仏教壮年会法座 3日目  成寿園訪問

11月20日(水)

朝席で今年最後の法座が御満座。

この時期はちょうどおつとめしている最中に、ご本尊の正面から朝陽が差し込んで、お内陣がかがやく。

寒いけれども、この光はこの時期しか味わえないかな。

 

朝席では、光のはたらきとして【破闇】【調熟】【摂取】の話を聞かせていただく。

 

法座が終わり、午前中は報恩講参り。
そして、午後から特別養護老人ホーム成寿園へ。

呉東組仏教婦人会連盟20単位が順番に、奇数月は成寿園、偶数月は延寿荘で法話会を開催。

今月は専徳寺仏教婦人会が担当で、婦人会の方々と一緒に成寿園へ。

 

正信偈をおつとめし、法話。 

昨日の法座で「恩」の話を聞かせていただいた。

「恩」とは“なされたことを知る”と。

 

“なされたことを知る”ってことは、因(原因)を心(知る)ってこと?と思って調べてみると、まったく違っていた。

「因」とは、「□」は布団(敷物)、「大」は人。
つまり、布団(敷物)の上で寝ている人を表しているのだと。

布団の上で毎日当たり前のように大の字になってぐっすり寝ているけれど、よくよく考えてみると、布団がなかったら、次の日身体が痛くって仕方がないし、ぐっすり寝ることさえ出来ない。

当たり前のように布団で寝れるって何とありがたいことか。

それで感謝の「心」がそこに。

 

また、『日本書紀』等では、「恩」を「めぐみ」と読んでいたそう。

「めぐみ」の語源は芽ぐみ。

冬に眠っていた草木が、春の陽気に育まれ目覚めることに由来するのだと。

 

そんなことから話を・・・。 

 

法話の後は、婦人会の方が着物姿で踊りを披露され、拍手喝采。

Cimg0943_r

ようこそのお参りでした。

2013年11月20日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会法座 2日目

11月19日(火)

昨日に引き続いて仏教壮年会法座。

朝席が終わると、呉市中通の専徳寺の報恩講へ。

今年も導師としておつとめさせていただき、

Cimg0941_r

ご門徒さんがご用意してくださったお斎をお持ち帰り。

 

法座の昼席では、カルネアデスの舟板という話を聞かせていただいた。

Cimg0942_r 

私たちの生きている世界の正義(せいぎ)とは?

対立は、どちらもが「正義」だと主張するところから始まる。

いつの時代においても、どこから見ても正しいことって、何て難しいことなんだろう。

 

先月亡くなられたやなせたかしさんは、本当の「正義」とは悪いやつをやっつけることではなく、お腹のすいた子どもにパンをわけ与えることだと言われていたけれど・・・。

 

夜席では、このたびのご讃題『讃仏偈』のお話から、「恩」の話を。

「恩」とは、パーリ語の“カタンニュー”。

カタンニューとは、“なされたことを知る”という意味だそう。

 

一つ一つのことを考えてみると、どれもこれも、どれだけのご縁が整って今目の前にあるのかと・・・。

そんなことを知るから、感謝の気持ちを。

 

明日の朝席で御満座。

暖かくしてお参りを。

ようこそのお参りでした。

2013年11月19日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会法座 1日目

11月18日(月)

今夜から今年最後の法座、仏教壮年会法座。

寒くなってきたので、今シーズン初めてストーブを。

Cimg0936_r

このタイプのストーブ4台と4つの天井扇風機を緩やかに回して暖を取る。

 

このたびの御講師は呉東組副組長でもあり、いろいろお世話になっている阿賀の寶徳寺 平原弘史師。

Cimg0935_1_r

 

それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。

と、親鸞聖人は『大無量寿経』が“真実”だと顕された。

ただ、さとりの世界の“真実”はひとつであっても、迷いの世界の“真実”はというと・・・。

 

そんな話を聞かせていただきながら、最近流行の(?)「誤表示」ということばを思い浮かべる。

それが「誤」なのか「偽」なのか、それは別として、果たしてホンモノ(真実)って?

一流ホテルのレストランで「○○産○○エビの○○」だといって、きれいな器に盛られて出て来ると、よほどのことがない限り、「プリプリしてて、さすが・・・」なんて何の疑いもなく食べてしまう。

「世間虚仮、唯仏是真」

改めてこのことばを。

 

明日は冷え込むそう。暖かくしてお参りを。

ようこそのお参りでした。

2013年11月18日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

報恩講法要 2日目

10月15日(火)

台風が心配されたが、こちらへはそれほど影響はなさそう。
ただ、進路に当たっている方にとっては大変。

報恩講法要2日目。

朝席が終わると、明日のお斎の準備が始まる。

Cimg2270_r

夜までかかって用意される煮染め。

Cimg2289_r

明日はこんなふうにパック詰めされ、大きな塩むすび2個と一緒に850から900食分が作られる。

 

ご法話を聞かせていただきながら、随分昔のことをふと思い出す。

Cimg2274_r

朝席で聞かせていただいた大原問答の勝林院。

20数年も前、大学に入った年の秋、紅葉の大原を初めて訪れた。

ヘルメットが義務化されていなかった頃の原付バイクに乗って。

3時をまわると団体客がどんどんいなくなり、人のまばらな勝林院の境内で西日に照らされた紅葉がきれいだったこと。

11011986

ただ、日の暮れた大原からの帰り道は寒かった。

ヘルメットもなかったので、凍えそうになりながら・・・。

 

夜席はお聴聞した長男が、「ナマステ」の意味が分かった!と嬉しそう。

 

ただ、この「ナマステ」にも一つの思い出が。

同じく20数年も前、インドの仏跡を旅した時、『註釈版聖典』の表紙にもなっているポカラを訪れた。

早朝からホテルのベランダに上がり、朝日が山をピンク色に染めていくところを見ていた。

0424

同じホテルに泊まっていた台湾からのツアーのガイドさんが、日本語が少し話せるようで、たどたどしい日本語で話をしてくださった。

そのなかで、

あのことば、「ナマケモノ」っていいですね。

といわれ、こちらは「・・・」。

すると、手を合わせて「ナマケモノ」と。

それで、やっと「ナマステ」のこと??と。

笑っては失礼と思い、「ナマステですね?」と聞くと、「そう!」と。

 

たわいもないことではあるが、忘れていることでも、こうしてご縁を通していろんなことを思い出す。

 

明日は昼席で御満座。

お誘いあわせてお参りを。

2013年10月15日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

報恩講法要 1日目

10月14日(月)

世のなかは3連休。

昨日は次男の幼稚園の運動会があり、開会式とそのあとの“かけっこ”だけ応援して、大急ぎで着替えて法事へ。

慌ただしいまま、今夜より報恩講法要。

 

このたびの御講師は、愛媛県大三島万福寺の浅野執持 師。

初めてのご縁にあわせていただく。

Img024

一年前に御講師の書かれた『絵ものがたり 正信偈』を求める。

広島へもご縁のある方と知り、報恩講の講師をお頼みしたら、こころよく引き受けてくださった。

 

今夜はその「正信念仏偈」についてお聞かせいただく。

Cimg2267_r
 

“レフェリー”と“アンパイア”の違いを聞き、なるほど・・・と。

 

明日から天気が下り坂の予報。

くれぐれも体調に気をつけ、お誘いあわせてお参りを。

Cimg2268_r
 

2013年10月14日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 3日目

9月26日(木)

秋季彼岸会も朝席で御満座。

 

法座が終わり、11時より父の満中陰法要。

Cimg2069_r

そして、夜は浄徳寺にて我聞会の例会。

 

輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(150)(151)。

法話は、どうして法事をするのか?という質問にどう答えるか。

 

朝から晩までいろいろと盛りだくさんのご縁のなかで、今日の法座の「こころのスイッチをONにする」のことばを思い出す。

とある“きっかけ”で気づかされること、涙を流すこと、いろいろ。
その“きっかけ”がお聴聞させていただくご縁のなかに。

 

明日からいよいよ報恩講参り。

2013年9月26日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 2日目

9月25日(水)

昨日に引き続き、秋季彼岸会法座。

Cimg2063_r

ゆるぎない本物(真実)に出遇うことの大切さを聞かせていただいた。

子どもから「死んだらどうなるの?」という問いに、誤魔化すことなく、マンマンちゃん(仏)となって、マンマンちゃんの国(浄土)に生まれるんだよと答えられたことが嬉しかったとのお話を、こころにいただいた。

本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし
          (高僧和讃)

 

寺報の手配も大体完了。
総代さんから世話係。世話係のみなさんから御門徒のみなさんへと届けていただくことに。

 

夜席も終わって一段落して、広島カープが16年ぶりのAクラス、クライマックスシリーズ参戦が決まったとの一報。

気のせいか、少し疲れが和らいだ。

 

夜は庭から虫の声が。

今日は本堂に見たことのない虫を発見。

Cimg2060_r

アオマツムシ」と呼ばれる虫だそう。

明治時代に中国大陸より帰化した虫で、マツムシとは全然違う。
「アオゴキブリ」とも呼ばれるそうだが、見た目は確かに・・・。

世のなかにはまだまだいっぱい知らないことがある。

時には知らなくても良いこともあるけど、知らないことがあると知るのも大切かな。

 

明日の朝席で御満座。
お誘いあわせてお参りを。

 

2013年9月25日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 1日目

9月24日(火)

昨日が彼岸の中日。

そして、今晩から秋季彼岸会の法座。

Cimg2056_r

このたびの御講師は、島根県光善寺の波北 顕 師。

平成7年に本願寺の安居事務所へ書記として初めて従事させていただいた時、事務所で2週間、席を並べてご一緒させていただいた。

それから長い時を経て、このたび御講師として久しぶりにお会いさせていただくことに。

Cimg2059_r

今席は、世界遺産“石見銀山”の灯りにまつわる話から、三毒の煩悩についてお話を聞かせていただいた。

何とも身につまされるお話。

 

また、今日『念佛日和』秋号が出来上がった。

20130924_4

近々、世話係のみなさんにご協力いただいて、報恩講のごあんない方々届けていただくことに。

 

明日も、お誘いあわせてお参りを。

2013年9月24日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会(2) 小坪説教所

8月8日(木)

昨日に引き続き、小坪説教所の盂蘭盆会が朝席と昼席。

ニュース23』で、一昨日から女優の綾瀬はるかさんの「戦争を聞く」という特集があり、たまたまそれを見た。

一昨日は「生ましめんかな」という栗原貞子さんの詩が紹介され、その詩に登場する赤ちゃんが今もご健在だということで、その方を訪ねていく。

そして、そこに一人の助産師さんが登場。

その助産師さんは、7歳の時に原爆に遭った。
その数日後に、この赤ちゃんが生まれたことを伝え聞いて感動し、助産師になることを決心したのだと。

地獄絵のようなビルの地下室で、みんなが赤ちゃんの誕生を見守った。

地獄のようなありさまでも、そこには「人間」の姿があった。

 

今は人間の住む世界に住みながら、地獄・餓鬼・畜生のこころを持っているような歩みをしてはいないだろうかと・・・。

 

お盆

みんなが集まって、先に往かれた方を偲びながら、いろんなことを聞かせていただくご縁。

伝え聞くなかで、いろんなことに気づかせていただく。

 

今日も、境内に植えた福島ひまわり里子プロジェクトのひまわりもすくすくと。

Img_0533_r

専徳寺の門前の電線には、今年長浜で巣立ったツバメたちがたくさん。

Cimg1584_r

暑い暑い毎日が続くが、みんなみんなそれぞれの命を生きている。

 

今夜は仏教壮年会の納涼会。

いつもより1時間早いスタート。

本堂で重誓偈のおつとめをし、少し話をしてから場所を集会所に移して。

 

あまりにも暑すぎて、今日の予定を忘れて呼び出された方もチラホラ・・・。

お互いからだに気をつけて。

2013年8月8日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会(1) 小坪説教所

8月7日(水)

今日の昼席から明日の昼席まで、4席小坪説教所の盂蘭盆会。

盂蘭盆会、お盆、歓喜会、いろんな呼び方があるけど、お盆ってどんなこと?

Img067_r

絵本を通して、世間的に伝わっている「お盆」をまずはお話。

そして、餓鬼草紙に描かれた『盂蘭盆経』のお話を。

03

お盆にまつわることをということで、「帰省」という言葉を調べてみた。

この帰省には、故郷へ帰るという意味だけでなく、親の安否を気づかって故郷へ帰るという意味があることは、以前から知っていたのだが、調べなおして、これは朱慶余の漢詩にその出典があると知る。

そこでその出典を探せど探せど見当たらない。

ふと「帰」でなく、「歸」だと気づき、中国語のサイトでようやく見つかる。

《送張景宣下第東歸(歸揚州覲省)》朱慶餘

 歸省値花時,閑吟落第詩。

 高情憐道在,公論覺才遺。

 春雨連淮暗,私船過馬遲。

 離心可惆悵,為有入城期。

『全唐詩』の中にあるようだが、そこから先が分からない・・・。

0807_r

ただ、そんなことを調べていて、『帰省』というタイトルの中島みゆきの歌があることを知った。

夜席では、その歌を聞いていただく。

 

 帰 省

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車には乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく

けれど年に2回 8月と1月
人ははにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

 

機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身ぶりで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点(スクランブル)を渡る

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

 

生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界を餓鬼の世界というそうだが、ふり返ってみれば、今がまさに餓鬼。

 

8月と1月、盆と正月、帰省先で人間としての心を。

 

親の安否を気づかって故郷へ帰るといいながら、親が子の安否を気づかって呼び戻す姿がそこにある。

そこで、「人間」としてのお育てをいただくのかな。

 
 

暑いなか、ようこそのお参りでした。

2013年8月7日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku