専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月31日(日)
法座の翌日からお経を読む声が出なくなった。
お葬式で、特に三奉請という高い音階はまったく。
お葬式と法事とお通夜、出ない声を出そうとすると、いらない力が入る。
翌日、からだの至る所が筋肉痛。
お経を読んで筋肉痛になったのは初めての経験。
普通に声が出るって有り難い。
連日、法務の連続で、声を休ませることが出来ないため、ずっとひどい声での読経。
今日も法事が10時、11時、12時、13時、14時と。
今日は広南学園(広南中学校体育館)で、広島交響楽団「ふるさと」シンフォニーが開催されたのだが、それには行けず仕舞い。
音楽の芽プロジェクト ~ あなたの街のオーケストラ 広響 ~
広島交響楽団が、ビジョンのひとつに掲げる「地域社会貢献事業」。
オーケストラに普段なじみのない子どもたちや地域の方々のもとへ積極的に出かけ、地域の音楽文化振興を図っています。
このプロジェクトの第1回目に選ばれたのが広南学園。
最後に(旧)長浜小学校校歌・(旧)小坪小学校校歌・広南小・中学校校歌の演奏もあったそうで、小学校で参加した長男は、間近で聞いた約60名のオーケストラの演奏を、からだで感じたそう。
今夜は、安登の浄念寺にて法中会。
いろいろと確認事項。
そして、6月の団体参拝の申込状況について。
120名の定員のところ、現在70名。
専徳寺からは住職を含め12名の参加申込。
〆切は過ぎてもしばらく申込を受け付けるそう。
そして、今度4月8日の仏教壮年会や、日曜学校の入校式に配る予定のチョコ。
誕生仏のチョコとマグネットのセットをラッピングして、法中会で皆さんにお裾分け。
ラッピングの図柄は全日本仏教会の花まつりポスターを。
幼稚園とかいろいろと使い道はありそうなので、そこからご縁が広がれば。
3月26日(火)
法座の朝席が終わり、ホッと一息・・・。
とはいかない。
法事が2件と葬式が2件。
さすがに喉がかすれてきた。
今夜は阿賀の称名寺にて我聞会の3月例会。
輪読の担当者が風邪で欠席。
今、風邪が流行っているようで、昨日の小学校の送別式もみんなマスク着用だった。
というわけで、輪読は次回に持ち越し、法話のみ。
今日紹介していただいた法話は、ラジオの本願寺の時間で2004年11月第4週に放送された酒井淳昭布教使の『安心ある世界 』。
浄土真宗のお寺の御住職で長く小学校の先生をされた東井義雄先生が「昔のお母さんは、風呂敷包みであったが、最近のお母さんはトランク」だとおっしゃった。風呂敷というのは、丸いスイカであろうが、細長い一升瓶であろうが、どんな形でも包めます。しかし、トランクは同じ容積でもその形に合わないと物を入れることは出来ません。ですから、入れようと思うと、その形に物を合わせなければならないのです。・・・
自分はトランクになっていないか?と、それぞれに確認するご縁をいただいた。
3月26日(火)
今日の朝席で春季彼岸会も御満座。
今日は『歎異抄』の踊躍歓喜のこころが起きないという唯円房の問いの話。
そのなかで、「死に方」についてのお話を聞かせていただいた。
今はあんまりこんな表現を用いないかも知れないが、「畳の上で死にたい」ということばをよく聞いた。
それから、「あんな人、ろくな死に方をしない!」ということばも。
「死に方」というのがよく問われるが、浄土真宗では死に方は問わない。
臨終が大切なのではなく、今(平生)。
仙厓和尚の辞世のことばは「死にとうない」であったと。
『歎異抄』に、
なごりをしく おもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。
この“いのち”が愛おしいと思う気持ちがあるから、「名残惜しく」いそぎ浄土に参りたいという気持ちが湧いてこない。
ただ、浄土があるからこそ、いつ、どこで、どんなかたちで“いのち”尽きたとしても、この“いのち”を生き抜くことができるのではなかろうか。
彼岸とは遠い彼方ではなく、今を生きて向かっている方向に。
生きているいのちを大切に。
ようこそのお参りでした。
3月25日(月)
ソメイヨシノもチラホラと咲き始めた。
今日も昨日に引き続き、彼岸会2日目。
朝席と昼席は慈悲の話を聞かせていただく。
凡夫の慈悲は小さな慈悲。
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき
でも、親鸞聖人はご和讃のなかで、その小さな慈悲さえも持てない私であると。
広南小学校の送別式があったので、朝席が終わったら早速学校へ。
長男がお世話になった担任の先生が郷原小学校へ転任。
「ありがとうソング」でお別れ。
それが終わると、山口から龍谷大学と山口県立大学の先生が石泉文庫に。
宇都宮黙霖をはじめ、同時代の勤王僧月性、大洲鉄然等を調べているとのこと。
また、昼席の後は、石泉文庫を教育委員会から視察。
建物の傷みがひどくなったが、県の史跡のため、どこまで補修が出来るか、総代さんを交えて見ていただく。
そして、夜席。
バタバタした一日だったが、夜席は丸の内で開かれた寺カフェに生け花で参加した時の話を聞かせていただいた。
そこで、評判だった法話が十牛禅図だったということで、その話。
何とも謎解きのような宿題のような、でも考えさせられる話。
明朝が御満座。
ようこそのお参りでした。
3月24日(日)
今日の夜席より、春季彼岸会。
御講師は、和庄の明法寺 熊谷普門 師。
初めてのご縁をいただいた。
今晩は「二僧巻簾」という禅僧の話から、「諸法実相」について聞かせていただく。
また、聴聞の心得は、「虚往実帰」だと。
私たちは先入観をもってしてしまうことが多い。
また、優劣を付けて物事を見てしまう。
そこが、凡夫の眼と仏の眼の違いという話。
『専徳寺報 念佛日和』を世話係の方に配っていただいて、早速その礼状が届いた。
そこに、
寺に参れぬ母も喜んで何度も見ております。
と記されているのを見て、ハッとする。
寺報を出すとき、こちらは寺に参ってご縁にあっていただきたいという思いをもって法座のご案内をしたのが、事情があって参りたくとも参れぬ方もいる。
凡夫の眼。
仏さまの眼には到底なれないだろうが、そのことに気づくことが大切なことかな。
ようこそのお参りでした。