仏教婦人会法座 2日目

6月13日(水)

青空のもと、シオカラトンボもやってきた。

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今日は朝・昼・夜と仏教婦人会法座。

朝席で聞かせていただいた

咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根っ子の恩を知れ

どなたのことばか調べてみたが、分からない。
でも、いろんな方がこのことばを紹介している。
こころに響くことばとは、そんなところから生まれるのかな。

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また、昨年の東日本大震災で被災したお寺の娘さんの話を聞かせていただいた。

お寺を失い、住職である祖父、坊守である祖母、そして母を亡くした女子高生が、崩壊したお寺で祖母にプレゼントしてもらったトランペットを吹く。

その写真が新聞に紹介され、話題になったそう。《参考》大谷派 災害V活動のブログ

そして、その写真を見た東京フィルハーモニー交響楽団の方が被災地支援のチャリティーコンサートに出演を依頼し、そこでトランペットを演奏。

ただ、その模様を紹介した『朝日新聞』タイトルが『「負けないで」 岩手の少女 天国の母へ涙のトランペット』。

感動的な話なのに、そのタイトルは・・・。

亡くなられたのは、真宗大谷派寺院の住職、坊守、若坊守。
「天国」ではなく、「お浄土」。

郵便物でも番地が違っていたら、宛先不明で戻ってくる。

行き先だけはくれぐれも間違えないように。

 

ともあれ、こうして個人の話を聞かせていただくと、こころにずんと響いてくる。

東日本大震災で15,861名の方がお亡くなりになったと数字で聞くよりもずっと。

ひとりひとりに名前があり、さまざまな人生が。

 

夜の席で「一子地」の話を聞かせていただいたが、それと重なって聞こえた。

 

明日の朝席で御満座。

ようこそのお参りでした。

 

2012年6月13日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

仏教婦人会法座 1日目

6月12日(火)

昼間ぱらついた雨も上がり、今夜から仏教婦人会法座。

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御講師は、北広島市 本立寺 朝枝暁範 師。

『讃仏偈』に出てくる

正覚大音 響流十方

音が響く。

そのお話をいろいろと聞かせていただいた。

音が響き、こころに届いたとき、それがそのまま現れる。

われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀
連れてゆくぞの 親の喚び声

今日ご紹介のあったこの原口針水和上の詩は、称名正因の邪義との疑いをかけられた大厳師とのやりとりのなかで生まれたそう。《参考》安芸教区ホームページ

 

石泉僧叡和上も一時「称名正因の邪義」と非難された。

どちらも届いた姿(南無阿弥陀仏)を大切にされたこと。

 

いただいたご縁を大切に。

ようこそのお参りでした。

2012年6月12日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

永代経法要 3日目

4月25日(水)

今朝の席で永代経法要も御満座。

良いお天気のなかでの法要。

このたびは、「生死一如」のお話をいただいた。

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花が散ることを誰もが知り、人が死を迎えることも誰もが知っている。

ただ、知ってはいるけど、死を遠ざけ、他人事のように生きている。

「生死出づべき道」「後生の一大事」とは、死んだあとの問題でなく、死を迎える命であるからこそ、今のいのちを大切に生きること。

そのことをお聞かせいただいた。

 

ようこそお参りくださいました。

2012年4月25日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

永代経法要 2日目

4月24日(火)

今日も昨日に引き続いて、朝席・昼席・夜席と永代経法要。

急に汗ばむほどの陽気に。

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親鸞聖人の求められた生死出づべき道。
そして、蓮如上人の後生の一大事。

それをずっと次の世代、次の世代へと伝えてくださった大切なご縁に今。

そして、これからの次の世代に。

 

昨年、御遠忌の団体参拝でお参りさせていただいた比叡山の常行三昧堂の話など、懐かしく聞かせていただいた。

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永代経法要も明日の朝席まで。

お誘いあわせてお参りを。

2012年4月24日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

永代経法要 1日目

4月23日(月)

今夜から永代経法要。

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御講師は、東広島市志和町 光源寺の堀 隆史 師。

人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。

三帰依文(敬礼文)から、何のためにこの世に人としていのちを受けたのか。その糸口を聞かせていただいた。

永代経とは、今出遇えた教えを永代に伝えていくため、そのご懇念をいただくご縁。

以前は、世話を焼いてくださる方がいろんなところにいた。
でも、今ではそれが「大きなお世話」となり、関わりたくない、関わられたくない生き方がだんだんと主流になっている。

 

昨日行われたご縁の会。

ちょっとお寺が世話を焼いてみようと始まった企画。

永代経は後に伝えるご縁。
今私の遇うご縁であると同時に、後のものに対して世話を焼いていくご縁。

大きなお世話かも知れないが、そこには大きな願いも込められている。

明日もお誘いあわせてお参りを。

2012年4月23日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

春季彼岸会 3日目

3月28日(水)

朝席で春季彼岸会も御満座。

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初日は寒かったが、だんだんと寒さも緩み、境内のボケの花も開いてきた。

暑さ寒さも彼岸まで。

 

三國連太郎作品『白い道』を通していろいろとお話をいただく。

ようこそのお参りでした。

2012年3月28日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

春季彼岸会 2日目

3月27日(火)

今日も引き続き春季彼岸会。

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死について考えたことがないというのは、生きることについて真剣に考えたことがないということである。
        (昨年9月の正蔵坊掲示伝道のことばより)

夜席で、御講師が30年ほど前にインドの仏跡を旅し、製作した短編映画を見せていただいた。

 

私も20歳の時、インドの仏跡を訪れた。
初めての海外旅行で、誘われるままに参加。

2週間ほどの行程だったが、初めて訪れたデリーの空港は夜だった。
薄暗い空港内で入国審査を受け、外を見ると真っ暗な窓の外に黒山の人だかり。
バスに乗り込んでホテルに向かうとき、薄暗いなかに自動小銃を持った憲兵の姿。

初めて見る光景に、いきなりカルチャーショック。
2日ほど、ひきつった顔で過ごしていたように記憶する。

そのとき初めて、生きて日本に帰れないかも・・・という不安がよぎった。
私が自分の死を意識した最初の出来事である。

ただ、それが3日ほど経つと、開き直り。
残りどのくらい生きれるのか分からないのなら、そのときそのときを楽しもう!

死を意識して、今生きているいのちを見つめた。

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先日の我聞会で、おもしろい本を紹介していただき、取り寄せた。

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『死にカタログ』

死と向き合うというのは、結局、自分の生き方と向き合うことのようです。

彼岸を思うとき、此岸にいる私は今をどう生きたら良いか。
お彼岸とは、お浄土へ往かれた方を偲ぶご縁ではなく、今の私が出遇うご縁。

春季彼岸会もあと一席。
お誘いあわせてお参りを。

2012年3月27日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

春季彼岸会 1日目

3月26日(月)

暑さ寒さも彼岸まで

とはいうものの、今年はまだまだ寒い。

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いつもなら彼岸会の頃には咲いている白木蓮もまだつぼみ。

 

今夜から春季彼岸会。

御講師は、島根県大田市 正蔵坊 菅原龍憲師。

 

昨年10月に住職継職法要が行われ、住職を譲られてのご縁。

前に生れんものは後を導き、後に生れんものは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。
               ―道綽禅師『安楽集』―

今日は、「倒木更新」の話を聞かせていただいた。

倒木更新

エドマツやトドマツなど針葉樹林で多く見られるそうで、これらの樹木の新芽は、笹などの下草などによって太陽が遮られたり、暗色雪腐病菌に侵されて死滅してしまい、うまく育たないことが多い。それで、倒れた古木の上に新芽を出すことによって、太陽を浴び、倒木が栄養分となり、また倒木に生えたコケが湿度を保つなど、親の木を通していのちが脈々とつながっていく話。

 

いのちのバトンが受け継がれていくご縁。

春季彼岸会は明後日の朝席まで。
お誘いあわせてお参りを。

2012年3月26日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

暑さ寒さも彼岸まで

3月19日(月)

明日20日が春彼岸の中日。

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まだまだ肌寒くもあるが、光はすっかり春めいてきた。

卒業式シーズンで、礼服姿の方がそこかしこに。

小学校・中学校の卒業式も終わり、今週末にはいよいよ長浜小学校の閉校式。

そして、呉市営バスも今月いっぱいで廃止。

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呉市交通事業廃止記念「ありがとう市営バス」記念切手が、ご当地フレーム切手として販売されていたので、郵便局のネットショップにて購入。

その切手の上にあるのが、以前呉市交通局から販売された「呉市営バスオリジナルバスセット」。

バスが大好きな次男には申し訳ないが、これだけは見つからないように。

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

    ―『時代』 ― 中島みゆき作曲・作詞

大学院時代、中島みゆき大ファンの先輩に誘われて、何度か夜会にも誘っていただいた。
そんなことから、ふとこの歌が頭をよぎる。

なくなってしまう寂しさは、どんなことにもつきまとうが、なくなってしまうからこそ、そこに「ありがとう」の思いが生まれる。

 

「彼岸」とは、今の私たちのいのち(此岸)の対岸。
いのちを終えた後の浄土。
亡くなってしまういのちの行く末に思いを寄せるからこそ、今のいのちに「ありがとう」の思いを持つ。

お墓参りをしたり、ご先祖さまを偲ぶことも大切なご縁ではあるが、その方々のご縁を通して今生かされている私のいのちに「ありがとう」。
お彼岸は、此岸の私のいのちのご縁。

 

専徳寺の春彼岸の法座は来週。

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お誘いあわせてお参りを。

2012年3月19日 | カテゴリー : 法座, 長浜 | 投稿者 : sentoku

御正忌報恩講 3日目

1月16日(月)

今日の朝席で御正忌報恩講が御満座。

このたびは、「願い」をテーマに『阿弥陀経』のこころをいただいた。

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今日紹介した話は、東井義雄先生の『「いのち」の教え』より。

住職であり、教育者であった東井先生の本より、親の願いを味わう。

私も二児の父として、この本のことばを味わうご縁が少しばかりととのっただろうか。
それ以前にこの本に出会っても、恐らく今の味わい方とは違っていただろう。

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『阿弥陀経』の「その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ」のことばをいただく。

 

専徳寺の御正忌報恩講が終わり、庫裏で本願寺のインターネット中継で御満座の模様を参拝された方々と一緒に見せていただくことにしたが、少し時間もあったので、550回大遠忌に本山よりお迎えした御絵伝を内陣に上がって見ていただく。

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これもご縁。

そして、覚如上人の『報恩講式』による報恩講作法を見せていただき、法要終了後にはご門主さまの御満座の御消息。

昨年の4月9日よりお勤めして参りました親鸞聖人750回大遠忌法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。
各地から多くの方々にご参拝いただき、65日間115座にわたるご法要を厳粛にお勤めすることができましたのは、仏祖のご加護と宗祖のご遺徳のおかげであり、御同朋御同行の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことにありがたく存じます。
かえりみますと、ご法要のはじまる直前の3月11日、東日本大震災が起こりました。その後も各地で地震・豪雨など災害が続き、大変な1年となりました。被災された方々にこころよりお見舞い申し上げます。法要参拝を楽しみに待ちながら、災害やさまざまな理由で参拝出来なくなった方々のことを忘れることが出来ません。
地球の歴史を考えますとき、自然現象としての地震や豪雨は、数限りなくあったことでしょう。しかし、それが深刻な災害となるのは、人間のあり方・社会のあり方によります。特に今回の原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、のちの世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります。聖人は、凡夫には清らかなこころも真実のこころも存在しないとお示しになりました。それは、阿弥陀如来の光に照らされて明らかになる私の姿です。凡夫の身でなすことは、不充分・不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と精一杯努力させていただきましょう。阿弥陀如来はいつでもどこでも照らし、呼び続け、包んでいてくださいます。本願念仏のご法義は時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が生きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。ご法義を伝え、弘めるための宗門の組織も、社会の変化に応じて変わる必要があります。歴史をかえりみて、受け継ぐべき伝統を確かめ、創造的な活動を育てていかなければなりません。本年4月1日から宗門の体制が改められますのも、時代に即応する営みのひとつであるといえましょう。新しい体制のもとで、ひとりひとりが抱える課題を大切にし、お念仏をよろこび、こころ豊かに生きることのできる社会をめざしましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします。

平成24年
2012年  1月16日

 

新たな歩みを進める機縁。

次の800回大遠忌。
私は恐らく迎えることのないご縁。

でも、このたび家族で参拝したことを、息子たちが800回大遠忌を迎えた時に思い出してくれたら。そして、家族でそのご縁にあってくれたらと。
それが、親としての願いであり、私がいただいた願いである。

ようこそのお参りでした。

 

2012年1月16日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku