専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
2月9日(土)
広島県立体育館の武道場にて、五色百人一首の広島県大会が開かれ、広南小学校から6名が出場。
残念ながら、このたびは1人も予選突破とならなかった。
長男も昨年に続き挑戦したが、昨年よりも歯が立たない状態で敗退。
また、他校から出場していた児童の親御さんの話を聞いていると、望む姿勢が全然違うと感じた。
そんな終わり方にショックを受けて、次はもう諦めるかな?と思っていたら、「強い人のを見てみたい」と、決勝トーナメントを自分から進んで見ていた。
負けても、そうした姿に親として成長を感じた。
そして、夜は仏教壮年会の役員会。
次年度に向けての話し合い。
仏教壮年会法座をどのようにするか。
どこのお寺もそんな話をよく聞くが、お参りがだんだんと減ってきている。
それで、次年度は法座をするか、それとも人が集まって、それをご縁にすることのできるような行事をするか。
そんな話が出たときに、役員の方から、何があっても「法座」は続けてやって欲しいとの意見が出た。
その意見を聞かせていただいて、まだまだ大丈夫と感じさせていただく。
肝心なのは、結果でなく、その結果を受けて次に向かってどう動くか。
そんなことを感じる一日となった。
2月8日(金)
先日の緩んだ気候で、境内のボケの花が咲き始めたが、寒さも戻り、今夜は特別寒く感じる。
先日、広南小学校の3年生に見せた資料をもとに、宇都宮黙霖の話をする。
実は宇都宮黙霖の生誕200年が11年先。
そして、その翌年が石泉僧叡和上の200回忌。
この記念すべき年に向けて、専徳寺のみならず、長浜、広、呉、広島・・・と、大きくひろげていくことも大切かと。
大変ドラマティックな人生を歩まれ、世のなかに大きな影響を与えているのに、あまり歴史の表舞台には現れてこない。
この2人が、時代のなかで、何を求め、どう生き抜かれたか。
一昨年から専徳寺の仏教壮年会は、蒲刈の弘願寺仏教壮年会と交流。
弘願寺は石泉塾の名簿の最後に書かれている「円識」和上の寺。
そして、黙霖はその円識に学ぶ。
後に黙霖は、わんぱくな少年時代に勉強の基礎を教えてくれた専徳寺住職の常諦。儒学を教わった野坂由節、仏教を教わった円識。この3人を師匠として名を挙げ、それ以外は石泉文庫のたくさんの書物に教わったと述べたそう。
この2人のことをいろんな形で取り上げていければ、そこからいろんなご縁が生まれそう。
2月4日(月)
一昨日は春の陽気。昨日も少しその名残があったが、今日は雨が降り、少し肌寒い。
そんななか、傘をさして広南小学校の3年生が、石泉文庫を見学に。
先月(1月17日)の石泉文庫の消防訓練に参加して、いろんなことに興味をもったようで、内部を見てみたいと。
文庫の2階は薄暗く、階段も急なため、怖がりながらも5人ずつ順番に上がって、文庫を見学。
上がってみると、初めて見る石泉文庫の本にみんな興味津々。
特に宇都宮黙霖の書を手に取り、読めないけれどもきれいに書かれた字に感動。
「聾僧 黙霖 覚了」
見学後、専徳寺に場所を移し、プロジェクターを使って宇都宮黙霖の生涯を紹介。
まだ日本史を習っていない3年生には、「尊王攘夷」はなかなか難しいかな?と思いながらも、みんな最後まで一生懸命聞いてくれた。
大病に冒され、耳が聞こえなくなり、大変な状況にもかかわらず、自らの大義を究めていく。
その頃から名告った「黙霖」という名前。
「霖」という字を調べてみたら、「霖雨蒼生(りんう・そうせい)」ということばが出てきた。
苦しんでいる人びとに、救いの手を差し伸べること。また、民衆の苦しみを救う慈悲深い人のこと。
霖雨(長い雨)が恵みの雨となり、枯れかけた草木を助けるところから出来た熟語だそう。
喋ることは出来ないけれど、黙って苦しんでいる人たちを助けたい!
恐らくそんな由来がこの名前にあるのだろうか。
生涯を通し、この方の人生は決して恵まれた状況にはなかったかも知れないが、石泉文庫の本には恵まれた。
歴史上、それほど大きく取りあげられることはないが、この人がいなかったら、今の日本はどうなっていただろう。
そんな人を身近に感じた3年生。
自分の好きなこと、やりたいことを最後までやり遂げられるかな。黙霖のように。
2月1日(金)
午後から雨。
今夜は川尻の真光寺にて呉東組法中会。
1月にいろいろと組内行事があったので、ピンと来ないが、今年初めての法中会。
これからの行事などの確認があり、今夜は組長(そちょう)のご配慮で、法中会のあと、ちょっとした新年会が開かれた。
今年もいろいろと次から次へとありそうだが、組内でみのりある一年となればと思う。
今、改めて宇都宮黙霖に関する本を読んでいる。
今朝も入江神社に建つ黙霖の碑を見に行く。
ひろのやま うみべにかよふ ながはまへ
なみにゆられし わがみ なりけり
吉田松陰も安政の大獄で亡くなったのが満29歳。
それを思うと、本当に若い力が歴史を変えたのだと、つくづく感じる。
1月31日(木)
今日で1月も終わり。
寒さも緩み、境内に小さな小さな黄色い花が咲いた。
今夜は川尻の光明寺にて、今年初めての我聞会例会。
『蓮如上人御一代記聞書』の輪読は、(136)(137)。
(136)には、人間には眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚(六根)があって、それらが6人の盗賊のように人間の善い心を奪ってしまうという譬えが出てくる。
私たちの持っているこれらの感覚は、「○○したい」という欲望をかき立てる。
その欲望を断ち切っていくのが、いわゆる自力聖道門の立場。
ただ、他力の念仏は、断ちきることの出来ない私だからこそ阿弥陀さまに願われ、そのまんまを救ってくださる。そんな私に気づくことを味わった。
法話では、「しゅうかつ」と「こんかつ」の話を聞かせていただいた。
「しゅうかつ」とは、「就活」。
一般的には就職活動のことを表すが、最近よく耳にするのが「終活」。
エンディングノートなるものが、いろいろと注目されている。
「こんかつ」とは、「婚活」。
結婚を目標とした活動。
でも、それを「終活」に対して、「今活」とと捉えてはという話。
今を生きる。
人生の終わりに向けての活動も大切であろうが、人生の終わりがあるからこそ、今を生きることを大切にする。
明日から2月。
一日一日を大切に。