お釈迦さまの御誕生日

4月8日(水)

スーパームーン、桜は満開。
今日は4月8日、花まつり。

でも、昨日7都府県に非常事態宣言。。。

本来なら今日は仏教壮年会の総会。
仏教壮年会は先月の例会から中止。
長浜日曜学校も先月の修了式に続いて4月も休校。
花まつりの絵を募集してキットカットを作るのもストップ。

天上天下唯我独尊
生まれてきたいのちはみんな尊い
そのいのちをともに生きよう

ふと、このことばから共命鳥を思い出し、久しぶりにピースおりがみで折ってみた。

こんな時だからこそ、〈ともに〉

熱風

2月25日(火)

今日2月25日は、「ひざ関節の日」だそう。

そんな日に、初めて膝サポーターを着けることに。。。

老眼鏡に膝サポーター、そして忘れっぽくなってるので、電子メモをいつでも側に。。。

年をとると 見えるものが見えなくなってくる
でも 年をとると 見えなかったものが見えてくる

何でこんな風に?って思っていたことが、そうだよねぇっと。

悲観することもなく、とにかく今を受け容れていこうと。

今日、1冊の本が届いた。

『熱風』2009年4月号 特集『親鸞』。

この冊子のことは、一昨年の8月に専徳ねっとInstagramに

と投稿。
その時、いろいろ探したけれども、結局何も見つからず。。。
でも、先日ふとしたことから検索したら、何と!
300円(送料550円)で中古で。
時々、ふり返ることも大事かも。

 浄土真宗の開祖で鎌倉時代の僧、親鸞が注目を集めている。作家・五木寛之氏が「親鸞」を新聞連載する一方、親鸞の教えを通して人間の生き方を考えるフォーラムが東京で開催され、耳目を集めていたりもする。
 親鸞の生きた13世紀は、天候不順、大地震などで世の中が混乱し人々が「末法の世」と嘆いた時代である。その時代と、昨今の地球温暖化による気候不順、さらには世界的経済大不況、それに端を発する人員削減問題などを重ねあわせると、現代もまた末法の世であるといえるかもしれない。そして、その混迷の時代に生きる私たちが、心の深い部分で「よすが」を求め、それを親鸞に求めているのかもしれない。
 では、そもそも親鸞の教えとはどんなものなのだろうか。親鸞の思想の核にあるものはどんな考え方なのだろう、そしてそれが現代の何と共鳴しているか。5人の方に原稿をお願いした。

との序文があって続く。

2009年、親鸞聖人750回大遠忌を前に五木寛之氏の『親鸞』が新聞に連載され、前年2008年には青木新門氏の『納棺夫日記』よりインスパイアされた第81回アカデミー賞外国語映画賞の『おくりびと』。

「よすが」。心のよりどころ。

今だからこそ、そうかも。

本文はゆっくり読むとして、表紙のアニメーター橋本晋治氏の親鸞聖人。
いいですね。

 

 

 

涅槃会

2月15日(土)

今日は涅槃会。
お釈迦さまのご命日。

涅槃会
 旧暦二月十五日は、お釈迦さまの命日「涅槃会」である。この日は「お釈迦さんのはなくそ」または「おいりはなくそ」と呼ぶ菓子をつくって仏前に供え、子どもたちに配る風習がある。名前を聞いただけでは何か見当もつかないが、米や豆を炒ってあめをからませたお菓子で、子どもたちは楽しみに待っている。まことにひょうきんで、安芸門徒の人たちの仏さまへの親しみが感じられる呼び名である。

●お釈迦さんのはなくそ
 あられや大豆、干し飯などを香ばしく炒っておく。砂糖と水を煮詰めた中に水あめを入れて蜜をつくり、炒った材料をからめる。これを熱いうちに手で一口大に丸めて固める。
 餅米の玄米をほうろくで炒って花のように開かせて蜜に混ぜる家もあり、黒砂糖を煮溶かした蜜でからめる場合もある。みなそれぞれに甘くて美味しい。
      (『聞き書 広島の食事』農文協 広島湾沿岸の食 93頁より)

広島湾沿岸部でも、「はなくそ」の伝わっているところもあるみたい。
このあたりでは、聞いたことがないのだけれど。。。

「はなくそ」とは、「花供御」が訛ったものだそうで、京都でも「はなくそ」がお菓子がお供えされ、配られるそう。

それから、信州の「やしょうま」が気になって、本をお取り寄せ。

『信州 やしょうま レシピ帖』 松本博子 しなのき書房

「映え」る、やしょうま。
天然素材の著色にこだわって、見て楽しく、食べておいしい、誰でも安心して食べられる“やしょうま”だそう。

いつまでも受け継がれますように。

南無釈迦牟尼仏
南無阿弥陀仏

 

 

花まつりに向けて

2月13日(木)

先週末、お隣の住蓮寺で開かれた長浜日曜学校で、「花まつりの絵」募集のチラシを配っていただいた。

ここ数年、花まつりの絵をキットカットに。
その前はチロルチョコの包み紙。

お釈迦さまのお誕生をお祝いして、子どもたちが笑顔になれる何かを。

 

先日、ネットで見つけた商品が届いた。

フェリシモおてらぶの「しゃかしゃか花舞う 花まつりスノードーム」。

 
 
 
 
 
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花まつりに向けて。 #花まつり

浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿 –

ブログに掲載された商品誕生までの話に、「花まつりを祝うグッズがない!!」と。(⇒フェリシモおてらぶ

もっと楽しく、もっと仏教にご縁が出来たらと。

 

それと、見つけたのが、三条獅子さんのねこ如来(ガチャ)


「天上天下唯我独尊」

そのシリーズで、


「仔猫如来」

こちらは、右手に施無畏印、左手に与願印を結んだお釈迦さま。
このお姿は、お釈迦さまが「心配いらないからね。何でもお聞きしますよ」とやさしく迎えてくださっている。


「おやすみ仏」

こちらは、お釈迦さまがお亡くなりになった時の涅槃像(頭北面西右脇臥)。
お釈迦さまは亡くなられる前に、「自灯明 法灯明」のお話をされたそう。
自らをともしびとし、自らをよりどころとしなさい。
法をともしびとし、法をよりどころとしなさい。
と。


「ふりむき如来」

こちらは、京都東山、紅葉の名所としても知られる永観堂の見返り阿弥陀
永観が阿弥陀さまのまわりを念仏行道していると、阿弥陀さまが下りてこられて先導された。呆気にとられて立ち尽くしていると、阿弥陀さまが「永観おそし」とふり返られたとか。


「あふろ如来」

こちらは、ふざけてるのではありません。
五劫思惟阿弥陀仏。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。(歎異抄)

阿弥陀さまは五劫という長い長い間、私を救うためにずっと思惟してくださった。
それがどれだけ長かったかというお姿。

 

2月15日は涅槃会。
北陸では「涅槃団子」、信州では「やしょうま」。
そして、京都では「花供御(はなくそ)」。

いずれもいずれも、よいご縁となりますよう。

親鸞全挿画集

2月1日(金)

中国新聞に連載されていた五木寛之さんの『親鸞』。

その挿絵をずっと描かれていたのが山口晃さん。

その『親鸞全挿画集』がこのたび出版され、今日手元に。

届いてびっくり。

約700ページもあって、分厚いこと。

見応えあり。

本願寺の日曜講演(2月3日)に「『山口晃 親鸞 全挿画集』が出来るまで」と題して、山口晃さんの講演があるとか。(⇒お西さんHP

ここのところ、いろいろと忙しく、なかなかゆっくり本を読むこともできないのだが、2月に入るとちょっと読書の時間もとれるといいなと、いろいろといくつか本を購入。

そのなかの1冊が、『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』(向谷 匡史 著)

何と!
作者は呉市出身で、本願寺派僧侶。

これも何かのご縁かなと。

棟方志功と熊野筆

11月10日(日)

今日は広島県知事と呉市長のダブル選挙。

朝から雨が降ったりやんだり。

 

今日まで開催された熊野の筆の里工房『棟方志功と熊野筆』展に昨日訪れた。

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青森県出身の棟方志功

浄土真宗との出遇いは、戦争時の疎開先、富山県だったそう。

 

以前、四国出身の方で、戦争時海軍工廠に勤めるため、津久茂に住んでいたという方から話を聞いたことがある。

引っ越してきて、隣近所にあいさつをしてまわると、どの家庭に行っても、いただいたものをすぐにお仏壇にお供えする姿に驚きましたと。

 

真宗王国といわれる富山で浄土真宗に出遇った棟方志功も、お念仏のなかに生かされている方々の姿に出遇ったのかなぁと思いながら、昨日購入して帰った図録をじっくりと。

 

 まえまえ、わたくしも板画をはじめたころは、版という字を使っていたんだが、板画の心がわかってからはやっぱり、板画というものは板の生まれた性質を大事に扱わなければならない、木の魂というものをじかに生みださなければダメだと思いましてね。

 ほかの人たちの版画とは別な性質から生まれていかなければいけない。板の声を聞くというのが、板という字を使うことにしたわけなんです。

    (「棟方志功と熊野筆」図録所載 志功の言葉より)

原爆の日

8月6日(火)

朝、境内に一輪の白百合が咲いた。

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昭和20年8月6日午前8時15分。

広島市に原爆が投下されたあの日から68年。

 

今年も8時15分に梵鐘を撞く。

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今年も長男が。

先日の日曜学校の平和学習に参加したので、去年とは少し違った思いで撞いただろうか。

 

その後、家族揃って本堂でおつとめ。

 

私も当時のことは伝え聞くだけだが、伝え聞くこともなくなったら、あの戦争も・・・。

 

お盆のことをいろいろと調べていて、『盆まねき』という本に出会った。

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 俊助おじさんは一九四五年に一度死んでしまいましたが、のこされた家族の心のなかでずっと生きつづけていたのです。でも、やがて、おじさんをおぼえている人がいなくなり、みんなからすっかりわすれられたとき、俊助おじさんは、こんどこそほんとうに、この世から消えてなくなってしまうでしょう。
 戦争で命を落としたおじさんを、もう一度死なせたくなかったわたしは、俊助おじさんという人がいたことを、そして、おじさんを愛する家族がいて、その人たちは戦争がおわってからもずっと、大切な人をうしなったすきまを胸にかかえて、善良に、ほがらかに、一生懸命生きていたのだということを書いておきたいと思いました。この物語はわたしの家族の物語ですが、あの大きな戦争のあとには、日本中に、いえ、世界中に、こんな家族がたくさんいただろうと思います。

今日は特別養護老人ホームにて、お盆を前にこの1年間に亡くなられた入居者の方々の追悼法要をおつとめさせていただいた。

ご遺族、ホームに入居されている方、職員と、いろんな方がそれぞれに故人を偲びながらのご縁に。

 
 

お盆。

 

浄土真宗の御法義からすれば、施餓鬼もなければ、精霊もない。

ただ、先に往かれた方々を偲び、ご縁にあう。

平生が難しければ、せめてお盆、お彼岸に。

 

伝承

7月22日(月)

午後から贈答用のハムを求めて安浦へ。

 

聞いたことはあったが、先日ギフトセットをいただいて、初めてその店のハムを美味しくいただいた。

それで、子どもたちも連れて、一緒にお店を訪問。

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駐車場から田んぼのほとりを通ってお店に。

ご主人からいろいろとお話を聞かせていただきながら、上に吊してあったずいぶん年季の入ったハムに目がとまる。

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すると、ご主人が惜しげもなくそれを下ろして、「切りたてが一番おいしいから」と、切りたての生ハムを試食させてくださる。

 

それを1枚頬ばった5歳の次男がひとこと、

「おいしいじゃん!」

手をかけ、ドイツ仕込みの味をここで伝えたいというご主人のハム。

好き嫌いのはっきりしている次男の口から「おいしい」と。

 

手間暇かけた美味しい伝統の味がずっと伝わると良いな。

 

帰りに田んぼのほとりを歩くたび、ピョンピョンと何やら田んぼの中に。

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よく見ると、小さなトノサマガエルがいっぱい。

そのあとを、今度はニョロニョロ。

ヘビが追いかける。

 

こんなに生き生きとした田んぼがあるってことは、良い環境が伝わっているのかな。

 

こちらも手間暇かけたお米作り。

 

今日は土用の丑の日。

朝から下の魚屋さんからうなぎを焼く香ばしいにおいが漂ってくる。

でも、日本のウナギは絶滅に瀕しているとか。

 

何事も伝えるもの、承けるものがいるうちに。

 

布袋葵とキリギリス

7月21日(日)

今日は参議院選挙の日。

今朝、玄関前のビオトープのホテアオイに花が咲いた。

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ホテイアオイ、漢字では「布袋葵」。

布袋って、七福神にも入っている袋(堪忍袋)を持って、デップリしたお腹を出して、ガハハと笑っているイメージの布袋さん。これが、中国では弥勒菩薩として祀られている。

弥勒菩薩といったら、太秦広隆寺の国宝第1号、弥勒菩薩半跏思惟像を思い浮かべるのだが、どうも布袋さんのイメージ・・・。

 

また、ホテイアオイを調べてみると、よその国では「青い悪魔」と呼ばれているのだそう。

 

昨日、本堂の石灯籠に何か気配を感じ、近寄ってみたら、

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そこにはキリギリスが。

それを見ながら、イソップの『アリとキリギリス』って最後はどんな結末だったかな?と思って調べてみると、・・・。

 

結末は大きく分けて2通りあるのだそう。

1つは、冬になり、夏場一生懸命働いていたアリに見捨てられ、餓死してしまった。

もう1つは、冬になり、困っているとき、夏場笑ってみていたアリから情けを受け、食べものを分けてもらって心を入れ替えたという話。

 

これにもいろいろと見方があるみたいだが、へ~っと、そこからいろんなことを思ってしまう。

 

政治の世界も、見方によっていろいろ違うのだろうが、お寺にとっては仏さまの教え、お念仏が伝わる世界が一番。

「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」

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福島の里子、ひまわりはすくすく育ってる。

 

分陀利華

7月9日(火)

梅雨明けし、暑い暑い夏へと突入。

今朝、境内の白い蓮、“姫白蓮”がきれいに咲いた。

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小柄ながらも、とても清楚な蓮。

 

正信偈を読むとき、1ヶ所だけ、

是人名分陀利華 - 弥陀仏本願念仏

と続けて読むところがある。

この分陀利華(ふんだりけ)とは、インドのことば、“プンダーリカ”の音写。

意味は白蓮華、白いハスの花を指すのだと。

 
 

親鸞聖人が『教行信証』に『維摩経』のことばを引いて、

 

〈淤泥華(おでいけ)〉とは、『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。

 

蓮の花は高原のすがすがしいところに咲くのではなく、ドロッと、ヌメッとした泥のなかから咲くのだとお書きになっている。

 

こんな暑い暑い最中だからこそ、この清々しい蓮をより美しいと感じるのかな。

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ただ、あんまり暑いので、さすがに葉っぱの傘さして。

熱中症にはご用心。

明日は阿賀の称名寺にて聞名講。