専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
2月29日(水)
今日は午後4時より長浜小学校へPTA会長代理として学校評価委員会へ出席。
終わったら焼山でお通夜。
昨夜雪が降ったようで、道のほとりにはところどころまだ雪が残っていた。
お通夜から帰り、阿賀の称名寺にて法中会。
東日本大震災一周忌を3月11日に迎える。
今日の法中会で、組の取り組みとして、3月11日は組内全ヶ寺が午後2時46分から梵鐘を撞くことに決まった。
専徳寺では、ただ撞くというだけでなく、参加して撞いていただこう。
仏教壮年会の例会や日曜学校の修了式等で呼びかけて。
2月27日(月)
2月は組内行事が少なく、法座もないため、1年のなかで一番楽な時期にあたるが、法務は別。
昨日は6件の法事とお通夜で一日読経。
さすがに今日は喉が腫れている。
それでも、今日も普通に声は出ているので、そのことに感謝。
今夜は住蓮寺にて我聞会。
(117)は、蓮如上人が能や狂言のしぐさを見せたりしながら、聞くものに退屈させずに法話をされる話。
蓮如上人のいろんな伝道の仕方を改めて知らされる。
『聞書』は本と末の2巻に分かれているが、その本巻がこれで終わった。
この『聞書』を読み始めたのがいつか?という話が出て、本の発行年が1999年なのでそれ以降だろうとの話になったが、定かでない。それでも10年ほどかかってようやく読み終わる。
継続は力なり
内容に関しては覚えていないことの方が多いかも知れないが、続けていることでいろんなことを学んでる。
法話では、「知ってるつもり」。
さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし
私たちは縁に触れればどうなるか分からないという話から、「4つの殺」の話を聞かせていただく。
自殺 (じせつ)
他殺 (たせつ)
呪殺 (じゅせつ)
方便殺 (ほうべんせつ)
それに「歓喜殺(かんぎせつ)」というのを加えて、「五殺」というそうだ。
これは戒律の経典『梵網経』に由来するそうで、「自殺」とは、自分のいのちを自ら断つことだけではなく、不摂生によって自分の命を無駄にするような生き方も「自殺」。
「他殺」とは、他の命を奪うことであるが、私たちは知らず知らず虫を踏み殺していたりすることもある。
「呪殺」とは、「あの人さえいなければ・・・」と、こころに思うこともある意味「呪殺」。
「方便殺」とは、手だてとして間接的に命を奪っていることもある。薬を飲むことも、その開発にはネズミなど無数の命がそこで失われていることも。
「歓喜殺」とは、殺されたことによろこびを感じていることを表している。
仏教では、不殺生戒を説くが、こんなことを聞いていると、すべてどこかでしてしまっているような気も。
自分だけは大丈夫と思っているような私が、ただの「つもり」になっていたことに気づかされるのが法事の場という話を聞かせていただいた。
2月24日(金)
新たなはじまり。
御遠忌法要も一段落し、こちらも新しい第一歩を踏み出そうと、先日Facebookに専徳寺を登録。
アドレスは、http://www.facebook.com/wwwsentokunet
それから、もうすぐ3月11日。あの東日本大震災より丸一年。
全日本仏教会が「東日本大震災一周忌法要」及び「地震発生時刻の鐘撞き」を全国の寺院に呼びかけている。
http://www.jbf.ne.jp/2012/02/post_216.html
専徳寺でも鐘撞きはするつもりでいたが、この呼びかけにこたえ、地震発生時刻の午後2時46分に撞くことにする。
ただ撞くのではなく、もし撞きたいと希望される方がおられたら、撞いていただこうとも思う。
2月18日(土)
今日も寒い一日。
この冬、日本海側では記録的な大雪。
それにもかかわらず、このあたりは積雪することもなく。
本当にありがたいことである。
昨日、久しぶりにタヌキを見かけた。
お通夜の帰り、寺に上がる坂の手前で、車の前を小走りに逃げ去る茶色い動物。
最初はネコだと思ったが、丸々とふっくらしているその後ろをゆっくり車でついて行くと、ヘッドライトに照らされた後ろ姿は、小柄なタヌキ。
「たぬき」は、冬の季語だそう。
そして、たぬき汁も。
何と、こんにゃくをたぬき肉の代わりに入れた「たぬき汁」という精進料理があるのだそう。
別に食べてみたいとも思わないが、そこまでして食べようとする人間の貪欲な姿がよく現れている。
長浜にはいろんな植物や動物が見られる。
それらから季節の訪れを感じたり。
今年の春の訪れを一番に感じさせてくれるのは何だろう。