5月5日(木)
今日はこどもの日。
とはいえ、朝から夜まで一日中法務。
広までのこの道を何往復したことだろう。
今は移転してしまった産業技術総合研究所前の藤が満開。
車で通り過ぎるホンの一瞬、生命の息吹にホッとする。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
5月1日(日)
今夜は、専徳寺で月に一度の法中会。
今回も議題の中心は東日本大震災に関連したこと。
そのなかで、「義捐金」と「義援金」の違いについても触れられる。
「義捐」とは、明治時代に作られた和製漢語。
「義」は、正しい行い。公共のために力を尽くすこと。
「捐」は、すてる、すてさる。
「義捐金」とは、正しい行いのため、公共のために捨てる金を意味するのだと。
それが、戦後の国語改革のなかで、「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と表記するように。
今使われている「義援金」という表記は、新聞協会による独自の基準で定めた言葉だそう。
ただ、現在一般的には「義援金」で認識されている。
そこで、分かりづらい表現をとらず、「義援金」と表すことに。
呉東組で今日の法中会に集まった義援金は、
3,757,500円
組内16ヶ寺で震災以来それぞれに集め、持ち寄った額である。
専徳寺では、3月の春季彼岸会の法座中に、義援金箱を設置して集めさせていただいた
97,500円
を納めさせていただいた。
それと長浜仏教壮年会から10,000円。
今日集まったお金は、広島別院に届けられ、「浄土真宗本願寺派 安芸教区 寺院・門信徒一同」として、安芸教区全体より集まった義援金と一緒に、このたびは中国新聞社へ納められることに。
ただ、これで終わりではなく、第一回目。
これからも、引き続きそれぞれに募金活動を行っていく。
その助けとなるか分からないが、私の作った「願」のバッジ。
先日、組長(そちょう)さんに報告したところ、法中会で紹介して欲しいと依頼があった。
今日、法中のみなさんに紹介したところ、これを呉東組全体で取り組んでいこうと話をいただく。
その第一弾として、5月11日から呉東組750回大遠忌団体参拝に行かれる方の輪袈裟、式章に付けていただくことになった。
この「願」のバッジ。
今の日本人にとって、一番求められているのはカタチ。
放射能などの目に見えないものに対する不安、先の見えない不安。
見えないものに対する不安があるからこそ、目に見えるものに安心感を覚える。
だからこそ、「願」というバッジでカタチにしてみた。
5月に150名ほどの参拝者が、胸に「願」をいただいて本山に。
相手を思う気持ちを大切に。
ともにがんばろう。
5月1日(日)
午後から広島の福屋八丁堀店に『手塚治虫展』を見に行く。
5月28日より映画『ブッダ』が公開されるのと、鉄腕アトムデビュー60周年を記念して。
手塚治虫の作品には、それぞれメッセージが込められている。
手塚アニメは『西遊記』に始まった。
三蔵法師と出会う前、孫悟空が天界で大暴れしてる時、お釈迦さまの掌から抜け出せるか、賭けをしたところ、觔斗雲に乗って天の最果てまで行き、その最果てと思っていた五本の柱に「斉天大聖至此一游」と書き記し、立ち小便までして帰ってくる。
でも、戻ってみると、その柱はお釈迦さまの手の指だった。
『西遊記』といえば、このシーンを思い出す。
この孫悟空は、現在の人間の姿にダブって見える。
科学はどこまでいっても思議の世界。
自分を超えた不可思議なる存在を知るからこそ、人間は自らの慢心に気づかされるのではないだろうか。
想定外。
この言葉を何度聞いたことだろう。
手塚治虫の描いたブッダが、アニメとしてよみがえった。
それが、どのように描かれているかは分からないが、今の時代に何らかのメッセージを届けてくれるのだろうか。
今夜は専徳寺で法中会。
4月28日(木)
今日は午後から長浜小学校の参観日とPTA総会に。
今日が震災で3月11日に亡くなられた方々の49日。
総会に先立って、6年生の児童による東日本大震災の募金活動が行われた。
6年生の児童が話し合い、情報を集めるなかで、募金活動をしようと決めたのだそう。
子どもたちの思いやりのバトン。届いて欲しい。
今年度で長浜小学校の名前が無くなり、来年度からは隣の小坪小学校と統合し、「広南小学校」として新たに出発する。
それに合わせて長浜中学校も「広南中学校」と改名されるそう。
これは6月の議会で正式決定する見通し。
ということで、今日が長浜小学校として最後のPTA総会。
これからあることすべてが最後。
総会でPTA副会長に正式決定し、長浜小学校の最後と広南小学校の最初に立ち会えることに。
これも大切なご縁である。
長浜の子ども、小坪の子ども、みんなが安心して学校生活を送れるように少しでも手助けが出来ればと思う。
4月26日(火)
日曜日の呉市議会選挙も終わり、一段落。
昨日から「カープ坊主」と検索をしてこのブログにアクセスしていただいた方が急に増えてきた。
3月に「新しい風」と題し、広陵東組が親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要の記念品として出したカープ坊主のグッズを紹介したのだが、それが何故急に増えたのだろうと思ったら、・・・
神も仏も広島を応援している!?
好調の原因は「カープ坊主」にあり。
と、こんな記事が紹介されたことから感心を持たれたのだろう。
確かにお寺さんには熱心なカープファンが多い。
この呉東組も、ここ数年は納涼会でマツダスタジアムの試合観戦。
昨年は7月1日巨人戦。
私も長男を連れて参加した。
それまで1勝もしていなかった巨人相手にマエケンが投げ、5-1で巨人戦初勝利!
それ以来、息子のカバンには18番のユニホームストラップ。
今夜もそのマエケンで阪神に勝利。
すでに7月の呉東組納涼会は、阪神戦を観戦することに決定している。
原爆で焼け野原となった広島に元気を与えたのが広島カープ。
関西大震災の後、神戸に元気を与えたのがイチロー選手のいたオリックス。
スポーツはいろんなメッセージを与えてくれる。
このたびの東日本大震災後も、スポーツアスリート達がメッセージを送り続けている。
頑張っている姿は活力を与えてくれる。
すべては縁。
カープの快進撃で、カープ坊主が注目された。
カープ坊主が注目されたことで、このブログにつながった。
それも一つの縁でしょう。
4月24日(日)
一昨日、長浜小学校のPTA歓送迎会がここ専徳寺集会所で開かれ、その席でブログのことを紹介したら、早速小学校の高橋先生がご覧になり、コメントを寄せてくださった。
昨年の石泉文庫虫干し法座の時、当時高橋先生が担任をされていた6年生の児童が、地域学習で虫干しを手伝ってくれた。
法座は昨年7月13日夜席から16日朝席まで開かれたが、当初予定していた14日の朝席の後の石泉文庫から本を運び出す作業が、雨のためにできなかった。
それどころか、大雨洪水警報が発令され、朝席が終わった後、バケツをひっくり返したような大雨。長浜でもところどころで土砂崩れが発生した。
小須磨墓地では裏山が崩れ、大きな被害が出た。
地盤もかなり緩んで危険なため、夜席を急遽中止。
その代わり、臨時の総代会を開いて、墓地のことについて話し合った。
翌15日も雨で運べず、最終日の16日にようやく虫干しをすることに。
朝から6年生の児童が本を運ぶのを手伝ってくれ、その後一緒に虫干し。
そして、石泉文庫のことについて話をさせていただいた。
それから、「午後3時から片付けるので、もし手伝ってもらえる人がいたら手伝いに来てください」と言ったら、放課後にも関わらず、たくさんの児童がかけつけてくれた。
そんなこともあり、忘れられない虫干しとなった。
地域学習の一環としてこうした行事に参加していただくことは、大変貴重な体験だと思う。
何しろ、日本の歴史を動かしたと言っても過言でない人物“宇都宮黙霖”の書いた書物などを実際に触れることは、現代社会においてほとんどないことだろうから。
本来なら貴重書であるため、大切に保管しておくべきものなのかも知れないが、これらの本はこの長浜の地で毎年虫干しをしながら守られてきた。
この“みんなで虫干しして守っていること”自体がすごいことなのだと思う。
これらの本に触れ、またそれを守っていく虫干しに参加したことで、いろんなことを感じて欲しい。
これも大切なご縁である。
4月19日(火)
今日は肌寒い一日。
永代経法要の案内を配ってもらうための準備。
専徳寺では、春の永代経法要と秋の報恩講法要の年2回、総代・世話係の方にご足労いただいて、案内を配っていただいている。
その時、本願寺から春と秋に送られてくる『安穏 ~京都からのメッセージ』という新聞も一緒にお配りしてもらっている。
この『安穏』は、今月始まった750回大遠忌に向けて、2007年秋から続いている新聞で、今回が第8号になる。この新聞は10号までの予定なので、来年春まで続く。
今日はとりあえず長浜以外の世話係に届けていただく数を準備。
明日長浜の準備をすれば、一段落。
このたびの案内と一緒に、総代・世話係の方へは先日の「願 ともにがんばろう」の缶バッジを添えて、近々届けていただく。
そこから連休までにすべてに行き渡ることになるだろうか。
お世話いただく総代・世話係の方へ感謝[E:confident]
4月13日(水)
今日、発注していた缶バッジが届いた。
1ヶ月前の東日本大震災。
お寺で義援金は募っているものの、ほかにお寺としてできること。
それをいろいろ考えて・・・、たどり着いたのは伝えること。
お寺は伝道の道場、そして聞法の道場である。
それを形に示すため、缶バッジを制作してみた。
「願」の一字。
そして、「ともにがんばろう」のメッセージ。
この「願」の字は、親鸞聖人の真筆聖教よりいただいた。
「願」の右側には読み方を表す「クワン(がん)」、左側には意味を表す「子カフナリ(ねがうなり)」と書かれている。
この「願」は、私たちの願いではなく、阿弥陀仏の願い。
阿弥陀仏の願いをこころにいただく。
それが信心であり、それを形にしたのが念仏「南無阿弥陀仏」である。
親鸞聖人は、まず信心をいただいて念仏を称え、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と願うのがよいでしょうと手紙のなかに記された。
阿弥陀仏の願いをこころにいただいたら、このたび被災された方々の心に寄り添い、ともにがんばろう。そんな思いからこの缶バッジが生まれた。
「その気持ちをカタチに」
この言葉が話題になっているということは、今カタチにすることが求められているということ。
このバッジ。
近々総代・世話係の方にまずお配りしよう。
そして、このバッジをつけたいと思われる方に永代経法要等でお配りしよう。
それから6月に親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りするとき、これをつけて参拝しよう。
4月9日から本願寺では大遠忌法要がはじまった。
このたびの法要は、
すべての被災された方々の悲しみに寄り添い思いを分かち合いたいとの願いを持って、4月9日より親鸞聖人750回大遠忌法要をお勤めいたします。
と、御門主様の言葉に示されるように、願いをいただき、願いをもってあうご縁である。
4月12日(火)
午後から青空に誘われて野呂山まで。
野呂山の桜も今が満開。
太陽の光をいっぱいに受け、光り輝いている。
写真愛好家の方にとっても、今日は撮影日和。カメラ片手に桜を追う姿が見られた。
桜といえば、親鸞聖人の得度の前に読んだといわれる
明日ありと思ふこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
を思い起こすが、
花に染む 心のいかで残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
と、出家してもなお桜を愛し、
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
と、生涯桜とともにあった西行法師。
その西行庵のある吉野の桜を訪ねて、学生時代に一度だけふらっと行ったことがある。
満開の下の千本から一人歩いて行くと、中の千本を過ぎた当たりから人がまばらに。
すると、1羽のウグイスが飛んできて、私の目の前の枝に止まり鳴き始める。
それからしばらく、私の前を前を飛び移っては鳴き、数百メートルそれが続いた。
まだ、その頃は蓮如上人のウグイスの話を聞いたことがなく、「法、聞けよ」と聞くことができなかった。
毎年のように野呂山の桜を見に来るが、桜を見るたびそのことを思い出す。
思い出すということは、その声を今「法、聞けよ」と聞いてるのだろうか。
『阿弥陀経』の「今現在説法」のこころである。