ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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呉東組親鸞聖人鑽仰会 総会・仏教講演会

10月25日(火)

今日は2時から専徳寺で、呉東組親鸞聖人鑽仰会の仏教講演会。

呉東組親鸞聖人鑽仰会の主な活動は、親鸞聖人の誕生日(5月21日)に、朝刊の折り込みチラシと一緒に合掌チラシ(法語)を各家庭に届けていただくことと、今日行われた仏教講演会。

その講演会に先立って、今年は総会も開かれた。

 

仏教講演会の御講師は、今年の1月に本願寺派司教となられた武田晋和上。

武田氏は大学院時代の先輩で、京都にいた頃はいろいろと親しくお付き合いさせていただき、ホームページもリンクさせていただいている。
そんなこともあり、このたびの講演会で講師に来られると聞いて、会場の立候補。

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講題は『如来より賜る信心』。

たくさんの方が聴聞された。

 

いろんな話を聞いたなかで、印象に残ったのは、日本人の国語力が落ちてきているという話。

その原因はコミュニケーション不足だそう。

相手の思いを知ろうとすれば、相手のことばを聞かなければいけない。
また、相手に思いを伝えようとするには、ことばで伝えなければならない。

それが、日本人には欠けてきているのだそう。

 

講演終了後、御講師を囲んで親睦会。

短い時間だったが、久しぶりの再会を楽しませていただいた。

2011年10月25日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

タカを保護

10月24日(月)

昨日の夕方、庭で1羽の鳥がひっくり返っているのを、前坊守(母)が見つけた。

呼ばれて駆けつけてみると、どう見てもタカ。

何か獲物を追って、窓ガラスに激突でもしたのだろうか。

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このあたりでよく見られるタカの仲間は、トビ。

ここ数年よく見かけるようになったミサゴ。

この時期だと、南へ渡っていくサシバなどが思い浮かぶが、どうも違う。

 

ハヤブサだと大きな黒目が特徴。
数年前、広島市内の川沿いを車で通っていると、前を1羽のハヤブサが横切った。
まるで、スローモーションでも見ているかのように、はっきりと目まで見えた。
そのときに見たハヤブサの目とも違う。

 

それで調べてみると、見た目はどうもオオタカに似ている。

環境省のレッドリスト(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)によると、準絶滅危惧種。

 

ネコがこの鳥を襲おうと近づいていたので、とりあえずダンボール箱に入れて保護することに。

箱を持って近づくと、

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羽を広げ、タカ特有の鳴き声で威嚇。

軍手をはめて、そっと捕まえて箱のなかへ。
その時はじっとしていたが、その後、うつぶせにしようとすると、嫌がって指を捕まれた。
鋭い爪が軍手に引っかかる。
それで、ずっと仰向けのまま。

どうも、羽を痛めているようだったが、意識はしっかりと。

 

日曜日の夕方とあって、どこにも連絡の取りようがないため、一晩様子を見てみることに。

 

一夜明け、タカの意識がはっきりとしていたので、長浜小学校へ箱に入れたまま持っていく。

市や県に連絡をとって保護してもらうことも考えたが、せっかくの機会である。

ご迷惑かなとも思ったが、こんなことはめったにない。

 

校長室へ持っていくと、こころよく引き受けてくださった。

 

夕方、校長先生から電話をいただいた。

 

このタカを全校生徒に見せたこと。
そして市を通し、県に引き渡したということ。

そして、このタカはオオタカではなく、ハイタカではないかということ。

そんなことを報告していただいた。

 

このハイタカもオオタカと同様、準絶滅危惧種である。

 

タカにとっては住みにくい地球になっているから、こんなことになってしまったのだろう。

このタカを通して、自然・環境、そしていのち。
そんなことを考えるきっかけになってくれればと思う。

 

正蔵坊住職継職法要

10月22日(土)

今日は朝から島根県大田市へ。

専徳寺の法務員菅原氏のご実家正蔵坊で、第24世住職継職法要があり、出勤させていただいた。

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天気予報では雨。
雨のドライブを覚悟して行ったが、浜田道の広島・島根の県境のトンネルを抜けると青空が。
世界遺産“石見銀山”を横目に早めの到着。

一日、汗ばむくらいのお天気のなか、法要が執り行われた。

 

12時45分より、前住職導師のもと、日中法要。
色衣・五条袈裟の正装で『讃仏偈』のおつとめ。

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本願寺からの達書伝達式に続いて、講話。

御講師は青木新門氏。
講題は『いのちのバトンタッチ』。

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青木新門氏は、第81回アカデミー賞外国語映画賞に輝いた『おくりびと』の元々の原作者。

自らの体験を綴った青木氏の『納棺夫日記』を読んだ本木雅弘氏が惚れ込んで、映画化を熱望した。
映画化にあたり、一度は青木氏の許可を得たが、出来上がったシナリオを読んで、青木氏は愕然。

青木氏は浄土真宗の熱心な土地柄、富山県の出身。
その富山の土徳があったからこそ、仕事を通して浄土真宗に出遇った。

でも、映画の舞台は山形県。

何も山形県が悪いというわけではない。
ただ、土徳という大事な点が欠落していた。

それから、ヒューマニズムで終わってしまい、原作のなか、一番重要な宗教的要素が欠落してしまっている。

その結果、青木氏はこれは『納棺夫日記』としてでなく、違った形の作品として欲しいと原作を降りられたのだそう。

そんな経緯をいろいろとユーモアを交えて聞かせていただいた。

 

そして、講演の後、3時から今度は新住職を導師として逮夜法要が。

全員が色衣・七条袈裟の礼装で、『無量寿経作法』。

 

第24世新住職が法灯を受け継いだ。

みずからをともしびとせよ 法をともしびとせよ。
(自灯明・法灯明)

その法のともしびが消えていく寺もある。

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特に山間部は、過疎化が進み、廃寺となるところもあるとは聞いていたが、途中屋根の崩れたお寺を見てショックを受ける。

今日の講題『いのちのバトンタッチ』。
バトンが次に受け継がれることの尊さを改めて感じた。

 

法要が終わり、その後の祝宴に出ず、我が家へ直行。

実は、長男碧流(あいる)の8歳の誕生日。

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何とか、夕飯に間に合った。

そして、夕飯後はお母さん特製のバースデーケーキに舌鼓。

「お母さん、ありがとうっていったか?」と聞くと、「まだ」という。

催促して、「ありがとう」の一言。

「おめでとう」と「ありがとう」。

「いのちのバトンタッチ」は、ここからはじまる。

 

明日も一日750回大遠忌法要を勤め、稚児行列もあるそう。
明日も今日のように良いお天気で。

呉東組若婦人連続研修会

10月20日(木)

今日から2日間、午前中横路地区の報恩講。

そして、午後から広の真光寺で、呉東組若婦人連続研修会。

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年3回の連続研修会。

我聞会がその担当に当たり、今年度は『アンケートに答えて』を担当。

研修会自体は10時から3時30分までで、そのなか、50分ほど話をする。

 

第1回目(6月)に書いていただいたアンケートのなか、

あなたは自分の“いのち”について考えたことがありますか?

という質問に、「はい」と答えた方がほとんど。

“はい”と答えた方、それはどんなことをきっかけとして?

という質問に、一番多かったのは、親の死・親族(友人)の死・主人の死など、身近な死。
それに次いで、病気をしたとき。

少数意見ではあったが、妊娠したとき、子どもを産んだとき、年を取ってというのもあった。

まさに、生・老・病・死の四苦である。

苦に直面したとき、人はいのちを見つめなおす。

 

今日、報恩講にお参りしたお宅で、「ちょっとだけお時間よろしいでしょうか?」といわれ、少しお話を聞いた。

その女性は、今年足を骨折され、リハビリで歩けるようにはなったばかり。

私は明日で88歳の誕生日を迎えます。私はもうすぐ亡くなります。かならず亡くなります。でも、良いご縁があって、うちには良いお嫁さんを迎えることができました。だから、私が亡くなった後も、きっとお参りはしてくれると思いますので、これからもよろしくお願いします。

と、穏やかに、しっかりと語られた。

家のなかで、ずっと継がれてきたのは、こうした“いのちのリレー”。

そこから先祖を敬うこころも生まれてくる。
私にいのちを受け継いでくれた方々に対しての感謝の気持ち。

 

親鸞聖人が亡くなられて750年。
そこから脈々と受け継がれてきたのは、そのいのちのつながり。

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2011年10月20日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

我聞会 10月例会

10月18日(火)

今日から2日間、広両谷地区の報恩講。

そして、今夜は善通寺にて我聞会の10月例会。

『蓮如上人御一代記聞書』(111)(112)の輪読。

相手のことを思い、相手に応じて仏法を聞かせるように。(112)

相手に応じて説法することを「対機説法」といい、お釈迦さまがその方法をとられていた。だから、たくさんの経典が残っている。

また、このような方法を「応病与薬」ともいう。
病気に応じて薬を与えるように、相手によって説き方を変える。

「臨機応変」ということばもそこから来ているのだろう。

「人を見て法を説け」
「座を見て法を説け」
「機に因りて法を説け」

など、ことわざにもなっている。

 
それから、「嘘も方便」ということばもある。
真実に導くための手段として用いられる。

キサーゴータミーという幼い我が子を失った若いお母さんの話は、まさに方便。

 

相手のことを思うには、相手のことを聞く必要もある。
それがなかなか難しい。

 

ちょうど、輪読の後のW氏の法話の内容がまさにそんなこと。

ある男性の母が亡くなった日、その1ヶ月前に行方不明となっていた息子の遺体が発見された。

その喪主である男性が、「母が最期に息子を見つけて逝ってくれたんです」と涙ながらに語ったそう。

ただの偶然では?と思いながらも、僧侶として「そうかも知れませんねぇ」としか答えられなかったと。

 

否定せず、ただうなずいて聞くことも大事なことである。

2011年10月18日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku