専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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5月18日(日)
今日の最後の法務は、螺山(つぶやま)の薬師堂にて。
小坪自治会が管理している小さな祠の薬師堂で、年に一度、自治会主催のご縁をいただく。
毎年降誕会に近い日曜日、山に登ってこられた小坪のみなさんと一緒に正信偈のおつとめをして法話。
導師だけが小さな祠の中に入り、御同行はみなさん青空の下。
青空の下で法話をすることは、年に一度このご縁だけ。
ウグイスの声が響き、下にはいろんなムシがうごめいているのが視界に入ってきて、何ともいえない中での法話。
せっかくなのでお堂の中から写真を1枚撮らせていただいた。
みなさんにこやかに。
ようこそのお参りでした。
5月17日(土)
午前中法務をすませ、午後から息子と一緒に呉市立美術館へ。
現在『岩合光昭 どうぶつ写真展』開催中。
長男が学校で使っているノートの表紙に岩合氏の写真が使われていることから、見に行きたいと言われて行ったのだが、今日はたくさんの方が訪れていた。
それもそのはず、今日はトークショー&サイン会が行われるということで。
トークショーは展観室内で立ったまま。
来場者のほとんどがNHKBS『岩合光昭の世界ネコ歩き』の視聴者。
岩合氏が出て来る直前に次男が寝てしまい、抱いたまま後ろでしばらく聞いていたけど、さすがに・・・。
途中で失礼してしまったが、最初にお話しされた雨の降る日本がステキだという話は心に残った。

また、買って帰った写真集『地球の宝石』のサブタイトルに「ぼくらはみんな生きている」とのことば。
希少動物の写真に“いのち”のすばらしさを。
5月10日号『本願寺新報』の一面に、ご門主さまがウィーンで開かれたインターアクション・カウンシルで提言されたことばが紹介されていた。
今日、「人間の責任に関する世界宣言」を提唱するに際して、現在に生きる人間の責任として、将来の人類の人権、さらには、人類以外の動植物の生存権を守ることが大変重要な課題です。このような視点をこの宣言に加えてはいかがでしょうか。
と、大変興味深い発言をされておられたのが印象的だったことと重なった。
次の世代に私たちは何を遺せるのだろう。
そして、今夜は専徳寺総代会。
議題は来月開かれる門信徒世話係総会に向けて。
こちらも次の世代に向けて考えていかないと・・・。
世話係総会は来月6月24日(火)に開催決定。
いろいろとお世話になります。
5月11日(日)
青空のひろがる一日。
午後から仏教壮年会会員のみなさんが集まって、境内清掃。
ちょうど、今日は第41回広子ども祭が開かれており、長浜連合子ども会が初参加。
そんなこともあって、長男はそちらへ。
次男がはりきって、境内清掃に参加。
1時間ほどの作業で、境内と庭の草むしり等で集まったゴミが・・・。
ちょうど、頼んでおいた図録が届いた。

現在東京で開催中の『漫画家による仏の世界展』。
図録の最初に紹介されているのが、故赤塚不二夫氏のレレレのおじさん千手観音。
やっぱりレレレのおじさんは、『阿弥陀経』に出て来るお釈迦さまの弟子、周利槃陀伽(周利槃特)がモデルなのだなぁ・・・。
いろいろな作家のそれぞれの佛。
広島でもぜひ開催してもらいたいな。
5月8日(木)
ゴールデンウィークも終わり、今夜は仏教壮年会の5月例会。
今夜の例会は白骨の御文章を。
呉東組の実践運動の重点プロジェクトのテーマは、「浄土真宗の儀礼の意義を問う」。
そんなこともあり、日頃お葬式で拝読する「白骨の御文章」を、『存覚法語』・後鳥羽上皇の『無常講式』と合わせて読んでみる。
「白骨の御文章」には見られない『無常講式』の九相の姿。
人が亡くなって、腐敗し、鳥獣に食われ、骨となり、土に帰る姿は、何とも・・・。
諸行無常とはいうものの、必ず、間違いなく存在するのは「死」。
でも、そのご縁にあうことが少なくなっている。
ゴールデンウィーク中、印象的だったのはお子さん(お孫さん)の姿。
玄関を開けると、ひとりの男の子が。
「こんにちは」といって家にあがると、後ろから聞こえてきたのが、「これがお坊さん?」。
そして、お仏壇の前に座ってお灯明をつけていると、「はじめてのお葬式だ~!」と入ってきて、家の方からちゃんとしたことを教えてもらう。
みんなみんな、そうして初めてのご縁をいただいて、そのご縁を通して人間として成長していくのかな。
でも、そのご縁がなかったら・・・。
そんなことを思いながら。
5月3日(土)
善通寺住職継職奉告法要が行われるため、午前11時半に善通寺へ。
今日は呉東組16ヶ寺全ヶ寺から、住職・若院が出勤して賑々しく。
その法要に先だって、午後1時より稚児行列。
仏旗を持った総代の方を先頭に、雅楽会、色衣・五条袈裟を着けた列衆(れっしゅう/お内陣の余間でおつとめをする僧侶)、前住職、色衣・七条袈裟を着けた結衆(けっしゅう/お内陣で法要をつとめる僧侶)と新住職。
そして、その後をかわいらしい稚児衣装を着けたお稚児さんが100名ほど。
スタート地点の三坂地小学校を出発し、善通寺まで行列が続く。
参道からは「おめでとうございます」の声。
青空がひろがり、少し汗ばむが、心地よいそよ風が時折。
そして、午後2時30分より善通寺本堂にて法要が執り行われる。
このたびは、初めて散華頭を勤めさせていただいた。
広真光寺様と一緒に、
奉請弥陀如来 入道場 散華楽
奉請釈迦如来 入道場 散華楽
奉請十方如来 入道場 散華楽
と。
雅楽の笙の音に乗って唱えたのだが、最初の「ぶーじょーう」の「ぶ」の音が、ドレミファソラシドの「ラ」の音で始まる。
普段のおつとめでは、なかなかこの高い「ラ」の音が出ないので、いつもは自分に合った低めのスタート。
それを今日は笙の音に合わせて。
その後、新住職と結衆は、華籠を持ち、御本尊のまわりを歩きながら正信偈のおつとめ。
ご門主さまの書かれた『いまを生かされて』という本のなかに、
笑われるかもしれませんが、御影堂の内陣に座ってお勤めをしているとき、私はいつも緊張しています。本願寺の住職になって三十年以上になり、朝のお勤めは何千回と繰り返しているのですが、いまだに慣れるということがありません。
和讃の繰り読みはおよそ二ヶ月で一巡しますので、一年で少なくとも五、六回は同じ和讃を読んでいますが、それでも毎回緊張しています。私の声からすべてが始まるのですから、間違えることは許されません。和讃のおことばを目で追いながら、「なるほどそうか」と余裕を持って頷くことなどできないのです。
そうして緊張に身を固くしているときでも、私の声に続いて堂内の皆さんが声を重ね、御影堂に満ちる大きな一つの声として聞こえてくる和讃は、私に深く確かな感慨をもたらしてくれます。
のことばを思い出しながら。
みんなのなかで、みんなに支えられ、そこに私が。
継職法要はそんなことに気づかしていただける大切なご縁かな。
たくさんの方にお世話になりました。