白石説教所報恩講 1日目

12月10日(日)

3年に一度まわってくるご縁。

白石説教所の報恩講法座に。

今年から夜席がなくなって、朝席・昼席、朝席・昼席の4席。

夜道はイノシシが出たり、いろいろと大変だということで。

朝席は8時から。 今朝はそれほど寒くもなく、お勤めに続いて。

年もはや 穴かしこ也 如来様

今年も「あなかしこ あなかしこ」、終わりが近づいてきた。

ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

阿弥陀さまの光に照らされ、いろんなことのあった一年を、おかげさまで振り返り、、、

涼しさや 弥陀成仏の 此のかたは 花さくや 弥陀成仏の 此のかたは

寝ても覚めても「弥陀成仏のこのかたは」をいただかれた小林一茶。

このたびは、その『浄土和讃』のおなじみのご和讃についてのお味わい。

昼席は1時から。 途中で雨。

「有量の諸相ことごとく」

何でも天秤にかけ、善か悪か、また損得勘定でものごとをついつい量ってしまう私だからこそ《なもあみだぶつ》が。

 

ようこそのお参りでした。  

2017年12月10日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会法座 3日目

12月1日(金)

今日から12月。

今年最後の仏教壮年会法座も今朝で御満座。

朝席では、昨日の『歎異抄』後序の

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐・・・

の話の続きより。

そのなかで、「智慧」と「知恵」の違い。

そして「報謝」と「感謝」の違いをお聞かせいただく。

その報謝には《嗜む》心がそなわると。

 

何だか、心が今日の空のように晴れてきた。

続いてようこそのお参りでした。

 

法座の後片付けをし、報恩講参りを終え、広南小学校の持久走大会の応援に。

あんまり前年度の記憶がないので、次男に尋ねると、その日は風邪で休んでたと。 ホントだ。

ぶろぐで振り返ると、風邪で早退したから、私だけ給食試食会に出て、ビデオに収めて帰ったみたいだけど、我が子がそこにいないと、記憶からは消えてしまって。。。

寒い風邪の流行る時期を避け、今年は早く行ったとのこと。

保護者や地域の方の応援もあるからか、みんな随分張り切ってスタートしてしまい、辛そうになりながらも頑張って最後まで。

       

2017年12月1日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会法座 2日目

11月30日(木)

今日は1日曇り空。

昨夜に引き続いて、仏教壮年会法座。

朝席では、昨日の「信謗ともに因となりて」の「信」の話より。

信とは、「タノム」の意。

「タノム」とは《おまかせ》のこと。

《おまかせ》と口では簡単に言えても、なかなか、おまかせ出来ないのが常。

それを、ほんとだなぁと、うなづきながら聞くのだけど。。。

それもこれも浄土の縁。

 

昼席では、

つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」と。(『改邪鈔』)

の親鸞聖人の口ぐせより。

死に様を問わなかった教信沙弥(786~866)。親鸞聖人よりも随分前のお方。

そのお方との時空を超えた「出遇い」について。

 

夜席は、

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐・・・(『歎異抄』後序)

と出て来る親鸞聖人の口ぐせの話より、著者と言われている唯円坊と親鸞聖人の出遇いを。

いずれもいずれも、自らの体験を通して分かりやすくお取り次ぎしてくださり、南无阿弥陀佛といただくばかり。

ようこそのお参りでした。

明日の朝席で御満座。お誘いあわせてお参りを。

2017年11月30日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会法座 1日目

11月29日(水)

パラパラと小雨混じりのどんよりとした1日。

早いもので、今夜から今年最後の法座となる仏教壮年会法座。

御講師は、呉西岸寺の長岡正信師。

浄土真宗は聞く教えとの話より、今夜は親鸞聖人の口ぐせを。

つねに門徒に語りていはく、「信謗ともに因となりて同じく往生浄土の縁を成ず」と。(覚如上人『報恩講私記』)

お母さんのお聴聞のご縁となった親子の涙の話をお聞かせいただく。

何ごともご縁だなぁ。南无阿弥陀佛の。

ようこそのお参りでした。

明日もお誘いあわせてお参りを。

2017年11月29日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

報恩講法要 3日目

10月16日(月)

今日も雨。しかも肌寒い。

それでも、朝早くから庫裏ではお斎作り。

 

専徳寺報恩講のお斎は、持ち帰り用の大きなおにぎりと煮染めのパック。

今年は800食分を用意。

朝席で、笑顔の話から小泉八雲のことがちらりと。

後で調べてみたら、日本人の微笑について、こんなことを。

日本人のように 、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は 、他の文明国にはいない 。人生の喜びは 、周囲の人たちの幸福にかかっており 、そうであるからこそ 、無私と忍耐を 、われわれのうちに培う必要があるということを 、日本人ほど広く一般に理解している国民は 、他にあるまい 。(『新編 日本の面影』日本人の微笑より)

悲しい時も辛い時も、どんな時でも相手のことを思っての笑顔がそこに。 今はどうだろう。。。

和顔愛語 先意承問

いつの時代にも、仏さまのこころをいただいて、笑顔でいたいもの。

 

昼席は、善通寺御住職を導師に、住蓮寺御住職・浄円寺御住職・広真光寺御住職・呉専徳寺御住職をお迎えしての法要。

そして、御満座の席でも笑顔笑顔。

無事、皆さまのおかげで報恩講法要を終えることができました。

ありがとうございました。

そして、足もとの悪い中、ようこそのお参りでした。

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また、今日は広南中学校が一昨日の文化活動発表会の代休。

先日、広南小学校の読み聞かせの募集をすると、何と!休みにもかかわらず7名の生徒が名のりをあげてくれ、今日の読み聞かせを各学年でしてくれた。

聞くところによると、いつもよりも子どもたちが静かに聞き入ってたとか。

後ろ姿を見せる。

この中学生の姿を見て、後輩の小学生たちは何を思うかな。

笑顔で手を合わせ、お念仏を申す後ろ姿。見せておきましょう。        

2017年10月16日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

報恩講法要 2日目

10月15日(日)

雨の日曜日。

昨夜に続いて報恩講法要。

 

朝席では、白楽天が鳥窠道林禅師に仏教とはどんな教えか問うたところ、七仏通誡偈の

諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸佛教

を示した。

それを聞いた白楽天は「そんなこと3歳の子でも分かるわ」と返すと、「3歳の子でも分かることが、80歳にしてもできないのだ」とたしなめられた話より。

悪いことをつつしみ、良いことを行う。ただそれだけ。

それが、分かっちゃいるけど。。。

 

朝席が終わると、庫裏では明日のお斎に向けての準備。

そちらはおまかせして、こちらは法事2件。

どちらも小さなお子さんが一緒にお参り。

ただ、いつもと違ったのが、「まだ〜?」が後ろから聞こえてこず、帰りに玄関先まで見送ってくれて、「楽しかったよ」と笑顔で手を振ってくれる。

こちらは楽しい話は一切してない。

でも、日頃会うことのない一族が集まって、同じ方向に向かってみんなで手を合わす。

それが「楽しかったよ」だったのかな?と、勝手に思ってこちらも笑顔で応える。

  昼席も引き続いて。 話に出てきた、中国新聞の記事。

記録しておいてよかった。

伝え聞かせていただくことの大切さ。 昨日の広南劇場でもそれを感じたなぁ。

  「隣りに座っているお方も未来の仏さま」。

みんなが笑顔になれる魔法のような一言をいただいて。

夜席は、『御伝鈔』の拝読をはさんで、前席と後席。

笑顔の向こうにある「お浄土」の話。

みんな山あり谷ありの人生だけど、笑顔っていいなと思うご縁を。

ようこそのお参りでした。

2017年10月15日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

報恩講法要 1日目

10月14日(土)

広南劇場から帰宅すると、報恩講の仕度。

本堂への渡り廊下には、竹あかりを使ってお花が用意されていた。

本堂御内陣の荘厳も最終チェック。

 

そして、夜席より報恩講法要。

このたびは、三次市善徳寺 長谷川憲章師。

前回同様、笑顔笑顔の御法話を。

朝の連続テレビ小説も、先日から『わろてんか』。

人生には笑いが必要だ!がテーマだったなぁ。。。

  笑顔でも「死」を語れる。それがお念仏をいただいた人。

「あ~あ~、川の流れのように・・・」 御講師の歌を聞きながら、

「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」

甲斐和里子さんの詩をふと。

 

往き先がすべてに意味を持たせる。

その往き先を示してくださったのが親鸞聖人。

そのご遺徳を偲ぶご縁が報恩講。

ようこそのお参りでした。  

2017年10月14日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 3日目

9月27日(水)

今日の朝席で秋季彼岸会も御満座。

法座中に雨の音。

 

今朝の席では、共感されることから自信が生まれるとのお話より。

自信がなければ、不安になり、迷いが出る。

でも、人から認められたり、共感されると、「大丈夫なんだぁ」と安心感をもち、そこから自信が生まれてくる。

  仏さまは、ともに喜び、ともに悲しんでくださり、その「大丈夫」を私に。

そういうことなんだなぁと。

「老少・善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすべし」(歎異抄)

本堂前の石榴の実。

どんどん大きく、赤く色づいて。

ただ、いつ収穫していいのか分からない。。。

いつが「大丈夫」なのか。。。

そんなこともふと。

 

ようこそのお参りでした。  

2017年9月27日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 2日目

9月26日(火)

昨日に続いて、秋季彼岸会。 日中はまだまだ暑い。。。

朝席では、老・病・死、自分に迫っている現実と向き合うことのお話より。

そして、昼席では、

「我(が)」を忘れることがなかなか出来ないお話より、正岡子規のことば、

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」(病牀六尺)

というお話を聞かせていただいた。

(ちなみに、このことばの続きは、

「因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。 また問ふ。祖師再来の意は奈何。曰、苦。 また問ふ。……………………………。曰、苦。

と、すべて答えは「苦」だそう。)

そんなことを聞かせていただきながら、
「向き合う」というのは、老・病・死を真正面から相対するというよりも、
老・病・死を受け容れて、ともに歩むということなんだなぁと。

  今日は、朝席が終わり、午前中は広南中学校の学校関係者評価委員会に。

1時間、それぞれの教室を参観し、そのあと、いろんなお話を聞かせていただいた。

問題はなくはないそうだけど、学校の生徒と先生、地域も同じ方向にともに歩んでいる。

何だかそんなふうにも。

 

夕方、石泉文庫で写真を撮りたいと、広南中学校の企業企画でもくりんさんが。

薄暗い石泉文庫で写真撮影。

明日のFacebookに載るかな。

 

夜席も、引き続いて「苦」のお話より。

抜苦与楽とはいうものの、なかなか楽にはならないと。

「苦」とともに歩む。お浄土までの道を。

 

ようこそのお参りでした。  

2017年9月26日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 1日目

9月25日(月)

暑さ寒さも彼岸まで。

ただ、今日は天気が良くて汗ばむ陽気。

今夜から秋季彼岸会。

御講師は、呉本通 法眼寺の黒田順真師。

人間は、自分の「死」を知って生きていかなければいけないとのお話より。

 

今朝の読み聞かせで、『げんきでいるからね』という犬の目線で書かれた絵本を読んだ。

その犬、ポケは亡くなった老犬ルポの死が分からなかった。

そのことをふと思い出しながら。。。

 

それと、いつも読み聞かせの時には次男と一緒に登校するので、読み聞かせまで随分と時間がある。

それで、いつも控え室の多目的室にいるハムスターにごあいさつ。

でも、今日行くと、ゲージの横に何やら白い薬の袋。

誰かの忘れものだろうかと、ふと見ると、

「内用薬」ハムちゃん。1日3回と。。。

考えてみると、ここのハムスターもそんなお年かも。 みんな年を取り、死を迎える。

でも、その死とどう向き合うことができるか? これが仏さまの教えにしっかりと。

 

ようこそのお参りでした。  

2017年9月25日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku