呉東組法中会 セミのいのち

7月2日(日)

今日は青空の広がるいい天気に。

ネジバナ、3本咲いている内の1本が捻れていない。
こんなふうに捻れないものもあるのだそう。

 

昨日の御法事での法話で、セミの話を。

先日、Instagramに投稿した穴掘り名人。

朝、ヒマラヤスギの下で穴を見つけ、覗き込んだらセミの幼虫のお尻が見えた。
セミの幼虫って、お尻から出てくるの? 夕方出てくるんじゃないの?
と思いながら見ていたら、穴の中で向きを変え、土を抱えて出てくる。
そして、穴のほとりに土を出して、また穴の中に入っていく。

そして何度も何度も繰り返し、休みもなく、穴をずっと掘り続け、昼に見に行っても掘り続け、夕方姿はないかなと思いながら行くと、今度は穴から外に出てひっくり返っていた。

ひっくり返ってもがいていたので、側の木の根元にそっと置いてあげたのだけれど、翌日羽化することもなく。。。

 

蟪蛄けいこ春秋しゅんじゅうらず、伊虫いちゅうあに朱陽しゅようせつらんや。(曇鸞大師『往生論註』)

セミ(蟪蛄)という虫は、暑い夏に地上に出て来て、その暑い夏に命を終えてゆく。
だから、春や秋、ましてや冬という季節を知らないでいる。
と言うことは、その虫は、今が朱陽の節(夏)であることを知ることができるでしょうか?

私たちは春夏秋冬を知っているから、今を暑いと感じている。
また、数十年前の夏を知っているから、今の暑さを異常と感じている。
でも、このセミの幼虫にとっては、今を暑いと感じていないかも知れないし、そのあと羽化することも、死んでいくことも知らないかも知れないで、ただただ穴を掘っていたのかも。

羽化できずに可哀想。。。と思ってしまうのは、こちらがこのセミのそのあとの姿はこうなるであろうと予測し、勝手に思っていたから。

これだけの穴をずっと掘り続け、それで力尽きて命を終えていったとしても、そのセミは命を精一杯生ききったのかも知れない。

そんなことをふと思いながら。。。

 

今夜は川尻光明寺にて呉東組法中会。

コロナ以前の組内活動に少しずつ戻りつつ。