専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
10月21日(日)
今日は朝9時からお葬式、法事が続いて、そしてお葬式。
時間に追われながら、次々とお参りする途中、
名田でヒドリガモの姿にほっこりと。
去年よりも数が多くなってるのは、家族が増えたのかな。
今日はクレイトンベイホテルで呉東組ご縁の会。
今回で第13回。
このたびは、男性3名、女性3名と、過去最少人数申し込みでの開催。
中止も考えられたが、せっかくの申し込みなので。
それなのに、男性1名急遽欠席。。。
どうなることかと思ったけれど、不思議なご縁でこうしてここに集ったとの、組長(そちょう)さんのお話からスタート。
最後のフリータイムでは、
一つのテーブルをみんなで囲んで和やかにティータイム。
参加人数が少なくても、これはこれで良いのかも。
意中の方を記名してもらって解散となったが、集計の結果、1組成立した模様。
近々参加者に郵送にて結果発表。
ようこそのご参加でした。
10月16日(火)
青空の広がる良いお天気に。
今日も引き続いて報恩講法要。
朝席では、正信偈のおつとめに続いて、『正信偈』のお話より。
覩見諸仏浄土因
ただ眺めるだけでなく、つぶさにご覧になられ、動いて見られている仏さまのお味わい。
そして、昼席で御満座。
天井の扇風機を少し回すほどの陽気に。
今年も善通寺御住職を導師に、住蓮寺・広真光寺・浄円寺・呉専徳寺の御住職に御出勤いただいてのおつとめ。
おつとめの後は、
如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情を捨てずして
回向を首としたまひて
大悲心をば成就せり
のご和讃よりのお味わい。
最後に、癌で亡くなられた中島みどりさんの手記より、『大悲の親にいだかれて』を紹介してくださったので、ご紹介。
大悲の親とは、いったい誰のことかと思いますね。
そのお方はね、阿弥陀如来さまのことです。
お母さんは、幼い頃より死に対しての不安がありました。
ひとりぼっちになるのがこわかったのです。
死んでしまったらひとりぼっちになってしまうと思っていたのです。
愛する人たちと、死んでしまったら二度と会うことはできないのだと思っていたのです。
だから、とてもさみしくて、やりきれない悲しさで一杯でした。でもね、お母さんのお母さんがね、「心配はいらないよ、お寺にお参りして聞かせていただければ、きっと解決できるよ」と教えてくれたの。
だから、お母さんは必死でお寺にお参りしたわ。
でもね、わかろうとすればするほど、わからなくなるの、聞けば聞くほどわからなくなる気がして、お母さんも大学生ぐらいまでは、ありがたいとか、守られているとか、思ったことはないし、まして、安心などできようもなかった。
だから、いつも不安はつきまとっていた。でもね、あるとき、ふと胸が熱くなるほどありがたいなーって思ったことがあったの。
お寺にお参りして聴聞に遇っていたときだったと思います。
そして、とめどもなく涙があふれて私自身のおろかさと、この身の幸せを感じたことでした。
このとき、私ははじめて、ありがたい、もったいない大悲の親に、いだかれているのだなと思うことができたのです。
その気持ちは幼き頃、仏壇の中にあった親鸞聖人の『御一代記』を読んで涙し、感動したときのよろこびにも似ていました。お母さんの心の師は、親鸞聖人でした。
この親鸞さまの本がご縁で真実の親さまに遇うことができました。
ありがたいことです。
こうして病気になっても少しもさみしくありません。
仏さまと二人づれと思えば生も死もなくなります。
苦しいときも、痛いときも、楽なときも、いつでも一緒の阿弥陀さま。ついつい口から“なもあみだぶつ”と出てくださいます。
心配するな、ここにいるよ、といつも声をかけてくださいます。
ありがたいことです。お母さんの目は、凡夫の目だから、仏さまを見ることはとうていできませんけど、仏さまはいつも離れず、つきそって守ってくださっているのです。
それは、お母さんだけでなく、夏美や洋生はもちろんのこと、すべての人たちのことを、わが子のように大切に思ってくださっているのです。
だから、夏美も洋生もどうか手を合わせる子になってください。
お仏壇に、お寺にお参りしてくれるような人になってください。
そして、あなたたちが精一杯生きて、この世が終わったら母の待つ、お浄土に生まれてきてくださいね。
また会える世界があるということは幸せなことです。
この世でどんなにつらいことがおこっても、がんばってのりきれるでしょう。
死んでしまったらおしまいと考えるのはあまりにもさみしすぎますね。
死ぬのではなく、生まれてゆく世界があるのです。
愛する人と会える世界があるのです。
それがわかると安心してこの世を生きていけるでしょう。
夏美、洋生、どうか安心してこの世を渡ってください。
母はいつでも、あなたたち二人の心の中に生きつづけています。
さみしいとき、かなしいときは“なもあみだぶつ”ととなえてください。
お母さんはいつでも一緒です。
おかげさまで御満座。
ようこそのお参りでした。
10月15日(月)
今日も青空の広がる良いお天気に。
今朝は、広南小学校の読み聞かせの日。
一昨日、文化活動発表会を終えた広南中学校の生徒たちが、代休にもかかわらず、読み聞かせに。
3年前より、中学校の代休の日にボランティアを募集するようになって、ずっと参加してくれている。
前回7月9日に11名も申し込んでくれていたのに、豪雨災害で休校となり、このたびが今年度初めて。
10名の生徒がしてくれたそう。
朝席では、誕生の意味から。
「誕生」の「誕」という字の意味は、何と!
”うそ・いつわり”という意味だそう。
めでたい、めでたいと言ってるけれど、実は。。。
「世間虚仮・唯仏是真」
でも、その人間世界に生まれてくることは何とも大変なこと。
覚如上人は『報恩講私記』で、
弟子四禅の線の端に、たまたま南浮人身の針を貫き、曠海の浪の上に、まれに西土仏教の査に遇へり。
天から垂らした糸の先が、針の穴を通るくらい人間に生まれることが難しい。そんな中を生まれてきて、このみ教えに遇えたと。
「いのち」ってありがたい。
昼席では、『阿弥陀経』のおつとめのあと、『阿弥陀経』のお話を。
そのお話を聞きながら、昨日の御法事のことをふと思い出す。
呉のとあるホテルで法事を終えて、エレベーターへ案内してくださったホテルの方が、

こうした御法事では、「きーみょーむりょーじゅにょらい」というのはしないのですか?

『阿弥陀経』はお釈迦さまの説かれたお経、『正信偈』は親鸞聖人のお書きになったもの。
お寺さんによっては、みなさんと一緒にとなえたいからと、『正信偈』をとなえる方もおられるみたいですよ。
と、そんなことを。
夜席は前半は「報恩」のお話と、後半は『御伝鈔』より。
『御伝鈔』上巻の第四段に描かれる、白衲(びゃくのう)の袈裟を着け、白蓮華(びゃくれんげ)に端座(たんざ)される救世菩薩のお話を。
「恩返し」と「恩に報いる」
今夜はその言葉を味わいながら。
明日で御満座。
ようこそのお参りでした。
10月14日(日)
今朝の中国新聞朝刊、呉・東広島版に、
昨日の広南中学校 文化活動発表会 創作劇の記事。
そして、今日の夜席から報恩講法要。
このたびの御講師は、五日市 正覚寺の瀧渕良孝師。
最近、NHKの『チコちゃんに叱られる!』という番組が話題に。
何気ない質問にも、答えられないでいると、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と5歳のチコちゃんに叱られる。
ホントに、聞かれてみて、初めて「は~」と聞くことばかり。
お内陣のお荘厳にも一つ一つ意味があるとの話から。
輪灯にある花は?
菊・・・?
浄土真宗本願寺派では菊の輪灯。
「どうして?」
浄土真宗は、「きく」教えよと。
それから、欄間に見られる唐獅子牡丹。
これは、百獣の王である獅子と、花の王である牡丹。
百獣の王である獅子でさえも怖れるものがある。それは、獅子身中の虫。
でも、その虫は、牡丹の花からしたたり落ちる夜露にあたると死ぬのだそう。
それで、獅子は安住の地、牡丹の花の下で休むことに。
私たちにとっての獅子身中の虫は?
心にある煩悩。
私たちにとっての安住の地がここだよとお示しに。
ようこそのお参りでした。
10月13日(土)
今日は広南中学校の文化活動発表会「広南劇場」。
1年生が落語、2年生が起業企画、3年生が創作劇。
その他、いろいろと披露。
オープニングは、書道パフォーマンス。
事前にその様子を撮影し、その映像を見た後に体育館に垂れ下がる。
その他、箏と尺八でジブリ音楽を。
生徒会長あいさつの後、何故か「+1」。
「+1」は漫才。
その漫才をするのが、長男と担任の先生。
ずっと極秘で進めてたらしく、サプライズ出演。
いつもと全く違う姿に、終わった後で会う人会う人より。。。
その後のコーラスなどは法務のため、見ることが出来ず、昼前にPTAのバザーのお手伝いで合流し、午後から今日のメインを鑑賞。
3年生の創作劇『広で生まれた恋がある 世界にかけた虹がある ~No rain,No rainbow ~』。
昨年の創作劇は、広南の戦跡を訪ねて作った『この世界の片隅に ~広南編~』。
今年は、戦後の広南から生まれたたくさんの逸話をもとに作った創作劇。
「広で生まれた恋がある」のもとになったのは、
チェリー・パーカー(桜元信子さん)と進駐軍としてやってきたオーストラリアの青年兵士の物語。
今もオーストラリアでご健在だとか。
「世界にかけた虹がある」
昭和21年、水野尽次郎呉市長に懇願されて、日本最初の女性助役となった高良とみ。(助役として国には認められなかったが、その後国会議員となり、シベリア抑留兵の帰国のきっかけとなった人)
松本俊一。戦後、公職を離れたが、鳩山一郎総理より日ソ交渉全権代表に起用され、日ソ国交回復への道を開き、「モスクワに虹を架けた男」。
それ以外にも、広南には偉大な方々が戦後の復興に尽力したことを調べ、それをもとに。
小さい頃から知ってる子たちが、随分立派になったなぁと思いながら。
また、シベリア抑留兵の話を聞くと、以前聞いたご門徒さんの話を思い出しながら。
その方は、広海軍工廠で飛行機の整備に関わった。
それは、飛行機の整備士になると、出兵しなくても良いという話だったからと。
それでも、時代の流れで出兵することとなり、シンガポールで捕虜となる。
シンガポールの収容所では、肉の缶詰があったり、食べものに恵まれていたそう。
「あの〇〇さん、知ってるでしょ?あの人はシベリアだったから大変な苦労をされたと思うよ」と、ぼそり。
家族にも亡くなるまで一切戦争のことを話されなかったようで、そこには、一言もそのことを話されなかった〇〇さんや大変な苦労をされた方々への思いがあったのだろうなぁ。
広南劇場、拍手喝采で無事閉幕。
そのあと、反省会を兼ねたPTA役員会。
そして、帰宅してから本堂の準備。
明日の夜席より報恩講法要。
お誘いあわせてお参りを。