2月2日(木)
今日は大変寒い一日だった。
叔父(前住職の弟)が一昨日亡くなり、昨夜お通夜、今日お葬式が専徳寺本堂にて営まれ、導師を勤めさせていただいた。
晩年は専徳寺総代、仏教壮年会でもいろいろと専徳寺の活動にご尽力いただき、その最後を見送らせていただく。
ただ、僧侶として、何が出来るというわけでもない。
僧侶として出来ることは、ただお経を読み、お念仏をとなえるのみ。
しかも、それは亡くなった叔父のために読経したり、念仏をとなえるのではない。
叔父にいただいたご縁を通し、御本尊の前でほめたたえる。
『吉本隆明が語る親鸞』のなかに、
『三帖和讃』は「和語の教行信証」とも呼ばれ、親鸞が称えた教義をより多くの人が体得していく大きな手助けとなってきたことだろう。その一方で、和讃を「労働歌」として授かった民衆は、日々の暮らしのなかで我知らず口ずさみ続け、いつしか、自然と教義を身に沁み込ませていったはずだ。その意味において和讃は、日本の賛美歌であると同時に、ブルースであるといっても過言ではないかもしれない。
と述べているが、私も読経とは、ある意味ソウルミュージックに通じると以前から思っている。
ソウルミュージックとは、感情(魂)のこもった音楽。
如来よりいただいた願いに対し、こころからそのよろこびを声に表すわけであるから、自分の持っている最大限の力を出さなければ。
昨夜も今日も非常に空気が冷たく、内陣から吹き込んでくる冷気は、まるで冷蔵庫の扉を開けて、その前でお経を読んでいるかのよう。
喉は乾燥し、声が出しづらい状況ではあったが、自分なりに精一杯の読経はさせていただいた。
読経は、意味の分からない呪文のようなものだという声も聞く。
だからといって、それを現代語訳にしたものをただ読めば良いかといえば、そうではない。
それは相手に読み聞かせるためのものではなく、私のこころのあらわれであるから。
丁寧にこころをこめて仏徳讃嘆。
親鸞聖人が流罪に処せられるきっかけとなったのも、後鳥羽上皇の女官 鈴虫・松虫の出家。
住蓮房・安楽房の『礼讃』の声に惹かれたためともいわれる。
読経をどのように受けとめてくださっているかは分からないが、お念仏をとなえる助け、ご縁となれば幸いである。
お寒いなか、ようこそお参りくださいました。