9月29日(月)
土・日は年回法要の予定が入るので、報恩講参りは休み。
今日からふたたび、小坪地区の報恩講参り。
今夜は光明寺にて、久しぶりの我聞会例会。
輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(170)(171)。
(170)人は上がることばかりを考えて、落ちることがあるということを知らないとの誡め。
(171)往生を他人事のように思うのは、自分自身を知らないことだと仰せに。
時にはこうしたことばに我が身をふりかえることって大切なことかな。
先日、報恩講のお参り先で、お参りが終わった後、「去年は入浴サービスと重なってご縁にあえなかったのに、今年はこうして報恩講さんにあえてとっても嬉しいです」と、満面の笑顔で。
こちらから見ると、一日数件分の一件、報恩講シーズン何百件分の一件かも知れないけれど、ご門徒さんにとっては一年に一度のご縁。
気を引き締めて!
と、そんなことを思い出しながら・・・。
法話では、「あたりまえ」をテーマに聞かせていただく。
この「あたりまえ」。
昨日他のことで調べごとをしているなか、「あたりまえ」の反対語は、「ありがとう」だと出てきた。
その他のこととは、次男が今反対語に興味を持って、いろいろと反対語を聞いてくる。
「おとうさん、〈たすけて〉の反対は?」
「〈たすけて〉の反対?何かなぁ・・・」
と答えると、
『だいじょうぶ』
と笑顔で答えてくれた。
「そうだねぇ」
と答えたものの、あとで調べてみると、〈大丈夫〉の反対語は〈駄目〉だそう。
でも、〈たすけて〉に対して〈だいじょうぶ〉と答えたことは、私のなかでは大正解。
私たちの世界は、〈たすけて〉に応えようとするけれど、仏さまの世界は〈たすけて〉より先に〈だいじょうぶ〉を築いてる。
明日も朝から報恩講参り。