専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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2月28日(木)
今日は呉東組仏教婦人会連盟の会長会議が、11時から広のとあるビストロにて開かれた。
一番の目的は、呉東組20単位ある仏教婦人会の代表者と仏教婦人会連盟担当の僧侶が集まり、各単位から持ち寄ったダーナ募金の集計と、本願寺の刊行誌『大乗』、本願寺の新聞『本願寺新報』の申し込み集計。
その後、せっかく集まってくださった代表の方々に、それぞれの単位でされていることなどを話していただいて、それをもとにこれからの参考にさせていただこうと。
そして、ランチをいただく前、連盟会長がご挨拶と「食前の言葉」。
多くのいのちとみなさまのおかげにより このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
それを聞いたお店の方が驚いて、後で尋ねに来られていた。
葬式の予定があったため、食事を済ませると先に失礼させていただいたので、「食後の言葉」は唱和できなかった。
尊いおめぐみをおいしくいただき ますます御恩報謝につとめます。
おかげでごちそうさまでした。
こうした一言が、それを聞いた他の方のご縁ともなっていることを感じる。
それにしても、今月は葬式が続いた。
しかも、寺でも自宅でもなく、100%会館葬。
毎日のようにいろんなところの葬儀会館に足を運ぶ。
いろんな別れがあるが、大切なのは生き抜かれたその方のいのちのあり方。
それぞれのいのちを生き抜かれ、今生の最期を迎えられた姿に「ありがとう」の思い。
この銭湯も、しっかりとその役割を果たして、姿を消していく。
こちらも長い間「ありがとう」。
2月26日(火)
今日は長男の小学校が早く終わったため、大和ミュージアムで今日から開催されている『エヴァンゲリヲンと日本刀』展を一緒に観に行く。
「エヴァンゲリヲン」自体をよく知らないので、実際のところ会場ではよく分からなかったが、図録を買い求め、帰ってゆっくり見て、へ~っと・・・。
一昔前なら、職人さんはこうしたコラボレーションの企画には手を出さなかったと思うが、今はこうしたことを通して広くいろんなことが伝えられている。
現に、若い世代の方が訪れ、大和ミュージアムにも若い人たちがたくさん。
1+1が2でなく、それ以上のものになれば、こうしたコラボ企画も大きな効果となるのだろう。
2月21日(木)
今日は、川尻の光明寺にて呉東組若婦人連続研修会。
年に3回開かれる呉東組独自の連続研修会。
昨年の6月が第1回。10月が第2回。そして、今回が最終の第3回目研修会。
我聞会がそれぞれ担当し、第3回を終えた方には修了証が手渡される。
この修了証も通番号が1000号を超え、これまでにたくさんの方がご縁に。
今日も30名あまりの方が参加。
午前中、法話、グループディスカッション。
そして昼食を挟み、そのディスカッションのまとめがあった後、最後に「質問に答えて」。
今回の研修会では、「質問に答えて」を担当させていただく。
質問用紙を配り、皆さんに質問を書いていただいたが、仏事作法のことから、いろんなことまで・・・。
聖典を開く前に、頭を近づける仕草?をされますが、どういう意味があるのですか?
とか、
座布団に座ったとき、お経本はどこに置いたら良いですか?
といった仏事作法に関する質問。
それとか、
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」と、どんなときでも最後に必ずこれをあげられるのは意味がありますか?
といった質問から、
お寺の門徒を変わることが出来ますか?
といったさまざまな質問をいただき、それぞれ簡単にではあるが、お答えさせていただいた。
こうした質問をいただくことによって、こちらも気づかせていただくことも多いので、気軽にお寺へ質問されたら良いですよ、とまとめさせていただく。
こうした研修会に参加することによって、仏教、お寺が身近なものとなり、それをまわりに伝えていただければ。
帰宅すると、『本願寺新報』2月20日号が届いていた。
「読者の広場」のコーナーに
市川総代長の投稿した昨年の報恩講前のおみがきの様子が紹介されていた。
お寺が一方的に発信するだけでなく、門信徒の方が発信する力の大切さ。
そんなことを感じさせていただくご縁をいただいた。
2月19日(火)
今日は灰ヶ峰が雪化粧するほど寒い一日。
今夜は阿賀の西光寺にて我聞会の例会。
『蓮如上人御一代記聞書』(138)(139)の輪読。
(138)では、仏・神に馴れてしまうと横着になり、粗雑になるということを戒めるおことば。
「馴れ」と「慣れ」
「馴れ」と「慣れ」は少し意味が異なる。
人間、「慣れ」がなければ生きてはいけない。
過去の経験から未来を予測して今を生きている。
ただ、今まで元気だから、明日も明後日も1ヶ月後も1年後も10年後も恐らく大丈夫。
そう思って、いろいろと予定を立てている。
「慣れ」なければ生きていけないが、生きているのに「馴れ」てしまうと、いのちをありがたく感じなくなってしまう。
生きているのが当たり前。
ではなく、当たり前のように生きている、生かされていると気づくことが大切なのかと。
そんなことを感じさせていただいた。
それから、法話では「泣いた赤鬼」を題材に聞かせていただく。
「泣いた赤鬼」
幼少の頃、昨年取り壊されてしまった呉市民会館で、藤城清治氏の影絵劇『泣いた赤鬼』を観に連れて行ってもらったのを思い出す。
赤鬼の願いを知り、赤鬼のために悪者となった青鬼。
そんな青鬼の姿に阿弥陀さまを重ねて話をされたが、それについて後ほど「青鬼=阿弥陀如来」は少し違うのでは?と指摘が。
赤鬼の願いがあって、それに対して青鬼が願いをかなえた。
でも、阿弥陀さまの願いは、凡夫の願いよりも先・・・と。
なるほど・・・とは聞かせていただくが、阿弥陀さまの願いは、不可称・不可説・不可思議といいながら、私たちのはからいの世界でしか語ることが出来ない。
それが出来ないということに気づかせていただくのも、大切なご縁なのかな。
2月15日(金)
今日は雨がぱらつく涅槃会。
お釈迦さまが亡くなられた日。
仏弟子として、お釈迦さまの生涯を偲ばせていただく。
午前中、婦人会の新年会が開かれたが、急な法務のため不在。
先の日曜日がダーナの日。
その日にちなんで募金活動をしていただいた。
これらの募金は呉東組仏教婦人会連盟を通して、いろんなところへ役立てていただくことに。
それから、先日石泉文庫を見学に来た広南小学校の3年生から感想文をいただいた。
3年生は、地域のことをいろいろと学んでいるようで、自分たちの住んでいる長浜・小坪の地域に大変関心を示している。
そして、それを伝えている地域の先輩方にありがとうの気持ち。
それにしても、みんな字がきれいに。
黙霖さんもさらさらときれいな字。
きれいに字を書くこと。
それはある意味ダーナ。
ダーナとは、インドのことばで「布施」を意味する。
「布施」とは、慈悲の心をもって、相手にほどこすこと。
相手を敬い、思いやりの心をもって何かをすることすべてが布施。
読む相手を思い、読みやすい字でていねいに書くことも布施。
相手を思い、やさしいことばをかけるのも布施。
相手を思い、にこやかな笑顔で接するのも布施。
世のなかにはいろんな布施(ダーナ)がある。
涅槃会に、いろんなことを感じるご縁をいただいた。
みんなの心にありがとう。