専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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1月11日(木)
青空の広がる朝。
少し冷え込むものの、例年に比べると暖かいかも。
朝席で御満座。
弥陀・観音・大勢至
大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ
有情をよばうてのせたまふ
このたびのご縁は、立教開宗800年を迎えるに当たり、『正像末和讃』のお味わい。
新年早々、能登半島地震、日航機炎上、思い通りにならない世界を目の当たりに。
そんな思い通りにならない世界で、阿弥陀さまが呼んで喚んで呼び続けて大願の船に乗せてくださり、その思い通りにならない世界を今渡らせていただいて。
その船には私一人乗っているのではない。
「もうだいじょうぶ」
そう言われても、
「ほんとうにだいじょうぶ?」
と、あれやこれやと迷うこころが。。。
南無阿弥陀仏
「もうだいじょうぶ」
弥陀の喚び声が届いてる。
ようこそのお参りでした。
帰宅すると、庫裏の廊下にカーペットを設置する作業中。
以前は既成の廊下用カーペットを敷いていたけれど、こちらもかなりの経年劣化。。。
そこで、このたびは廊下にピッタリ合わせたカーペットを。
木目調の柄で、なかなか良い感じ。
そして、以前より気になっていた本堂横のトイレ入口にある襖。
御内陣が綺麗になったら、ますますここが。。。
でも、これがなかなか進まず。。。
そこで、これは自分で何とかするしかないと、いろいろと調べて取り寄せて、初めて襖の貼り替えに挑戦。
御正忌報恩講までにきれいになればと思っていたけれど、意外と簡単に。
これなら他にも少しずつ出来るかも。
1月10日(水)
今日の昼席より、小坪説教所の御正忌報恩講。
朝パラパラと雨が降っていたので、心配されたけど、お昼には青空。
昨年、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の記念法要があちらこちらであったけれど、今年が立教開宗800年の年。
と言うことで、立教開宗の「元仁元年」の話より正像末の話。
そして夜席。
『正像末和讃』の冒頭
康元二歳(丁巳)二月九日夜寅時夢に告げていはく
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり
の和讃に、「この和讃をゆめにおほせをかふりてうれしさにかきつけまいらせたるなり」と、親鸞聖人85歳の時に書かれた草稿本には添えてあるそう。
そのお味わいより。
今年はまだまだ寒さがマシかも。
明日の朝席で御満座。
ようこそのお参りでした。
1月8日(月)
コロナ禍でずっと出来なかった仏教壮年会の新年互礼会。
今年、久しぶりに開催。
元旦に能登半島地震、2日に日航機衝突事故、3日のお通夜にはじまり、今日まで5日連続、6件のお葬式。。。
なかなかハードな年の初め。
そして、明後日から2日間、小坪説教所の御正忌報恩講。
そして14日から16日まで、自坊専徳寺御正忌報恩講。
本堂でおつとめをし、挨拶での一言。
このたびの日航機衝突事故で、日航機に登場していた乗客・乗組員は全員無事脱出。
これは、CA(客室乗務員)のみなさんの的確な判断、的確な指示。日頃の訓練の賜物。
1月26日、石泉文庫の防火訓練開催予定。
改めて、毎年行っているこの訓練の重要性を。
そして、どうぞみなさんのご参加を。と。
今日は少し冷え込んできた中、本堂にて会食。
金障子で締め切った御内陣とストーブをつけた外陣の気温差が大きく、御内陣の金障子を締めた状態で天井のファンを回すと、金障子がスーッと全開になる。。。
これは何とも想定外。
今日は久しぶりの互礼会と言うこともあり、過去最多の出席者だそう。
一番の年長者が86歳。
でも、参加者で一番お元気。
どうぞ体調に気をつけて、今年もともに『歎異抄』、親鸞聖人のみ教えを。
ようこそのお参りでした。
1月5日(金)
今朝の朝日新聞朝刊、「折々のことば」に、
ミジンコにはミジンコの都合がある
なかなか味わい深いことば。
今日は郷原浄光寺御住職の御葬儀。
令和6年1月3日、ご往生。
ちょうどその1ヶ月前の12月3日、浄光寺御住職よりお電話をいただいている。
10月に開催された法中会よりお姿を見なくなり、次の11月の法中会で組長よりおからだが悪い旨報告が。
そして、12月の法中会。
その時に事務担当の私が配布した〈12月、1月の行事予定表〉に、1月の聞名講のことを記していた。
予定では御講師の担当に当たっていたのが浄光寺様。
それで、法中会にて誰か代わりを立てることに決まった。
その翌日、法中会の資料をご覧になって、わざわざ連絡を。
「昨日の法中会で代わりを立てることが決まったので、聞名講担当の私が代わりをつとめさせていただきます」とお伝えしたら、大変安堵されたようで、
「どうぞお大事に」
「ありがとう」
「それでは失礼します」
が最期に交わした言葉となった。
最期の言葉が「ありがとう」だったことが心に残る。
こちらの勝手な思いではあるが、何時でも「ありがとう」が最期の言葉だったらいいなと。
いろいろと御世話になりました。
以前総代様より、郷原の浄光寺に宇都宮黙霖撰文の石碑が建っていると聞いたことがあった。
中光浄誓翁碑
その一番最後に記されているのが
勧学 利井鮮妙師
撰文 芸陽雪渓学人 宇都宮真名介
これまでなかなか来ることも見ることも出来なかったので、帰りに写真だけ。
これも有難いご縁。