専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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10月16日(日)
今日は朝から長浜小学校のふれあいまつり。
昼食はPTAがお弁当やうどん、焼き鳥、イカ焼き、フライドポテトなどを準備して販売し、親も子も先生も、地域の方々もそれをいただく。
そして、午後からは手品や、PTA主催のいろいろなアトラクションで子どもたちも楽しんだ。
今回のふれあいまつりのテーマは「ありがとう」。
来年から小坪小学校と統合で広南小学校となるため、「ありがとう 長浜小学校」。
そんな思いを込めて、みんなで絵手紙。
ありがとう
この感謝の気持ちを表すことばは、『法句経』というお経に説かれるお釈迦さまのことばがはじまりといわれる。
人の生を受けるは難く、やがて死すべきものの、今いのちあるは有り難し。
人間としてこの世にいのちを授かるのは大変なことだ。
生まれてしまえば、それを当たり前のように生きているけれど。
でも、その授かったいのちも、いつかは死を迎えなければならない。
そのいのちが今こうしてあることは、とても有り難いことなのだ。
ありがたいことが今ここにある。
「ありがとう」の感謝のことばは、「私のいのちにありがとう」から生まれた。
今日、絵手紙をはじめて書いた長男が、帰宅後なにやら絵を描き始めた。
絵手紙がよっぽど楽しかったようで、「春はきれいにありがとう」と、桜の花へ感謝のことば。
今日のふれあいまつりで、ちゃんと「ありがとう」を学んだよう。
今日も一日 ありがとう
10月15日(土)
朝には雨も上がり、少々暑い一日。
ツクツクボウシの声も聞こえてきた。
朝早くから、お斎の準備。
これが専徳寺に伝わる報恩講のお斎の姿である。
お昼の席で御満座。
善通寺住職を導師に、近隣の住蓮寺住職・浄円寺住職・広真光寺住職に出勤いただいて、正信念仏偈第二種の勤行。
たくさんの方にお手伝いいただいて、そして最後はみんなで聴聞。
ようこそのお参りでした。
法座が終わり、後片付け。
後片付けをしているとき、ふと発見した。
専徳寺の余間に10月の報恩講と1月の御正忌の時だけかかる四幅の御絵伝。
この御絵伝の裏には、「釋本如(花押)」、「文化八辛未年三月」と記されている。
文化8年とは、西暦1811年。
3月18日から28日まで、本願寺で宗祖550回御遠忌法要が厳修されたそうだ。
それからちょうど200年。
750回御遠忌を迎えた年の報恩講御満座の日、そのことを知る。
これも大きなご縁である。
10月14日(金)
今日は朝から雨。
朝席と昼席はそれほど強い雨ではなかったが、夜席には強い雨。
足下の悪いなか、ようこそのお参りでした。
明日のお斎の準備も朝から始まった。
夜席は、お逮夜ということで、2席。
前席が終わると、重誓偈の勤行後、住職が『御伝鈔』を拝読。
お逮夜といえば、金子みすゞさんの『報恩講』が浮かんでくる。
報恩講
「お番」の晩は雪のころ、
雪はなくても闇のころ。くらい夜みちをお寺へつけば、
とても大きな蝋燭と、とても大きなお火鉢で、
明るい、明るい、あたたかい。大人はしっとりお話で、
子どもは騒いじゃ叱られる。だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。更けてお家へかえっても、
なにかうれしい、ねられない。「お番」の晩は夜なかでも、
からころ足駄の音がする。
御正忌報恩講のお逮夜には、おぜんざいが振る舞われる。
小さい頃、日曜学校でお逮夜に参り、みんなでおぜんざいを食べたのを記憶する。
今となっては昔の話。
大晦日の除夜会の『安穏のともしび』。
こんな風に子どもが思う行事になればと思う。
明日で御満座。
続いてお参りを。
10月13日(木)
今夜から報恩講法要。
例年10月14日から16日までつとめているが、今年は16日が日曜日と重なったことなど、諸事情により1日繰り上げてはじまる。
五具足の荘厳で報恩講を迎える。
御講師は府中市 善行寺の堤 有年 師。
天気予報ではこれから下り坂。
明日は長浜小学校も遠足で宮島に行くことに。
雨が降っても、どちらも無事に終わりますように。
以前、『家庭画報』5月号に本願寺の特集があり、ブログでも紹介。
そして、講談社からは『西本願寺御影堂 「平成の大修復」全記録』が。
750回大遠忌を迎えて、いろいろな書籍が出ている。
10月10日号の『本願寺新報』に、24年前に三國連太郎原作・監督・脚本の映画『親鸞 白い道』の記事が載っていた。
その映画で親鸞聖人を演じた森山潤久氏。
今は役者を引退して得度し、真宗僧侶として札幌の寺院で法務をされていると。
この『親鸞 白い道』もDVDで松竹から販売され、明日手元に届く予定。
大遠忌。
いろんなことが動く年。
このご縁を大切に。
10月11日(火)
今日と明日、小坪臨海地区の報恩講。
午後から、当山専徳寺にて呉東組聞名講の例会。
10月例会は報恩講法要も行われるため、呉東組法中、そろいの色衣・五条袈裟をつけて厳修。
直前になって、登礼盤作法をすることに。
おつとめは『正信念仏偈 第二種』。
その後、百周年の時の御消息を拝読し、称名寺若院さんの法話。
「凡夫」とは、凡庸なる士夫。
〔四諦の道理を知らない人をいう〕。
聖徳太子の十七条憲法のなか、
十にいはく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、われ是みすればすなはちかれは非んず、われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。ここをもつてかれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たりといへども、衆に従ひて同じく挙へ。
と、『註釈版聖典』(本願寺出版)には、「凡夫」に「ただひと」と仮名が振ってある。
お互いにただの人。
そのただの人である私が法に出遇うそのとき、愚の正体に気づかされるのだろう。
ハングリーであれ。愚かであれ。
故S・ジョブス氏のことば。
十方衆生では、仏性の話が出た。
「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」と経典には説かれている。
また、『大阿弥陀経」(『大経』の異訳)には、
諸有の人民・蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり。
小さな虫までも願いがかかっていると説く。
ただ、縁がととのわなければ種から花を咲かせることはない。
今、私たちは縁がととのって法に出遇えたことを大切にしたいものである。