秋季彼岸会 3日目

9月26日(木)

秋季彼岸会も朝席で御満座。

 

法座が終わり、11時より父の満中陰法要。

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そして、夜は浄徳寺にて我聞会の例会。

 

輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(150)(151)。

法話は、どうして法事をするのか?という質問にどう答えるか。

 

朝から晩までいろいろと盛りだくさんのご縁のなかで、今日の法座の「こころのスイッチをONにする」のことばを思い出す。

とある“きっかけ”で気づかされること、涙を流すこと、いろいろ。
その“きっかけ”がお聴聞させていただくご縁のなかに。

 

明日からいよいよ報恩講参り。

2013年9月26日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 2日目

9月25日(水)

昨日に引き続き、秋季彼岸会法座。

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ゆるぎない本物(真実)に出遇うことの大切さを聞かせていただいた。

子どもから「死んだらどうなるの?」という問いに、誤魔化すことなく、マンマンちゃん(仏)となって、マンマンちゃんの国(浄土)に生まれるんだよと答えられたことが嬉しかったとのお話を、こころにいただいた。

本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし
          (高僧和讃)

 

寺報の手配も大体完了。
総代さんから世話係。世話係のみなさんから御門徒のみなさんへと届けていただくことに。

 

夜席も終わって一段落して、広島カープが16年ぶりのAクラス、クライマックスシリーズ参戦が決まったとの一報。

気のせいか、少し疲れが和らいだ。

 

夜は庭から虫の声が。

今日は本堂に見たことのない虫を発見。

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アオマツムシ」と呼ばれる虫だそう。

明治時代に中国大陸より帰化した虫で、マツムシとは全然違う。
「アオゴキブリ」とも呼ばれるそうだが、見た目は確かに・・・。

世のなかにはまだまだいっぱい知らないことがある。

時には知らなくても良いこともあるけど、知らないことがあると知るのも大切かな。

 

明日の朝席で御満座。
お誘いあわせてお参りを。

 

2013年9月25日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 1日目

9月24日(火)

昨日が彼岸の中日。

そして、今晩から秋季彼岸会の法座。

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このたびの御講師は、島根県光善寺の波北 顕 師。

平成7年に本願寺の安居事務所へ書記として初めて従事させていただいた時、事務所で2週間、席を並べてご一緒させていただいた。

それから長い時を経て、このたび御講師として久しぶりにお会いさせていただくことに。

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今席は、世界遺産“石見銀山”の灯りにまつわる話から、三毒の煩悩についてお話を聞かせていただいた。

何とも身につまされるお話。

 

また、今日『念佛日和』秋号が出来上がった。

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近々、世話係のみなさんにご協力いただいて、報恩講のごあんない方々届けていただくことに。

 

明日も、お誘いあわせてお参りを。

2013年9月24日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会(2) 小坪説教所

8月8日(木)

昨日に引き続き、小坪説教所の盂蘭盆会が朝席と昼席。

ニュース23』で、一昨日から女優の綾瀬はるかさんの「戦争を聞く」という特集があり、たまたまそれを見た。

一昨日は「生ましめんかな」という栗原貞子さんの詩が紹介され、その詩に登場する赤ちゃんが今もご健在だということで、その方を訪ねていく。

そして、そこに一人の助産師さんが登場。

その助産師さんは、7歳の時に原爆に遭った。
その数日後に、この赤ちゃんが生まれたことを伝え聞いて感動し、助産師になることを決心したのだと。

地獄絵のようなビルの地下室で、みんなが赤ちゃんの誕生を見守った。

地獄のようなありさまでも、そこには「人間」の姿があった。

 

今は人間の住む世界に住みながら、地獄・餓鬼・畜生のこころを持っているような歩みをしてはいないだろうかと・・・。

 

お盆

みんなが集まって、先に往かれた方を偲びながら、いろんなことを聞かせていただくご縁。

伝え聞くなかで、いろんなことに気づかせていただく。

 

今日も、境内に植えた福島ひまわり里子プロジェクトのひまわりもすくすくと。

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専徳寺の門前の電線には、今年長浜で巣立ったツバメたちがたくさん。

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暑い暑い毎日が続くが、みんなみんなそれぞれの命を生きている。

 

今夜は仏教壮年会の納涼会。

いつもより1時間早いスタート。

本堂で重誓偈のおつとめをし、少し話をしてから場所を集会所に移して。

 

あまりにも暑すぎて、今日の予定を忘れて呼び出された方もチラホラ・・・。

お互いからだに気をつけて。

2013年8月8日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会(1) 小坪説教所

8月7日(水)

今日の昼席から明日の昼席まで、4席小坪説教所の盂蘭盆会。

盂蘭盆会、お盆、歓喜会、いろんな呼び方があるけど、お盆ってどんなこと?

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絵本を通して、世間的に伝わっている「お盆」をまずはお話。

そして、餓鬼草紙に描かれた『盂蘭盆経』のお話を。

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お盆にまつわることをということで、「帰省」という言葉を調べてみた。

この帰省には、故郷へ帰るという意味だけでなく、親の安否を気づかって故郷へ帰るという意味があることは、以前から知っていたのだが、調べなおして、これは朱慶余の漢詩にその出典があると知る。

そこでその出典を探せど探せど見当たらない。

ふと「帰」でなく、「歸」だと気づき、中国語のサイトでようやく見つかる。

《送張景宣下第東歸(歸揚州覲省)》朱慶餘

 歸省値花時,閑吟落第詩。

 高情憐道在,公論覺才遺。

 春雨連淮暗,私船過馬遲。

 離心可惆悵,為有入城期。

『全唐詩』の中にあるようだが、そこから先が分からない・・・。

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ただ、そんなことを調べていて、『帰省』というタイトルの中島みゆきの歌があることを知った。

夜席では、その歌を聞いていただく。

 

 帰 省

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車には乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく

けれど年に2回 8月と1月
人ははにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

 

機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身ぶりで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点(スクランブル)を渡る

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

 

生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界を餓鬼の世界というそうだが、ふり返ってみれば、今がまさに餓鬼。

 

8月と1月、盆と正月、帰省先で人間としての心を。

 

親の安否を気づかって故郷へ帰るといいながら、親が子の安否を気づかって呼び戻す姿がそこにある。

そこで、「人間」としてのお育てをいただくのかな。

 
 

暑いなか、ようこそのお参りでした。

2013年8月7日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

石泉文庫虫干し法座 4日目

7月19日(金)

石泉文庫虫干し法座、4日目。

朝席で御満座。

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今日も引き続き、石泉僧叡和上の信心のお話。

御講師のお寺、西教寺のご門徒さんも一緒にお聴聞。

 

譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇

阿弥陀さまより届いた願い(光)。

光が届いたからこそ、真っ暗闇だった自分の姿が見えてくる。

 

夕べ聞かせていただいた妙好人 浅原才市さんの、

罪造り 罪つくる人は 仏なり
罪つくらざる人は 地獄なり
知識の教えを聞かぬから

自分の姿を知ったから、この教えを聞かせていただく。

有り難いご縁をいただいた。

 

法座が終わると、石泉文庫へ本をお返しに。

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石泉文庫までの車の通らない細い道。
みんなで運び、文庫では2階へ手渡しで上げていく。

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すべてがずっと伝わってきた昔ながらの手作業。

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こんなに暑いなか、ご協力ありがとうございました。

また、ようこそのお参りでした。 

 

南無阿弥陀仏

石泉文庫虫干し法座 3日目

7月18日(木)

石泉文庫虫干し法座、3日目。

今日も朝席が終わると、昨日の残りの半分を虫干し。

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朝のご讃題

「現世のすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。〔中略〕衣食住の三は念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。」  (法然聖人『和語灯録』)

この念仏と助業の関係を、僧叡和上は安心の上では念仏ひとつ、助業は行儀(念仏者の生きざま)の上で語られると説いたところ、それが大瀛門下と助正論争に発展した。

 

法然聖人の念仏も親鸞聖人の念仏も一緒。
そして、仏教の中の浄土真宗。

これが僧叡和上の大きなスタンス。

 

如来よりいただいた「お念仏」。

大切なものだからと、お仏壇にそっとしまっておいたら何のことやら。

大切なものだからこそ、いつも心に、そして口に。

身のまわりのすべてがお念仏のご縁。

 

虫干しの様子を見せて欲しいと、午後からチョコチョコ尋ねてこられた。

俳句をしている方、歴史の好きな方。

これも、お念仏のご縁となれば。

 

3時から再び虫干しした本の片付け。

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2日間、良いお天気で無事干せた。

 

夜席では、僧叡和上の信心のお話を聞かせていただく。

久しぶりに僧叡和上の話を聞かせていただき、まだまだ勉強させていただかなければ!と。

 

今日の午後、昨日干し終わった僧叡和上関係の本をパラパラと見ていると、いくつか合わさった本の中に、『読錍領辞』なるものを見つけた。

その結びには、

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「光明叡尊者
      侍者下」

と。

「光明叡尊者」とは、光明寺僧叡?

大瀛和上が三業惑乱の際に著された『横超直道金剛錍』。
ここに僧叡和上が序文を書かれているのは知っていたが、これはその草稿本を読んで僧叡和上が添削をしたものか?
そんな本が出てきた。

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まだ、パラパラとしか見れていないが、

仏の三心  尊意今少し御考ありたく候。

なんて一節が出て来る。

尊者

「光明寺僧叡」と名告ったのは、寛政12年のみ。

40歳にして、誰から見ても「尊者」だったんだろうなぁ・・・と。

これが僧叡和上のことであればの話。

 

明日の朝席で御満座。

それが終わると、文庫へみんなでお返しする。

また、汗をかきかき、お念仏。

お誘いあわせてお参りを。

 

石泉文庫虫干し法座 2日目

7月17日(水)

石泉文庫虫干し法座2日目。

朝席が終わると、みんなで石泉文庫から本を運ぶ。

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今年も広南小学校の6年生のみなさんがお手伝い。

 

そして、本堂で「パン!」と本を叩いては、ロープにひっかけて干していく。

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たくさんの蔵書。

全部を一度に干しきれないので、今年の分は蔵書の半分。

そして、来年は残り半分。

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本堂いっぱいに干される姿は、例年のことながら有り難い。

 

干す作業の後、石泉文庫についてお話をさせていただく。

難しい本がずらりと並ぶなか、時折こんなのを見つける。

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「きんちゃく」

僧叡和上の『玄義分聴記』の裏表紙。

 

『学僧逸伝』という本に、僧叡和上がサルを飼っていて、和上の留守中、メガネをかけて朱で何やら書いていたものが残っていると紹介されていたのだが・・・。

 

朝の虫干しと法事が一段落ついて、外に水やりに出ると、

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先日植えたひまわりの里子たち。

りっぱなフタバをのぞかせた。

 

午後3時から干した本の後片付け。

一切経は紐でしばり、木箱に入っていた蔵書は目録と照合。

 

そして夜席。

昨日に続いて、僧叡和上から慧海-福間浄観-多田蓮識-信楽峻麿-御講師へとつながるお念仏の話を聞かせていただいた。

「大地に足がついていない」(多田蓮識)

私の歩みがお念仏。

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虫干しのことで、もっと楽な方法、たとえば燻蒸とか今ならいろいろあるではないかと、以前指摘を受けたことがある。

ごもっともなことではあるが、それでは何も伝わらない。

ずっと受け継がれてきたものを、せっせと汗を流して作業する。

大変な作業であるが、みんな輝いている。

お念仏が輝いている。

 

明日も朝席が終わると、虫干し作業。

お誘いあわせてお参りを。

石泉文庫虫干し法座 1日目

7月16日(火)

何となく違う朝・・・。

昨日まで聞こえなかったセミの声が一斉に。

何の相談があるわけもないだろうに、不思議なこと。

 

午後から総代・仏教壮年会の方々が集まって、虫干しの準備。

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本堂の端から端へロープをピンと張る。

これが緩いと本の重さでダラリと下がってしまう。

 

夜席から石泉文庫虫干し法座。

このたびの御講師は、呉の西教寺 岩崎智寧師。

前住職の岩崎正衛師も、以前この虫干し法座のお取り次ぎをしていただいたことがあるそうで、有り難い初めてのご縁。

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ロープの張られた不思議な光景のなか、自己紹介を交えながら、自ら歩んでこられた道をお聞かせいただく。

信心とは生きる姿勢(死ぬ覚悟)

このたびのご縁を通して、石泉僧叡和上の念仏を大切にする姿勢を改めて。

 

明日は広南小学校6年生が、地域学習で虫干しをお手伝い。

この虫干しから、どんなことを感じてくれるだろう。

 

明日もお誘いあわせてお参りを。

仏教婦人会法座 3日目

6月19日(水)

今にも雨が降り出しそうな空の下、朝席で仏教婦人会法座も御満座。

海からイリコ漁の漁船の音が響いてくる。

 

悪いと知ってする悪いおこないと、悪いと知らずにする悪いおこない。
どちらの罪が重いかという話を聞かせていただいた。

単純に考えると、そりゃ、悪いと知っててする方が悪い!と思ってしまうが、実は悪いと知らずにする方の罪が重いのだと。

悪いと知ってするのであれば、その人には罪の認識がある。
でも、悪いと知らずにする人には、したことに対しての罪の意識がない。
それを悪いことと気づかなければ、いつまでもそれを当たり前のように振る舞ってしまう。

気づくこと、気づかされることの大切さ。

 

一僧侶として、衣を着ているときはとりあえずONのスイッチが入っている。

以前、報恩講参りで正信偈をとなえているとき、ふと何気に下を見ると、腕にムカデが這っていた。
衣を着ていないときだと、恐らく飛び上がって驚き、アタフタとしてしまったのだろうが、その時は自分でも驚くほど冷静に、何ごともなかったようにスッと払いのけた。

我ながら・・・と思いたいところではあるが、OFFになっているときだと恐らく・・・。

そんな私だからこそ、衣を着けさせていただいているのであろう。

 

ONとOFF。

自らの姿を照らされて明らかに。

ようこそのお参りでした。

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2013年6月19日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku