコたち(ツシマヤマネコ・イリオモテヤマネコといったヤマネコを除いて)は、もともと日本にいたわけじゃないんです。

このネコたちが日本に登場するのは、奈良時代。

中国から日本に仏教が伝わってきたとき、船の中の大切な経典がネズミにかじられないようにと、いっしょに連れて来られ、そのまま居着いてしまったんだそうです。

江戸時代に田中仲宣の書いた『愚雑俎』の中にも、
大船には鼠多くあるものなり。往古仏教の舶来せし時、船中の鼠を防がん為に猫を乗せてくることあり。
と記されています。
また、鎌倉時代には、金沢文庫の本を守るため、中国から良いネコを輸入したんだそうです。(そのネコたちは、近世まで「金沢猫」とよばれていたとか。)

それから、「まねきねこ」のはなし。


 江戸時代、世田谷に弘徳庵というお寺がありました。
 壁がくずれ、雨もりするようなそのお寺に、天極秀道という和尚と、一匹の年老いた「たま」というネコが暮らしていました。

 ある日のこと、秀道和尚がひなたぼっこをしているたまに、

  「本堂の修理もせにゃならんが、どうしたもんかのう。」

と話しかけました。
 その言葉がわかったのか、たまはそれから門前に座ってキョロキョロ人をながめては、お寺に寄進をしてくれそうな人をさがして、手招きしてたそうです。

 そんなある日、門前を数人の武士が馬に乗って通りかかりました。それを見たたまはいつものように片手をあげて手招きをはじめました。

 それを見た武士が、

 「おのれ! ネコの分際で、若殿を手招きするとは!」

と、たまに切りかかろうとしました。

 それを見ていた若殿が、

 「待てっ! ネコの身でありながら私を招くとは面白い。立ち寄っていこう。」

と、そのお寺で一休みしていくことにしました。

 荒れ果てたお寺で、出すお茶もなく、白湯(さゆ)を飲みながら、若殿と和尚が話をしていると、急にあたりが暗くなり、雷がなったかと思うと、どしゃぶりの雨がふりだしました。

 「ほおー。あのネコはこうなると知って、私を招いたのか。」

 雨で帰れなくなった若殿は、しばらく和尚の法話を聞いておりました。
 そして、雨がやむ頃には、すっかり若殿は和尚の話にひかれ、

 「わたしがいつか領主となったときに、この寺をもりたてようぞ!」

と約束して去りました。

 この若殿が三代将軍家光より彦根領をたまわった井伊直孝。
 直孝は、その約束を守り、寺に寄進し、見違えるような立派な寺となりました。

 そして、直孝が亡くなったときにその法名を取って「豪徳寺」と改め、それもたまが招いたおかげということで、その徳を讃えるために、左甚五郎にたまの招く姿を彫らせたのが、招き猫のはじまりだそうです。

それ以来、お寺を立派にしたたまにあやかって、福を招く、客を招くと「招き猫」が置かれるようになったわけです。
でも、本当はお寺にまねく招き猫だったんですけどネ・・・。

【参考】
 『イヌ・ネコ・ネズミ』
  戸川幸夫著
 中公新書


2000/02/15