専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
1月15日(日)
3年前の1月15日に新型コロナウィルスの国内感染者第1例目。
あれから3年、現在第8波。
いまだに収束の気配が見られない。
そんな中、本日より御正忌報恩講。
御正忌は例年通り住職自勤。
今年は今日の昼席と明日の朝席の2席のみ。
折角なので、初めて記念輪袈裟を着けて。
このたびは『念佛日和』に法話を書いてお配りし、その内容に沿いながら法話を。
このコロナ禍で、まず文章にしてお配りし、それに沿って話をする方法を始めた。
マスクで聞きづらいと言うこともあるし、マスクで集中力が低下しているかなとも思うので、文字と声の両方で伝えることに。
デジタル派はまだまだ少数なので、こうしたアナログな方法が一番いいのかも。
この世のことは 何事も何事も 念仏の助縁
先日の小坪説教所での話を修正して、親と子の話を「つなぐご縁」をテーマに。
ようこそのお参りでした。
明日は朝9時より。
1月11日(水)
小坪説教所の御正忌報恩講、朝席で御満座。
1年ぶりに『つららのぼうや』を読む。
ちょっと絵本としては長いのだけれど、一年前に小学校の絵本の読み聞かせでこの本を読み、学年末のお礼の手紙にこの本が一番印象に残っていると書いてくれた子が多かったことを思い出しながら。
原作者は青木新門さん。
「青木新門さんってご存じですか?」
と聞いても、誰も。。。
映画『おくりびと』の原作として知られる『納棺夫日記』を書かれた方ですと言うと、「あ~」と。
昨年の8月6日にお亡くなりになった。
以前講演を聞かせいただいた時のぶろぐを読み返すと、『おくりびと』の映画から原作者として名前を出すのを辞退された経緯をお話されていた。
辞退された理由の一つは、外のインタビューでもよくお話されていたように、映画の脚本をいただいた時、自分が大切に書いた最後の章、第三章の宗教的な部分がすべて削られていたこと。
それともう一つ。
講演の中では、その舞台が山形で富山ではなかったことと言う話もされていた。
浄土真宗の御法義地、富山だからこそ親鸞聖人のみ教えに出遇えた。
だからこそ、富山で撮影していただきたかったと。
土徳
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
ここに生まれ、お念仏をいただいたご縁を大切に。
ようこそのお参りでした。
昨日、お寺で五十回忌の御法事があった。
「五十回忌の次は?」と聞かれ、「五十回忌の次は百回忌ですが、百回忌に生前の姿を知る人がご縁に遇うことはなかなかないので、五十回忌が最後の御法事としてつとめられるところが多いです」と答えた。
そして今日。そのお宅のお父様が亡くなられ、今日お通夜。
「昨日に続いてありがとうございます」と。
いのちのバトンタッチ。
青木新門さんがお話をされた時の講題だ。
お念仏のご縁がちゃんと受け継がれたのかな。
1月10日(火)
今日は午前中、呉東組聞名講の臨時役員会へ。
例年1月例会の後、3月の委員会に向けて役員会を開いているのだけれど、今日はその役員会に向けての準備。
コロナ禍までは役員さんのみで行っていたけれど、法中にも参加を求められ、お声をかけていただいたのでこのたびも参加。
そして、昼から小坪説教所の御正忌報恩講へ。
令和2年の御正忌報恩講を最後に、コロナで法座がストップ。
何度か再開を探っていたけれど、次こそはと、予定するたびにまん防だ、非常事態宣言だと、直前で悉く中止に。
それが、昨年末の12月に報恩講で久しぶりの御法座再開。
そして、このたび3年ぶりの御正忌報恩講。
昼席は、親と子の話より。
まるらおこ詩集『つかのまの童話』にある「風」という詩。
風
現世の極楽浄土として造られた
宇治の平等院鳳凰堂「死んだら浄土で
またあおうね」見学待ちの行列に並んでいる時
母が背中ごしに声をかけてきた
明るいこえだ「嫌」
ふりかえりもせずに
そう答えた風が吹いて
ふりかえると
こぼれた涙をふいている母「へんな子」
冗談で言ったのに
泣かれたら ほんまになるやん「浄土で待ってるからね」
と また念を押すように言うから
「待たなくていい」
と 念を押してしまったやん
どこまでも背を向けてしまう子に、親はいつまでも願いを。
にぐるものをすくいとるのご縁より。
夜席は、何故お寺へお参りするのか。
土徳の話より。
今遇えたご縁は、いろんなご縁が整って。
今朝お会いした聞名講講長さんは、現在本願寺派の講社連絡会の会長でもあるが、昨年より安芸教区講社協議会の会長にも就かれたそう。お寺の総代長もされているのに、さぞや大変だろうと頭が下がるばかりだけれど、それでも御法義話になるととっても嬉しそう。
それも親からいただいたご縁が。
そういうご縁を大切に。
ようこそのお参りでした。
1月8日(日)
正月が明けて1週間。
穏やかな毎日ではあるけれど、あれやこれやとすることがいっぱいで、もう正月のことはすっかり忘れて。。。
今夜は仏教壮年会の1月例会。
昨年は何を話したかなぁと昨年のぶろぐを見ると、まんぼう(まん延防止等重点措置)が前日に適用されたため、急遽中止となったと。
「まんぼう」、懐かしい言葉。。。
今年もじわりじわりと新型コロナウィルス感染者が増えているような感じではあるけれど、規制がないので開催を。
ただし、コロナ以前1月は新年互礼会だったけれど、今年も会食なしの普段の例会。
昨年は『学仏大悲心』と題し、寺報とは違うものを毎回用意して、それをもとに話をした。
マスクをしたままなので、口話だけではなかなか伝えづらい。
そこで、聞かなくても見ていただけたらその日の話が何とか分かるようにと。
毎回違う話題を取り上げたけれど、身近なところでの話に興味を持っていただけているように感じた。
今年もお寺や地域のことも交えながら、話が出来たらいいなぁと思い、正月から準備。
今日のテーマは「海からやって来た浄土真宗」
専徳寺の歴史を紐解いていくと、石山合戦の水軍との関わりが大きいようだ。
また、水軍の歴史を紐解いていくと、『鎌倉殿の13人』にたどり着く。
承久の乱後、関東の御家人たちが中・四国に所領をいただいてやって来た。
南北朝時代になると、北朝に味方した四国の御家人たちが、南朝側に追われ、瀬戸内海を渡って広島へ。
そして、ここで水軍となる。
白井水軍、蒲刈多賀谷水軍など、遠い遠いよその話ではなく、ここにつながっている。
何と何と、大河ドラマさながらの。
土徳
海に面した風待ち、汐待ちの港、長浜。
ここでご縁整って今遇うことを得たり。
ようこそのお参りでした。
1月2日(月)
暖かく穏やかな正月2日。
昨日は相変わらずバタバタとした元旦だったけど、ようやく落ち着き、やっと届いた年賀状を見ることが出来た。
そして、昨年末に切れてしまったお念珠の修理も。
バラバラになった念珠の珠を一つ一つ紐に通していきながら、何事もつながっているなぁと。
真宗教団連合の法語カレンダー、今年1月の言葉より。
信楽峻麿氏の言葉として、
この世のことは
何事も何事も
念仏の助縁
この言葉の背景にあるのは、恐らく石泉僧叡和上の弘願助正義。
そして、法然聖人の「衣食住の三は念仏の助業なり」。
又いはく、現世をすぐべき樣は、念佛の申されん樣にすぐべし。念佛のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてゝこれをとゞむべし。いはく、ひじりて申されずは、めをまうけて申すべし。妻をまうけて申されずは、ひじりにて申すべし。住所にて申されずは、流行して申すべし。流行して申されずは、家にゐて申すべし。自力の衣食にて申されずは、他人にたすけられて申すべし。他人にたすけられて申されずは、自力の衣食にて申すべし。一人して申されずは、同朋とともに申すべし。共行して申されずは、一人籠居して申すべし。衣食住の三は念佛の助業也。これすなはち自身安穩にして、念佛往生をとげんがためには、何事もみな念佛の助業也。(和語灯録)
「この世のことは何事も何事も念仏の助業」ではなく、「この世のことは何事も何事も念仏の助縁」。
すべてがお念仏を中心に。
これまで点と点の集まりだった世界が、何事も。
長浜のことを年末にいろいろと調べていて、ふと見つけた本を注文していたのが昨日届いた。
長浜にご縁のある時代考証家の山田順子さんが『瀬戸内海の島探訪「せとうち津々浦々」』を昨年春に徳間書店より出版。
その最後の締めくくりに出てくるのが、広小坪と広長浜。
それ以外にも昔「海賊・水軍」と呼ばれた人たちのこともたくさん紹介され、278頁フルカラーでありながらも2000円+税というお値打ち価格。
このあたりは、海賊・水軍とも縁が深い。
専徳寺が浄土真宗本願寺派へ改宗したのも、小須磨の磯神社に白井水軍が石山合戦での戦勝祈願として手水鉢を奉納したのと同時期。
石泉僧叡和上を長浜へ引き留め、生活を支援した多賀谷氏も水軍の流れ。
『妙好人伝』の九右衛門の息子、想四郎想吉も船士であったことなどを考えると。
長浜の、また専徳寺の歴史を紐解くと、すべてどこかでつながっているような。
どこか=お念仏
切れてバラバラになったお念珠が、一つのお念珠に。
そして、これまでのすべてがお念仏に。
南无阿弥陀佛