5月27日(金)
今日は雨。
昨日26日、中国地方は早くも梅雨入りしたそう。
例年よりも12日早く。
おまけに台風が接近中。
昨年も雨で翌々日に。
今年も予報では曇り時々雨。
台風の行方も気になるところだが、せっかくの運動会。
しかも、長浜小学校としては最後の運動会。
みんなががんばってる姿を応援しよう。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
5月17日(火)
忍音(しのびね)とは、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声。
今年も螺山にホトトギスが帰ってきたようだ。
今朝、「キョッ、キョッ、キョキョキョ」と聞こえてくる。
この声は、「テッペンカケタカ」「特許許可局(とっきょきょかきょく)」の聞きなしとして知られる。
その他にも「本尊掛けたか」。
むかし、酒の大好きなモズは、ホトトギスの金を預かって、お仏壇の仏さまを買ってくると約束しながら、その金で酒を飲んでしまった。
それで、ホトトギスが毎年この頃になると、「本尊掛けたか」と鳴いて催促する。
モズは、そう言われると困るものだから、この時期は黙って出て来ないようにしているという話が残っている。
漢字のホトトギスは、「時鳥」「不如帰」「杜鵑」「子規」などいくつもある。
また、日本で作られた『地蔵菩薩発心因縁十王経』(地蔵十王経)には、「別都頓宜寿(ほととぎす)」と出てくる。
正岡子規は、血を吐きながら鳴くと言われるホトトギスと、結核で血を吐く自分の姿を重ね、自らを「子規」と名づけたのは、有名な話だ。
それから、今日の夕方、車で出ようとしたところ、目の前に長いひものようなものが落ちていた。
近づいてよく見ると、
何と、アオダイショウ!
ひかないように、車でそーっとよけて出ようとしたら、波打ったようになっていた身体がピンっと張ってそばのサツキの植え込みのなかへ。
暖かくなってきて、いろんなものが出てくるように。
こちらは忍足で退散。
5月15日(日)
午後から小坪の薬師堂に。
毎年5月の日曜日、小坪自治会主催の法要にお参りしている。
薬師堂とは、螺山(つぶやま)のテレビ塔へ向かう車道脇に小さな祠があり、薬師堂の名が示すとおり、薬師如来の絵像が掛かっている。
この堂内にある縁起によると、江戸時代末期、上小坪に尾森惣右衛門という刀鍛冶がいて、その使用人おふさの夢に薬師如来が現れ、「我を小坪の地に迎え入れて篤く帰依すべし」とお告げがあったのだと。
そこで、広石内に祀られていた薬師如来を惣右衛門が迎え入れ、お堂を造って祀ったのが薬師堂の始まりだそう。
それ以来代々尾森家が守ってきたが、次第に風雨にさらされてお堂は朽ち、ご本尊は戦後心ない外国人に持ち去られた。それが昭和55年再建。
尾森家が小坪を離れるにあたり、平成10年より小坪自治会がこの薬師堂を管理している。
その薬師堂で、年に一度薬師如来の絵像前に置かれた阿弥陀如来像の前で、正信偈をおつとめし、御法話をさせていただく。
私は前後に予定が入っているのでバイクか車で登っていくが、小坪の方々は皆さん山を歩いて登ってお参りされる。
正信偈をおつとめしていると、ウグイスが響き渡る声で、「法を聞けよ。法を聞けよ。聞けよ聞けよ聞けよ・・・」とさえずる。
年に一度、そこまで登るのが健康のバロメーターともなっているようだ。
これも一つのご縁である。
5月1日(日)
午後から広島の福屋八丁堀店に『手塚治虫展』を見に行く。
5月28日より映画『ブッダ』が公開されるのと、鉄腕アトムデビュー60周年を記念して。
手塚治虫の作品には、それぞれメッセージが込められている。
手塚アニメは『西遊記』に始まった。
三蔵法師と出会う前、孫悟空が天界で大暴れしてる時、お釈迦さまの掌から抜け出せるか、賭けをしたところ、觔斗雲に乗って天の最果てまで行き、その最果てと思っていた五本の柱に「斉天大聖至此一游」と書き記し、立ち小便までして帰ってくる。
でも、戻ってみると、その柱はお釈迦さまの手の指だった。
『西遊記』といえば、このシーンを思い出す。
この孫悟空は、現在の人間の姿にダブって見える。
科学はどこまでいっても思議の世界。
自分を超えた不可思議なる存在を知るからこそ、人間は自らの慢心に気づかされるのではないだろうか。
想定外。
この言葉を何度聞いたことだろう。
手塚治虫の描いたブッダが、アニメとしてよみがえった。
それが、どのように描かれているかは分からないが、今の時代に何らかのメッセージを届けてくれるのだろうか。
今夜は専徳寺で法中会。
4月28日(木)
今日は午後から長浜小学校の参観日とPTA総会に。
今日が震災で3月11日に亡くなられた方々の49日。
総会に先立って、6年生の児童による東日本大震災の募金活動が行われた。
6年生の児童が話し合い、情報を集めるなかで、募金活動をしようと決めたのだそう。
子どもたちの思いやりのバトン。届いて欲しい。
今年度で長浜小学校の名前が無くなり、来年度からは隣の小坪小学校と統合し、「広南小学校」として新たに出発する。
それに合わせて長浜中学校も「広南中学校」と改名されるそう。
これは6月の議会で正式決定する見通し。
ということで、今日が長浜小学校として最後のPTA総会。
これからあることすべてが最後。
総会でPTA副会長に正式決定し、長浜小学校の最後と広南小学校の最初に立ち会えることに。
これも大切なご縁である。
長浜の子ども、小坪の子ども、みんなが安心して学校生活を送れるように少しでも手助けが出来ればと思う。
4月12日(火)
午後から青空に誘われて野呂山まで。
野呂山の桜も今が満開。
太陽の光をいっぱいに受け、光り輝いている。
写真愛好家の方にとっても、今日は撮影日和。カメラ片手に桜を追う姿が見られた。
桜といえば、親鸞聖人の得度の前に読んだといわれる
明日ありと思ふこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
を思い起こすが、
花に染む 心のいかで残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
と、出家してもなお桜を愛し、
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
と、生涯桜とともにあった西行法師。
その西行庵のある吉野の桜を訪ねて、学生時代に一度だけふらっと行ったことがある。
満開の下の千本から一人歩いて行くと、中の千本を過ぎた当たりから人がまばらに。
すると、1羽のウグイスが飛んできて、私の目の前の枝に止まり鳴き始める。
それからしばらく、私の前を前を飛び移っては鳴き、数百メートルそれが続いた。
まだ、その頃は蓮如上人のウグイスの話を聞いたことがなく、「法、聞けよ」と聞くことができなかった。
毎年のように野呂山の桜を見に来るが、桜を見るたびそのことを思い出す。
思い出すということは、その声を今「法、聞けよ」と聞いてるのだろうか。
『阿弥陀経』の「今現在説法」のこころである。
4月5日(火)
今朝、ツバメの声を聞く。
夕方には4羽のツバメが長浜の空を楽しそうに飛びまわる。
ようやくツバメが故郷に帰ってきた。
遠くはオーストラリアから帰ってくるのもいるそうだ。
ホントにお疲れさま。
本堂前の手水鉢の木瓜(ボケ)の花も咲き、いよいよ春の到来。
春曉 孟浩然(もうこうねん)
春眠不覚暁 春眠 暁を覚えず
処々聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
夜来風雨声 夜来 風雨の声
花落知多少 花落つることを知んぬ多少ぞ
一夜の雨で散ってしまう花はいつの時代も同じである。
だからこそ、人は散ってしまう前の花見に集う。
明日から長浜小学校も新年度スタート。
来年度から隣の小坪小学校と統合されて小中一貫校となるため、長浜小学校としては最後の1年。
それぞれの最後、そしてはじまり。
有意義な1年となりますように。
3月18日(金)
本日、広まちづくり推進協議会が企画し、広島国際大学の呉写真部の方が撮影された広の人と町並みの写真集「わたしたちが暮らすまち ほとひろ」の創刊号「長浜」が発売された。
昨年の秋祭などを中心に、長浜の町並みが写真集に。
長浜では、桂川商店・大野理容院・セブンイレブン呉市広長浜店で取り扱い、広まちづくり推進協議会では通信販売も。
また、今日まで広市民センターで「ほとひろ Side Story写真展」と題して、「ほとひろ」掲載以外の写真が展示されていたが、3月26日(土)~3月28日(月)10:00~16:00、長浜老人集会所でも同じく開催され、販売もされるそう。
この写真は、ちょうど『くれえばん』12月号お寺さん界隈に載せるため、祭当日撮影した写真の中から。
長浜小学校と小坪小学校が来年の春統合され、小中一貫校となることが正式に決まり、今学校で新しい名前を募集している。
呉市営バスも来年4月より広島電鉄に移譲され、その姿を消していく。
昔の長浜を調べていて、国土地理院のホームページに古い航空写真が公開されていることを知った。
現在の姿はGoogleマップなどでも見られるが、こちらは戦後米軍の撮影した1946年の写真から2002年撮影のものまで、その移り変わる姿を見ることができる。
国土地理院 >> 地図・空中写真 >> 国土変遷アーカイブ >> 空中写真を見る
これからこの長浜はどんな風に姿を変えていくのだろう。