専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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4月24日(日)
一昨日、長浜小学校のPTA歓送迎会がここ専徳寺集会所で開かれ、その席でブログのことを紹介したら、早速小学校の高橋先生がご覧になり、コメントを寄せてくださった。
昨年の石泉文庫虫干し法座の時、当時高橋先生が担任をされていた6年生の児童が、地域学習で虫干しを手伝ってくれた。
法座は昨年7月13日夜席から16日朝席まで開かれたが、当初予定していた14日の朝席の後の石泉文庫から本を運び出す作業が、雨のためにできなかった。
それどころか、大雨洪水警報が発令され、朝席が終わった後、バケツをひっくり返したような大雨。長浜でもところどころで土砂崩れが発生した。
小須磨墓地では裏山が崩れ、大きな被害が出た。
地盤もかなり緩んで危険なため、夜席を急遽中止。
その代わり、臨時の総代会を開いて、墓地のことについて話し合った。
翌15日も雨で運べず、最終日の16日にようやく虫干しをすることに。
朝から6年生の児童が本を運ぶのを手伝ってくれ、その後一緒に虫干し。
そして、石泉文庫のことについて話をさせていただいた。
それから、「午後3時から片付けるので、もし手伝ってもらえる人がいたら手伝いに来てください」と言ったら、放課後にも関わらず、たくさんの児童がかけつけてくれた。
そんなこともあり、忘れられない虫干しとなった。
地域学習の一環としてこうした行事に参加していただくことは、大変貴重な体験だと思う。
何しろ、日本の歴史を動かしたと言っても過言でない人物“宇都宮黙霖”の書いた書物などを実際に触れることは、現代社会においてほとんどないことだろうから。
本来なら貴重書であるため、大切に保管しておくべきものなのかも知れないが、これらの本はこの長浜の地で毎年虫干しをしながら守られてきた。
この“みんなで虫干しして守っていること”自体がすごいことなのだと思う。
これらの本に触れ、またそれを守っていく虫干しに参加したことで、いろんなことを感じて欲しい。
これも大切なご縁である。
4月19日(火)
今日は肌寒い一日。
永代経法要の案内を配ってもらうための準備。
専徳寺では、春の永代経法要と秋の報恩講法要の年2回、総代・世話係の方にご足労いただいて、案内を配っていただいている。
その時、本願寺から春と秋に送られてくる『安穏 ~京都からのメッセージ』という新聞も一緒にお配りしてもらっている。
この『安穏』は、今月始まった750回大遠忌に向けて、2007年秋から続いている新聞で、今回が第8号になる。この新聞は10号までの予定なので、来年春まで続く。
今日はとりあえず長浜以外の世話係に届けていただく数を準備。
明日長浜の準備をすれば、一段落。
このたびの案内と一緒に、総代・世話係の方へは先日の「願 ともにがんばろう」の缶バッジを添えて、近々届けていただく。
そこから連休までにすべてに行き渡ることになるだろうか。
お世話いただく総代・世話係の方へ感謝[E:confident]
4月13日(水)
今日、発注していた缶バッジが届いた。
1ヶ月前の東日本大震災。
お寺で義援金は募っているものの、ほかにお寺としてできること。
それをいろいろ考えて・・・、たどり着いたのは伝えること。
お寺は伝道の道場、そして聞法の道場である。
それを形に示すため、缶バッジを制作してみた。
「願」の一字。
そして、「ともにがんばろう」のメッセージ。
この「願」の字は、親鸞聖人の真筆聖教よりいただいた。
「願」の右側には読み方を表す「クワン(がん)」、左側には意味を表す「子カフナリ(ねがうなり)」と書かれている。
この「願」は、私たちの願いではなく、阿弥陀仏の願い。
阿弥陀仏の願いをこころにいただく。
それが信心であり、それを形にしたのが念仏「南無阿弥陀仏」である。
親鸞聖人は、まず信心をいただいて念仏を称え、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と願うのがよいでしょうと手紙のなかに記された。
阿弥陀仏の願いをこころにいただいたら、このたび被災された方々の心に寄り添い、ともにがんばろう。そんな思いからこの缶バッジが生まれた。
「その気持ちをカタチに」
この言葉が話題になっているということは、今カタチにすることが求められているということ。
このバッジ。
近々総代・世話係の方にまずお配りしよう。
そして、このバッジをつけたいと思われる方に永代経法要等でお配りしよう。
それから6月に親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りするとき、これをつけて参拝しよう。
4月9日から本願寺では大遠忌法要がはじまった。
このたびの法要は、
すべての被災された方々の悲しみに寄り添い思いを分かち合いたいとの願いを持って、4月9日より親鸞聖人750回大遠忌法要をお勤めいたします。
と、御門主様の言葉に示されるように、願いをいただき、願いをもってあうご縁である。
4月12日(火)
午後から青空に誘われて野呂山まで。
野呂山の桜も今が満開。
太陽の光をいっぱいに受け、光り輝いている。
写真愛好家の方にとっても、今日は撮影日和。カメラ片手に桜を追う姿が見られた。
桜といえば、親鸞聖人の得度の前に読んだといわれる
明日ありと思ふこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
を思い起こすが、
花に染む 心のいかで残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
と、出家してもなお桜を愛し、
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
と、生涯桜とともにあった西行法師。
その西行庵のある吉野の桜を訪ねて、学生時代に一度だけふらっと行ったことがある。
満開の下の千本から一人歩いて行くと、中の千本を過ぎた当たりから人がまばらに。
すると、1羽のウグイスが飛んできて、私の目の前の枝に止まり鳴き始める。
それからしばらく、私の前を前を飛び移っては鳴き、数百メートルそれが続いた。
まだ、その頃は蓮如上人のウグイスの話を聞いたことがなく、「法、聞けよ」と聞くことができなかった。
毎年のように野呂山の桜を見に来るが、桜を見るたびそのことを思い出す。
思い出すということは、その声を今「法、聞けよ」と聞いてるのだろうか。
『阿弥陀経』の「今現在説法」のこころである。