4月22日はアースデイ

4月22日(木)

今日4月22日はアースデイ(Earth Day)。
地球環境について考える日だそう。

地球温暖化、気候変動、ここ数年の災害。。。

今、広南中学校ではSDGs(持続可能な開発目標)に取り組み、全校生徒の胸にはSDGsバッジ。
1年生の次男も一昨日制服の胸にバッジを付けて帰ってきた。

意識する、考える、バッジを胸につけることで生まれてくるのかも。
ちなみに私も輪袈裟にSDGsバッジ(2代目)。

 

庭に水を撒き、花の世話をしたりする中で、ついつい良いもの悪いものを選んでしまう。
例えば雑草とか虫とか。

昨年までなかったのに、今年になってあちらこちらに咲き出したこの花。

何だかかわいらしく、きれいな花だからそのまんま。

それに対して、名も知らぬ雑草は引っこ抜く。

また、今日蓮の鉢に水を足したら、底の方から何だか得体の知れない奇妙な虫のようなものが蠢いて。
なんだ?これはどうしたものか。。。
と、「水中、長い、幼虫」と検索したら、すぐにハナアブの幼虫だと分かる。
害はないそうだが、見た目で気味悪がられることが多いのだと。
なるほど。。。

いずれにしても、良いもの悪いものは〈私〉の都合。
 

一昨日、調べごとをしていて、禅宗にこんな言葉があるのを見つけた。

春色無高下 花枝自短長
(しゅんしょく こうげなく、かし おのずからたんちょう)

江戸時代中期の臨済宗の僧、白隠慧鶴はくいんえかくの『槐安国語かいあんこくご』より。

春の陽気は高いも低いも関係なく、一様に降りそそがれているけれど、花の枝はもとより短いのもあれば長いのもある。この世のものは何もかもすべてが平等というのではなく、違いがあることを受け容れる、これが肝要。

禅における平等の思想を表すことばだそう。

違いがあることを受け容れる。

若冲の動植綵絵どうしょくさいえ
釈迦三尊像3幅とともに30幅の動植物が描かれ、相国寺に奉納された作品。

お釈迦さまのまわりに鳳凰や魚貝、さまざまな爬虫類や虫までが描かれている。
姿・形が違っても、みんないっしょ。

そういうことなんだなぁと、ちょっと地球環境を考える。

 

 

お釈迦さまの誕生日

4月8日(木)

今日は4月8日、お釈迦さまの誕生日。

とはいえ、専徳寺では特に灌仏会・花まつりをしていない。
昔、日曜学校があった頃、白い象を曳いて花まつりをお祝いしていたのを覚えている。

昔の花まつりの記念写真が見つかった。
私の生まれるずっと前の若かりし父(前住職)や祖母(前々坊守)の姿が写ってる。
そして、後ろに写ったヒマラヤスギの低いこと。

 

その頃にはなかった親鸞聖人像のその前で、

以前、”フェリシモおてらぶ”さんで購入したスノードーム誕生仏。

このたび新しくピンクの誕生仏も発売されたので。

そして、初転法輪スノードームも。

コロナ禍で、賑々しくは出来ないけれど、せめて。

 

いつもなら4月8日に予定されている仏教壮年会総会も延期。

その代わり、会長さんが広郷土史研究会の会報第86号(平成20年7月1日)に掲載されていた『長浜で息づく地域共同体 =石泉和上と石泉文庫=』(日本マスコミュニケーション学会員 荒本昱夫氏)を壮年会会員のみなさんにぜひ読んでいただきたいと回覧されたのだそう。

どうやら、私がその前の同研究会の例会で石泉僧叡和上と石泉文庫のことを話したことから、それをもとに長浜に息づく大切なことを会報に。

天上天下唯我独尊

ひとり存在しているのではなく、つながりあった尊いいのちをそれぞれに。

 

 

彼岸の入り

3月17日(水)

暑さ寒さも彼岸まで

とは言うものの、今日の気温は20℃。
汗ばむほどの陽気に。

昨年植えた薄墨桜。
ここに来て蕾がいっぱいと思ってたら、どうやら新芽。
今年の花はまだのよう。。。

今年どこまで成長するかな。

今年の春季彼岸会は3月20日の彼岸の中日に朝9時よりおつとめだけ。
おつとめして、法話の代わりに『念佛日和』特別号をお配りする予定。
この薄墨桜の話から「我慢と辛抱」のお話を。

 

また、先月総合的な学習の時間で専徳寺・石泉文庫へとやってきた広南小学校3年生のみなさんからのお礼状をいただいた。

みんなきれいな字でしっかりと。

実際に石泉文庫に入って、宇都宮黙霖の書いた本を手にとって見ることができたのが印象に残っているみたい。
「3年後の虫干しを楽しみにしています」と書いてくれている子も。

小学校6年生になったら、ぜひともお手伝いお願いします。

 

わたしのお寺

3月16日(火)

荷物を整理していたら、10年前の親鸞聖人750回大遠忌のおみやげ用に買った丸西宗教織物さんの『わたしのお寺 お坊さんと一緒』というパズルが出て来た。

10年経っても、杉の香り。

10年前は諦めたが、調べてみたら、「箱入り娘」と言うパズルと配列が一緒で、解き方がYouTubeにも。ただ、箱入り娘とは上下が逆なので、これが難しかった。。。

何度も何度もやり直して、何とか攻略。

せっかくなので、初めてタイムラプス撮影。

 
 
 
 
 
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浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿

 

何故、阿弥陀さまだけが極楽浄土?

自力でいくらがんばっても、私には往くことの出来ない世界。
ひょっとして、阿弥陀さまの通り道を邪魔してるかも?

だいじょうぶ。

自力で往けなくても、阿弥陀さまの願いはちゃんとここに届いているから。

そんな、深いゲームだったとは。

 

正信念佛偈

3月8日(月)

来たる令和5(2023)年、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年をお迎えする。

それに向けて、いろんなところで動きが。

真宗大谷派(東本願寺)では、『親鸞聖人の自筆にふれる 正信念佛偈』という本を出版されたそうで、お取り寄せ。⇒《東本願寺出版HP》

坂東本と呼ばれる国宝『教行信証(顕浄土真実教行証文類)』の正信偈をカラーで掲載。

親鸞聖人のお心を。

 

 

 

換気の可視化

3月4日(木)

先日、呉東組聞名講の委員会が専徳寺で行われた。

久しぶりに多くの人が集まる中で、次に向けていろいろ考える。。。

CO2(二酸化炭素)濃度測定器

1月に広南中学校で開かれた学校関係者評価委員会。
授業参観させていただいた時、授業中に教室内で二酸化炭素の濃度検査を行っているのを見かけた。
そして、その後、広島のとあるお店に伺った時、何やら見たことのない機器が置いてあったので、何かな?と調べてみたら、二酸化炭素濃度測定器だと分かった。

二酸化炭素濃度を調べることで、換気の可視化が出来るとか。

〈見えない不安〉

昨日のぶろぐにも書いたように、〈見えるカタチ〉に〈安心〉を求めている。

そんなことを思いながら、CO2濃度測定器を調べたら、高価なものもあるけれど、何と最安値3800円で手に入るものがあると知り、ものは試しに注文したのが早速届いた。

午後から本堂で法事があったので、本堂に置いてみた。

少し戸は開けていたのだけれど、お参り中に「ピー、ピー」と警告音。
でも、途中で止めるわけにもいかないので、法事が終わって測定器を見てみたら、何と1600ppm!

一般的に1000ppmを超えると換気が必要とされているのに。。。

そして、石油ストーブを切ると、あっという間に2000ppmを超えてしまった。。。

戸を開け広げて換気すると、みるみるうちに下がっていったけど、まさかまさかの結果。

3密を防ぐために椅子は距離を保ち、換気もしてるつもりだったのに。。。

何はともあれ、とりあえず、これでひとつ課題が見えた。

 

 

 

 

3月3日 耳の日

3月3日(水)

3月3日は、桃の節句、ひなまつり。

そして、耳の日。

「耳の日」は、耳や聴力について多くの人の関心を集めること、そして難聴と言語障害をもつ人たちの悩みを少しでも解決することを目的として、日本耳鼻咽喉科学会の提案により1956(昭和31)年に制定され、それから約50年後の2007(平成19)年に、WHOが3月3日を「International ear care day」(国際耳の日)とすることを宣言。

宇都宮黙霖が、聴力や言葉を失っても、国を変えるために奔走した話は、この広南地区では小学生でも知っている。

でも、「耳で聞く」ことは目に見えないので、なかなか理解されにくい。

 

このコロナ禍で、目に見える“形”が求められているように思う。

マスクやアクリル板、そして日々の検温。
目に見えるカタチで目に見えない新型コロナウィルスの飛沫感染リスクを抑えると言うように。

そんなことを考えてると、10年前の東日本大震災の後、連日ACジャパンのコマーシャルのこの言葉を思い出す。

「こころ」は
  だれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える

「思い」は
  見えないけれど
「思いやり」は
  だれにでも見える

その気持ちをカタチに

この言葉は、宮沢章二さんの『行為の意味』から抜粋されたもの。

  行為の意味
             宮沢 章二

あなたの心はどんな形ですかと
人に聞かれても答えようがない
自分にも 他人にも心は見えない
けれどほんとうに見えないのであろうか

確かに心はだれにも見えないけれど
心づかいは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の思いは見えないけれど
思いやりは見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
「心」も「思い」も、初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ

見えることで少しでも安心できる世界もある。

そう思って、当時「願」バッジを作り、組内寺院にも御協力いただいて合計1100個の「願」バッジを制作。

カタチにすることも大切なことだと、その時に学んだ。

 

そして、コロナ禍でマスク着用が日常となった時、すぐに思い浮かんだのが、対話支援スピーカー『コミューン』の使用。

昨年4月に導入して、外にお参りに出る時は必ず持参。
葬儀会館でもマイクを使用しないこともあったりするため、マスクとコミューンは忘れずに。

マスクやアクリル板があると、どうしても聞こえづらくなる。
特に「sh」「h」「t」の子音は聞こえづらくなるそうで、例えば「11日」と「17日」を聞き間違うことも。「じゅうしちにち」と言ってるつもりが、「じゅういちにち」と聞こえていたり。

でも、聞こえづらいからと言って、ただただ大きな声を出せばいいと言う訳でもない。

ますます聞こえづらくなったり、うるさく感じたり、怖く感じたり。。。

聞こえやすい声を届けることで、ちょっとした安心感を持てるのでは。

 

お参りの後、時々コミューンのことをお尋ねになられるので、聞こえの話を知ってる範囲でお応えするのだが、すると「子どもや孫が来た時に、テレビの音量が大きくなってると注意されます」とよく聞く。
誰でも年を重ねると、だんだん聞こえる音域が狭まってくる。
その聞こえにくくなった音域を補聴器で補うことが出来るのだけど、日本では補聴器を使う人が海外に比べるとまだまだ少ないらしいので、結局音量ばかりが大きくなってしまい、その音量さえも分からなくなってしまう。

〈伝える〉側が〈聞こえ〉を考える

3月3日、今日は耳の日。

 

節分

2月2日(火)

久しぶりのぶろぐ更新。
ぶろぐが止まったので、心配してお尋ねに来られたので。。。

例年御正忌が終わると、呉東組総代会の新年会、呉東組仏教婦人会連盟の新年会、呉東組聞名講、そして専徳寺総代会の新年会と立て続けにいろいろ続くけど、今年はまだまだコロナの影響ですべて中止。(今月の仏教壮年会の例会も中止。)

今日は節分。

例年2月3日だけど、今年は明治30年以来124年ぶりの2月2日の節分だとか。

節分だからと特にお寺ですることはないのだけれど、この時期になると毎年「鬼」について考える。

本来なら、今流行の映画でも観て、「鬼」について考えるのかも知れないけど、なかなか映画館に。。。

時間が出来たので、本を買い求めて読むようになった。

〈こころに響くことば〉を求めて、
久しぶりに妙好人のことを。

 『妙好人 千代尼』(西山業史 法蔵館)
 『妙好人 因幡の源左』 (柳 宗悦・衣笠一省 編 百華園)
  ※妙好人のことについては、こちらに詳しく。→山陰教区HP

浅原才市さんなど馴染みのある山陰の妙好人のお話はよく聞かせていただくのだけど、他所の妙好人についてはお東(大谷派)であったりすることもあってか、あんまりご縁がないなぁと。
そこで、まずは加賀の千代尼(千代女)について。

朝顔に つるべ取られて もらい水 (35歳の時、「朝顔や」に変更。)

この俳句はどこかで聞いたことがあるなという程度だったけど、

とんぼ釣り 今日はどこまで 行ったやら

という句を小林一茶が『おらが春』に引用。

子をうしなひて
蜻蛉釣り けふはどこ迄 行た事か (かが)千代

この句は千代女のものでないかも知れないそうだけど、一茶は千代女の句として引用。
一茶自身が我が子を亡くし、「露の世は 露の世ながら さりながら」と詠んだあと、〈やんごとなき人々の歌も、心に浮かぶままに、ふとしるし侍りぬ〉と、子を亡くしたり親を亡くしたあとに詠んだ先人の句を列ねる中に。

一茶のことを一時期調べたことがあったけど、今改めて読み返すと、以前とはちょっと違った思いを。
それは、『おらが春』が書かれた年齢と自分の年齢が近くなったこともあるし、いろんなご縁に出会ってきたからかも。

 

もう一冊の源左さんの本は、新品同様の本があったので入手。
こちらはちょっと読み馴れるまで時間がかかりそうかな。

そして、『ジャイビーム』DVD。
12月末に届いていたけど、こちらはなかなか観ることができず。。。

今日は、節分。

〈鬼は外 福は内〉でなく、

〈鬼はここ 福もここ〉

ご縁次第で、鬼も福もここに。

 

 

 

部分日食

6月21日(日)

今日は午後4時頃から部分日食。

しかも、予報では晴れ。
これは絶対見れるだろうと、食品トレーを使ってピンホール投影機を作ろうと考えた。

ただ、朝からずっと曇った状態で、太陽が顔を見せないため、これは無理なかぁと野球をテレビ観戦しながら諦めかけていたら、太陽が出てきた!

急いでトレーに爪楊枝を突き刺してピンホールを開ける。

太陽が当たるのは、鐘楼のあたり。

次男と一緒に撮影開始。

太陽が出たり隠れたり、欠けた写真が撮れないなぁと、5時前に雲がかかってきたので一度帰宅。

ネットで見ると、5時頃が食の最大とあったので、もう一度外に。

すると、雲が切れて太陽が出てきた。
そして、はっきりと見えるようになって
三日月みたいなのがいっぱい。

次は10年後だそう。
10年後、どんな世界になってるだろう。
世のなか安穏でありますように。

 

 

黒板消し

6月11日(木)

今日は雨。

先日黒板を塗りなおし、初めての試し書きをしてみた。

でも、これまで使っていた黒板消しで消すと、残念ながら汚くなってしまう。。。

え~!?塗りなおし??

と思ったけれど、何かいい方法があるんじゃないかと調べてみた。

すると、黒板を拭くにはマイクロファイバーがいいと。

そこで、マイクロファイバーの黒板消しを探すのだけれど、ない。。。

いろいろ探して、ようやくハンドル付きマイクロクリーナーという掃除用品を見つけた。

ハンドル1個とマイクロファイバーのスポンジが5個も付いて、送料無料で700円弱。

黒板がダメでも掃除に使えるから、試しに取り寄せてみた。

これがなかなかいい感じ。

これだと洗うこともできるし、持ちやすく消しやすい。

何でこんな黒板消しがないのだろう?
あっ!
こんな古い黒板、どこも使っていないからかな。。。

でも、マイクロファイバーの丸い黒板消し、おすすめ。

 

今日は久しぶりに広島別院。
昨年度まで実践運動教区委員としてサンガ部会に参加していたけど、今年度は委員を退き、新しくできた呉東組重点プロジェクトリーダーに就任。
ただし、サンガ部会は引き続いて所属。

コロナの影響で、昨年度までと同じことができなくなった中で、何ができるか。
いろいろと出来そうなことを他の人から聞く。
これもありがたく、大切なことかな。

できることを一つずつ。