ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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広南小学校読み聞かせ(155)

12月17日(月)

昨日の雨が上がり、青空が広がる。
でも、青空の下、パラパラと雨の降る冷たい朝。

今朝は広南小学校、今年最後の読み聞かせ。

担当は4年生。

今年最後に何を読もうかと、何冊か候補を読んでみて、ちょっと長いけど、これしかない!と選んだのが、

『みずとはなんじゃ?』 (かこさとし 作・鈴木まもる 絵)

作者のかこさとしさんは、今年5月2日に92歳でお亡くなりになった。
その1ヶ月後、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、「最後の記録 絵本作家かこさとし」を放送。

てっきり追悼番組だと思って観たら、いきなり冒頭に、

これは“追悼番組ではありません。
最後まで絵本作家として生き抜いた
一人のプロフェッショナルの記録です。

と。

放送は、今年の3月11日から1ヶ月の密着取材の様子。

命を終えるギリギリまで「ただ、こどもたちのために」、その思いで絵本作り。

その放送の中で、最後に絵を鈴木まもるさんに委ね、制作していた絵本が『みずとはなんじゃ?』。

小さなこどもにも分かるよう、やさしいことばで。

そして、最後に、

ちきゅうの いきものの ひとりとして、
うみや かわを よごさないようにしましょう。
みずの もっている すぐれた せいしつを しった わたしたちは、
せっかくの みずの ちからを まもり、いきもの みんなが
いきてゆけるよう つとめましょう。

と。

今年は、豪雨災害のあとの断水で、「水」の大切さを改めて知った。

地球を大切にできていないツケがまわってきたようなこのたびの災害。

先日、あのきれいな沖縄の辺野古の海にもとうとう。

自分たちのため、自国のため、〇〇ファースト、、、、

「いきもの みんなが いきてゆけるよう つとめましょう」

かこさんのメッセージが、少しでも伝わるといいなと思いながら。

2018年12月17日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

広島別院報恩講

12月14日(金)

今日は午前中、東小坪地区の通り報恩講。

これで、地区ごとでまわる通り報恩講は一区切り。
あとは、少し残ったところを。

午後から広島別院の報恩講へ。

このたび、専如御門主が、各地別院の報恩講をお参りになられるその最初が安芸教区。

ということで、別院の末席にてそのご縁に。

呉東組から、称名寺・住蓮寺御住職が結衆として、また、広島雅楽会より若さんたちが法要を彩る。

正信偈第二種の法要をおつとめし、そのあと、御門主さまよりご親教。

ただいまは、皆さまとともに、本願寺広島別院報恩講をおつとめさせていただきました。門主として初めて広島別院での報恩講法要を多くのご参拝の皆さまとともにおつとめ出来ましたことを嬉しく思います。今後もこのようなご縁を多くいただければありがたいと願っております。
まず、本年7月の平成30年7月豪雨において、お亡くなりになられた方に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。10月に被災されたお寺などへお伺いさせていただきましたが、被害の様子や現状をお聞きして、被災地の皆さまの生活の上には、いまだに災害が終わっていないこと、そして、終わりが見えないことを改めて感じました。大きな悲しみや苦しみを抱え、困難な状況の中で本日ご参拝くださった方もおありだと思います。報恩講に際し、皆さまとともに親鸞聖人のご恩を偲び、親鸞聖人が説かれた浄土真宗のみ教えを改めて深く味あわせていただきたいと思います。
仏教は今から約2500年前にインドでお釈迦さまによって説かれました。お釈迦さまはこの世界における不滅の真理をさとられました。不滅の真理ですから、それは時代や場所を問わず、いつでもどこでも、また、誰にでも当てはまる真理です。それを「四諦(したい)」、四つの聖なる真理として説かれ、その第一に「苦諦(くたい)」という私たちの現実世界の苦しみに満ちているという真理が説かれます。「四苦八苦」という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、私たちの人生における苦しみを具体的に示したのが「四苦八苦」です。「四苦」、四つの苦しみとは、生・老・病・死。すなわち、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つです。これらは、どれ一つとっても自分の思いどおりにならないことであり、この思いどおりにならないということが、仏教でいう苦しみの意味です。古来より人間はこの生老病死から逃れようと、様々なことを試みてきました。不老不死の薬を探し求めたり、今日ではアンチエイジングということがいわれています。しかし、諸行無常のことわりに示されますように、どのようなことをしても私たちは生まれてきた以上、死ななければなりません。そして、その死は老いたものから順番に訪れるわけではありません。現代のように科学技術が発達しても、私がどのような理由でいつ死ぬのかということを予測することは不可能です。病気のリスクを量ることが出来ても、不慮の事件や事故を避けることは出来ません。しかし、私たちはこの真実を直視することなく日々の生活を送っているのではないでしょうか。それは、自分だけは変わることなくいつまでも生きていきたいという欲望、すなわち自己中心性というものが、私たちの心の本質だからです。親鸞聖人はこのような私たちを放っておくことができないとはたらいてくださる阿弥陀さまのおはたらきに出遇われました。まぎれもなく、現代の私たちも、また将来の世代の人たちも自己中心性を持った凡夫であり、阿弥陀さまのおはたらきの中でこそ、このいのちを大切に生きぬくことができます。これからもみ教えを聞かせていただき、今日いのちがあることの不思議に思いをいたし、日々を大切に過ごしてまいりましょう。本日はようこそご参拝くださいました。(文責 専徳寺住職)

ご親教のあと、御講師 花岡静人師の御法話。

お内陣には屏風が立てられ、ご門主さまはそちらでお聴聞。

ご門主さまのご教示を受けたような、「あなたにとって一番大事なものは?」とのお話。

時には末席で聞かせていただくと、いろいろ見えてくるかも。

 

2018年12月14日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

善通寺報恩講

12月13日(木)

今日は午後から、つとめあいの善通寺報恩講の御満座へ。

その前に、午前中は毎年その近くのご門徒さんのお宅へ通り報恩講。

今日もお参り先で犬に吠えられる。
とは言っても、しっぽを振りながら吠えてくるので、どうもかまってもらいたい?
読経中は飼い主さんに抱かれ、吠えはしないけど、「ハー、ハー」声だけが後ろから聞こえてくる。

御文章を拝読し、終わった途端に、また「ワン、ワン、ワン!」と鳴きながら、近寄ってきてクンクンクン。

その犬の思いが伝わればいいんだけど、「ワン、ワン」ではなかなか。。。

それは、「ワン、ワン」だけでなく、言葉をどれだけ並べても相手に伝わらないこともある。

相手のことを思いながら伝え、相手のことを思いながら聞く。

何だかそんなことを。

善通寺報恩講。

無事、今年も導師をつとめさせていただいた。

今年もあと少し。

2018年12月13日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

広南小学校読み聞かせ(154)

12月10日(月)

今朝も冷え込んだ。

今朝は広南小学校読み聞かせ。

担当は2年生。

寒い日にはあったかくなる絵本を。
読んだ絵本は、

『ぼくのばしょなのに』 (刀根里衣 作)

イタリアを拠点にしている刀根里衣さん。
主人公のペンギンの名前の由来を表紙の裏に、

主人公のペンギンの名前はイタリア語でCucuと書きます。「カッコウ」または「カッコウ時計」を指す語で、からくり時計から出てくる鳥は「ククー」と鳴きます。また、子どもをあやすとき、顔を隠して、またのぞかせる「いないいない、ばあ」にあたるフレーズとしても使われるそうです。読み聞かせのさい、ククーをお子さんの名前にかえて、読んでみてください。

それをまず読んで、「ククーを自分の名前に置き換えて読んでみてください」と。

ペンギンのククーは、パパとママのおなかの下が大のお気に入り。
しかし、ある日のこと、自分だけのものと思っていたとっておきの場所が、
生まれてきたたまごにうばわれてしまいます。
「それならば!」と、毛布にくるまってたまごに変身することを思いつくククー。
はたして、その大切な場所を取り戻すことができるでしょうか。

パパとママがククーのためにクイズを出す。

その答えはただひとつ。

その答えが出るたびに、子どもたちから笑い声が。

そして、読み終わると、手を挙げていろんな感想を。

 

通り報恩講もあと少し。

2018年12月10日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会 12月例会

12月8日(土)

寒い。

呉市内でも昼から白いものがチラチラ。

今夜は今年最後の仏教壮年会例会。

先月に引き続いて、除夜会に使う蓮の花作り。

ストーブのそばに3つのグループに分かれて作成。
少しずつコツをつかんでこられたよう。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔

大晦日、親鸞聖人に蓮のともしびを献げ、それぞれに輝く年を迎えられますよう。

2018年12月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku