専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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6月28日(月)
境内の植木鉢の縁に一本の細い枝がピンと。
??じっと見てると、何と!動き出した。
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尺取り虫。
シャクガと言う蛾の幼虫。
中国の曇鸞大師は『往生論註』に「蚇蠖 ・蚕繭 」の譬えを。
⇒《参考》浄土真宗本願寺派総合研究所
仏本この荘厳清浄功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相、これ無窮の相にして、蚇蠖 〈 屈まり伸ぶる虫なり 〉の循環するがごとく、蚕繭 〈蚕衣なり〉 の自縛するがごとし。あはれなるかな衆生、この三界に締 〈結びて解けず 〉られて、顛倒・不浄なり。(『往生論註』七祖註釈版57頁)
「蚇蠖」と言うのが尺取り虫。
植木鉢の縁をぐるぐるぐるぐると回っている姿がまさに循環するがごとく。
蚕は糸を出して繭を作り、自分を閉じ込めてしまう。
そんな虫の姿を譬えて、私たちの世界は迷いの境界だとお示しくださった。
また、曇鸞大師は他にも有名な譬えで、
「蟪蛄は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。(『往生論註』七祖註釈版98頁)
と。
『荘子』の「朝菌は晦朔を知らず。蟪蛄は春秋を知らず」を引用した譬え。
「蟪蛄」とはセミのこと。「朱陽」とは夏のこと。
虫、鳥、花、取り巻く世界すべてがお念仏のご縁に。
6月22日(火)
〈死〉について、なるべく避けて通りたいと思っている方が多いのではないだろうか。
ただ、
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。(白骨の御文章)
誰もが避けては通れない。
そんな〈死〉を語り合う活動が若い方を中心に行われているそう。
『本願寺新報』6月20日号の掲載記事を見て、
死生観光トランプ
を早速注文。
ホームページ《ワカゾー流デスカフェ》より
昨年クラウドファンディングで販売されたのを知った時にはすでに遅し。。。
でも、遅ればせながら。
本日、届いた。
ホームページより無料ダウンロードも出来るようだけど、やっぱり実物が良い。
世界中の《死生観》から、《死》について身近な問題として考えることができるかも。
また、先日取り寄せて読んでいる本がこちら。
『お葬式の言葉と風習』
柳田國男『葬送習俗語彙』の絵解き辞典 (髙橋繁行)
お葬式にはよく分からず使っている言葉も多い。
また、他所の地域のこと、他所の宗派のことは知らないことだらけ。
「門徒もの知らず」
これだけ見ると、そうかも。
この辺では知らないことばかり。
原本の『葬送習俗語彙』は、国立国会図書館デジタルコレクションでも読むことができるけれど、この本は切り絵の白黒の挿絵が何とも。
そして、この本に何とも不思議なことが。
広島へタバコ買いに行った
人が死んだことを意味するユニークな隠語。亡者が広島へタバコを買いに行くのでなく、裏の意味する本命は、世界遺産の厳島神社と背後にそびえる霊山、弥山。中国・四国地方では厳島神社を他界とする観念があって、こう呼ぶようになった。弥山は、特に瀬戸内海対岸の四国の人々が、死んだら魂はこの山に還ると言われている。同様の言い方で、近畿圏では熊野に、東北地方の人々は恐山に還るという。日本人は十万億土のかなたの阿弥陀浄土よりも、身近な山中他界にあの世を求めがちだ。
「広島へタバコ買いに行った」なんて言葉をこのあたりでは一度も聞いたことがない。
海の上に建つ厳島神社は、平清盛がお浄土を表した建物と言うのはよく聞く話ではあるけれど。
「終活」
自らのお葬式のこと、お墓のことを準備することを言うのではなく、〈死〉と向き合うことで、最後までどう自分らしい人生を送るかという準備。
〈死〉を通して〈生〉を。
緊急事態宣言が解除され、今日は午後から久しぶりに広島別院でサンガ部会。
何だか浦島太郎。。。
6月19日(土)
昨夜からの雨がやみ、先日の紫の桔梗に続いて、今にも白い桔梗が咲きそうに。
大きく今にも弾けそうな蕾。
桔梗の英名は、balloon flower だそう。
風船のように膨らんだ今の状態。
学名は、Platycodon grandiflorus。
ラテン語で、Platycodonは「広い釣鐘」、 grandiflorusは「大きな花の」。
同じ名前でも、蕾の状態と花開いた状態をそれぞれに表現。
では、「桔梗」の語源は?
桔梗は、〈きちこう〉と言う読みが〈ききょう〉となったそうで、乾燥した根が硬いと言う意味に由来するとか。
花ではなく、土の下の根が名前の由来。。。
一つのものでも、見方は十人十色。