8月21日(木)
今日も暑い。。。
朝席1席限りの盂蘭盆会。
このたびのご縁は、先日ぶろぐでも紹介した『御文章』2帖目12通より。
それ、人間の五十年をかんがへみるに、四王天といへる天の一日一夜にあひあたれり。またこの四王天の五十年をもつて、等活地獄の一日一夜とするなり。これによりて、みなひとの地獄におちて苦を受けんことをばなにともおもはず、また浄土へまゐりて無上の楽を受けんことをも分別せずして、いたづらにあかし、むなしく月日を送りて、さらにわが身の一心をも決定する分もしかしかともなく、また一巻の聖教をまなこにあててみることもなく、一句の法門をいひて門徒を勧化する義もなし。ただ朝夕は、ひまをねらひて、枕をともとして眠り臥せらんこと、まことにもつてあさましき次第にあらずや。しづかに思案をめぐらすべきものなり。このゆゑに今日今時よりして、不法懈怠にあらんひとびとは、いよいよ信心を決定して真実報土の往生をとげんとおもはんひとこそ、まことにその身の徳ともなるべし。これまた自行化他の道理にかなへりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
時に文明第六、六月中の二日、あまりの炎天の暑さに、これを筆にまかせて書きしるしをはりぬ。
織田信長で知られる「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」は、幸若舞「敦盛」の一節。
「人間五十年」は、当時の平均寿命という説を聞いたことがあったが、そうではなく、人間の50年が下天(四王天)の一日一夜に当たるということ。そして、その下天の50年が等活地獄の一日一夜。
毎日「いつまでこの暑さが続くのだろう。。。」とついつい思ってしまうけれど、地獄に比べたらほんの一瞬という話から、炎天の暑さをご縁にお念仏。
ようこそのお参りでした。
後片付けをし、足袋を脱ごうとしたら、
ショック。。。
本麻製の足袋は弱いかも。。。