3月28日(水)
朝席で春季彼岸会も御満座。
初日は寒かったが、だんだんと寒さも緩み、境内のボケの花も開いてきた。
暑さ寒さも彼岸まで。
三國連太郎作品『白い道』を通していろいろとお話をいただく。
ようこそのお参りでした。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月27日(火)
今日も引き続き春季彼岸会。
死について考えたことがないというのは、生きることについて真剣に考えたことがないということである。
(昨年9月の正蔵坊掲示伝道のことばより)
夜席で、御講師が30年ほど前にインドの仏跡を旅し、製作した短編映画を見せていただいた。
私も20歳の時、インドの仏跡を訪れた。
初めての海外旅行で、誘われるままに参加。
2週間ほどの行程だったが、初めて訪れたデリーの空港は夜だった。
薄暗い空港内で入国審査を受け、外を見ると真っ暗な窓の外に黒山の人だかり。
バスに乗り込んでホテルに向かうとき、薄暗いなかに自動小銃を持った憲兵の姿。
初めて見る光景に、いきなりカルチャーショック。
2日ほど、ひきつった顔で過ごしていたように記憶する。
そのとき初めて、生きて日本に帰れないかも・・・という不安がよぎった。
私が自分の死を意識した最初の出来事である。
ただ、それが3日ほど経つと、開き直り。
残りどのくらい生きれるのか分からないのなら、そのときそのときを楽しもう!
死を意識して、今生きているいのちを見つめた。
先日の我聞会で、おもしろい本を紹介していただき、取り寄せた。
死と向き合うというのは、結局、自分の生き方と向き合うことのようです。
彼岸を思うとき、此岸にいる私は今をどう生きたら良いか。
お彼岸とは、お浄土へ往かれた方を偲ぶご縁ではなく、今の私が出遇うご縁。
春季彼岸会もあと一席。
お誘いあわせてお参りを。
3月26日(月)
暑さ寒さも彼岸まで
とはいうものの、今年はまだまだ寒い。
今夜から春季彼岸会。
御講師は、島根県大田市 正蔵坊 菅原龍憲師。
昨年10月に住職継職法要が行われ、住職を譲られてのご縁。
前に生れんものは後を導き、後に生れんものは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。
―道綽禅師『安楽集』―
今日は、「倒木更新」の話を聞かせていただいた。
倒木更新
エドマツやトドマツなど針葉樹林で多く見られるそうで、これらの樹木の新芽は、笹などの下草などによって太陽が遮られたり、暗色雪腐病菌に侵されて死滅してしまい、うまく育たないことが多い。それで、倒れた古木の上に新芽を出すことによって、太陽を浴び、倒木が栄養分となり、また倒木に生えたコケが湿度を保つなど、親の木を通していのちが脈々とつながっていく話。
いのちのバトンが受け継がれていくご縁。
春季彼岸会は明後日の朝席まで。
お誘いあわせてお参りを。
3月19日(月)
明日20日が春彼岸の中日。
卒業式シーズンで、礼服姿の方がそこかしこに。
小学校・中学校の卒業式も終わり、今週末にはいよいよ長浜小学校の閉校式。
そして、呉市営バスも今月いっぱいで廃止。
呉市交通事業廃止記念「ありがとう市営バス」記念切手が、ご当地フレーム切手として販売されていたので、郵便局のネットショップにて購入。
その切手の上にあるのが、以前呉市交通局から販売された「呉市営バスオリジナルバスセット」。
バスが大好きな次男には申し訳ないが、これだけは見つからないように。
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう―『時代』 ― 中島みゆき作曲・作詞
大学院時代、中島みゆき大ファンの先輩に誘われて、何度か夜会にも誘っていただいた。
そんなことから、ふとこの歌が頭をよぎる。
なくなってしまう寂しさは、どんなことにもつきまとうが、なくなってしまうからこそ、そこに「ありがとう」の思いが生まれる。
「彼岸」とは、今の私たちのいのち(此岸)の対岸。
いのちを終えた後の浄土。
亡くなってしまういのちの行く末に思いを寄せるからこそ、今のいのちに「ありがとう」の思いを持つ。
お墓参りをしたり、ご先祖さまを偲ぶことも大切なご縁ではあるが、その方々のご縁を通して今生かされている私のいのちに「ありがとう」。
お彼岸は、此岸の私のいのちのご縁。
専徳寺の春彼岸の法座は来週。
1月16日(月)
今日の朝席で御正忌報恩講が御満座。
このたびは、「願い」をテーマに『阿弥陀経』のこころをいただいた。
住職であり、教育者であった東井先生の本より、親の願いを味わう。
私も二児の父として、この本のことばを味わうご縁が少しばかりととのっただろうか。
それ以前にこの本に出会っても、恐らく今の味わい方とは違っていただろう。
今現在説法
『阿弥陀経』の「その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ」のことばをいただく。
専徳寺の御正忌報恩講が終わり、庫裏で本願寺のインターネット中継で御満座の模様を参拝された方々と一緒に見せていただくことにしたが、少し時間もあったので、550回大遠忌に本山よりお迎えした御絵伝を内陣に上がって見ていただく。
そして、覚如上人の『報恩講式』による報恩講作法を見せていただき、法要終了後にはご門主さまの御満座の御消息。
昨年の4月9日よりお勤めして参りました親鸞聖人750回大遠忌法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。
各地から多くの方々にご参拝いただき、65日間115座にわたるご法要を厳粛にお勤めすることができましたのは、仏祖のご加護と宗祖のご遺徳のおかげであり、御同朋御同行の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことにありがたく存じます。
かえりみますと、ご法要のはじまる直前の3月11日、東日本大震災が起こりました。その後も各地で地震・豪雨など災害が続き、大変な1年となりました。被災された方々にこころよりお見舞い申し上げます。法要参拝を楽しみに待ちながら、災害やさまざまな理由で参拝出来なくなった方々のことを忘れることが出来ません。
地球の歴史を考えますとき、自然現象としての地震や豪雨は、数限りなくあったことでしょう。しかし、それが深刻な災害となるのは、人間のあり方・社会のあり方によります。特に今回の原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、のちの世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります。聖人は、凡夫には清らかなこころも真実のこころも存在しないとお示しになりました。それは、阿弥陀如来の光に照らされて明らかになる私の姿です。凡夫の身でなすことは、不充分・不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と精一杯努力させていただきましょう。阿弥陀如来はいつでもどこでも照らし、呼び続け、包んでいてくださいます。本願念仏のご法義は時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が生きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。ご法義を伝え、弘めるための宗門の組織も、社会の変化に応じて変わる必要があります。歴史をかえりみて、受け継ぐべき伝統を確かめ、創造的な活動を育てていかなければなりません。本年4月1日から宗門の体制が改められますのも、時代に即応する営みのひとつであるといえましょう。新しい体制のもとで、ひとりひとりが抱える課題を大切にし、お念仏をよろこび、こころ豊かに生きることのできる社会をめざしましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします。平成24年
2012年 1月16日
新たな歩みを進める機縁。
次の800回大遠忌。
私は恐らく迎えることのないご縁。
でも、このたび家族で参拝したことを、息子たちが800回大遠忌を迎えた時に思い出してくれたら。そして、家族でそのご縁にあってくれたらと。
それが、親としての願いであり、私がいただいた願いである。
ようこそのお参りでした。
1月15日(日)
今日はおたんや(大逮夜)。
明日16日が親鸞聖人750回目の御命日。その前夜のことを逮夜という。
日曜日ということもあり、朝席が終わると3件法事を勤めて、昼席。
そして、夜は法話に中休みを取り、親鸞聖人は小豆が好物であったと伝えられるため、おぜんざいが婦人会の方々のご協力で振る舞われる。
そして、『御伝鈔』を拝読し、再び法話。
一日中、声を出しているので、さすがに喉が腫れる。
それでも、こうしてご縁に遇わせていただいていることに感謝。
今日も、昨日に引き続き『阿弥陀経』のこころ。
今日、紹介した本は『一茶 おらが春』より。
現代語訳で冒頭と終わりの部分を読ませていただく。
・・・ことしの春もあなた任せになんむかへける。
目出度さも ちう位なり おらが春 一茶
そして、最後の締めくくりは
ともかくも あなた任せの としの暮 一茶
「あなた任せ」の「あなた」とは、阿弥陀如来のこと。
この俳人小林一茶のことばを通して、あなた任せにすることの難しさを味わった。
「別に難しいことは仏の道にはないですよ。自力の他力の何のかんのとゴミクズみたいな説教くさい話を、さらりと日本海へ流してしまえば良いのです。
死んでからのことは、なにもかも阿弥陀さまにまかせ、地獄でも極楽でもどこでもあなたのよいようにしてくださいとだけ頼んでおけばよいのです」
明日の朝席で御満座。
そのあと、インターネット中継で本願寺の御満座にあわせていただくことに。
続けて、お参りを。
1月14日(土)
今夜から専徳寺の御正忌報恩講。
550回忌の時に下附された御絵伝を掛けて。
毎年、御正忌は住職自ら講師も勤め、お取り次ぎ。
このたびのご讃題は『仏説阿弥陀経』。
テーマは、「願い」。
『阿弥陀経』のこころをいただく。
今夜はその前に鳩摩羅什の話。
鳩摩羅什は訳し方に魅力があるのだろう。
『阿弥陀経』もそうであるが、『妙法蓮華経』を訳されたのもこの方。
浄土真宗ではご縁のないお経ではあるが、たくさんの方に影響を与えている。
宮沢賢治もその一人。
浄土真宗の学僧 島地大等(しまじだいとう)の願教寺の講話会などに出入りしていた18歳の宮沢賢治。
その島地大等訳の『漢和対照妙法蓮華経』を読んで、からだが震えるほど感銘を受けたそう。
白石説教所・小坪説教所と少し話を変えながら、明日から本題に。
続いてお参りを。
1月11日(水)
今日も昨日に引き続いて小坪説教所の御正忌報恩講に。
朝席、そして昼席で御満座。
『阿弥陀経』のこころを味わいながら、「願い」の話を。
ようこそのお参りでした。
昨日、鳩摩羅什の白馬塔の写真を見つけたとき、御正忌の懐かしい写真も一緒に。
大学院時代の恩師である浅野教信和上が御正忌で改悔批判(がいけひはん)をされたときのもの。(2000年1月)
このときは、御影堂が修復中のため、阿弥陀堂(総御堂)でおこなわれた。
改悔批判とは、ご門主様が信心(安心)の正否を批判(判断)する儀式です。
本願寺第八代蓮如上人のころ、報恩講中の毎夜、篤信の僧侶・門徒が各自の信仰を告白し、批判を仰いだことにはじまるものです。
現在は、初夜(9日~15日)のお勤めに引き続き、改悔批判をおこなっています。
(『御正当 参拝のしおり』より)
今年は31年ぶりにご門主さまが初日に改悔批判をされたそう。
それ以外は和上(勧学)がご門主さまのお手代わりとして緋の衣を着けて勤める。
和上がご安心を述べられ、途中で「領解出言」と参詣された方々に促すと、前に座っておられる五条袈裟を着けた諸僧が、額を畳につけるように一斉にお辞儀して、
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて・・・
その後ろ姿が、何とも不思議な、そして、厳かな光景だった。
御正当(1月16日)まであと5日。
1月10日(火)
今日の昼席から明日の昼席まで小坪説教所の御正忌報恩講のお取り次ぎ。
訳者の鳩摩羅什のことを調べていて見つけたのがこのサイト。
国立情報学研究所のディジタル・シルクロード。
もうかれこれ20年も前、恩師とともに中国を訪れた。
その頃は今のようにインターネットですぐに調べることの出来ない時代。
図書館に通って、いろんな資料をあさったもの。
この塔は敦煌にある鳩摩羅什ゆかりの白馬塔。
亀茲国から長安へ赴く途中、敦煌で病死した白馬のために建てたと伝わる仏塔。
まだまだその頃はアナログな時代。
こんなサイトを見つけると、つくづく今は便利になったと感じる。
でも、そう感じるのはそうでなかった状態を知っているから。
『阿弥陀経』に、
舎利弗、かの土をなんがゆゑぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆゑに極楽と名づく。
と出てくるが、苦を知っているからこそ楽が分かる。
この世が楽しいことばかりだと、極楽の存在する意味がない。
そう思うと、あの頃も大変懐かしく感じる。
この敦煌では、航空機の手配ミスで、2日間も余計に滞在。
することもないので、昼間は一人で商店街をぶらついた。
そして、ふらっと入った古美術店で1時間ほど店主と筆談。
いろいろと胡散臭いものを見せてもらって楽しんだ。
鳩摩羅什がご縁で、ふとそんなことを思い出す。
明日も朝から小坪説教所。
10月15日(土)
朝には雨も上がり、少々暑い一日。
ツクツクボウシの声も聞こえてきた。
朝早くから、お斎の準備。
これが専徳寺に伝わる報恩講のお斎の姿である。
お昼の席で御満座。
善通寺住職を導師に、近隣の住蓮寺住職・浄円寺住職・広真光寺住職に出勤いただいて、正信念仏偈第二種の勤行。
たくさんの方にお手伝いいただいて、そして最後はみんなで聴聞。
ようこそのお参りでした。
法座が終わり、後片付け。
後片付けをしているとき、ふと発見した。
専徳寺の余間に10月の報恩講と1月の御正忌の時だけかかる四幅の御絵伝。
この御絵伝の裏には、「釋本如(花押)」、「文化八辛未年三月」と記されている。
文化8年とは、西暦1811年。
3月18日から28日まで、本願寺で宗祖550回御遠忌法要が厳修されたそうだ。
それからちょうど200年。
750回御遠忌を迎えた年の報恩講御満座の日、そのことを知る。
これも大きなご縁である。