呉東組聞名講

10月11日(月)

先月の9月例会は緊急事態宣言で中止となった呉東組聞名講。

今日は仁方浄徳寺にて聞名講の報恩講。

本来なら、組内法中のほとんどが出勤して厳修されるのだが、緊急事態宣言が解除されてわずか10日ほど。
今日は聞名講担当法中のみで厳修。

揃いの色衣・五条を着けて、正信念仏偈第二種のおつとめ。

来月、住職継職法要を控え、きれいに彩色された輝くお内陣でのおつとめは何とも心地よい。

御法話のあとの御示談では、役員の方の質問用紙より。

2021年8月23日の中国新聞「洗心欄」に「独生独死 独去独来」という無量寿経の一節について、島根県の浄土真宗の住職が自分の生き方を客観的に見つめて、「覚悟」ということで思いを掲載されていました。
お聴聞の場でよく耳にする「独り」の言葉ですが、あなたはどう聞き、どういただいていますか?

その中国新聞の記事とは、

無量寿経というお経にこんな一節がある。「独生独死どくしょうどくし 独去独来どくこどくらい」。人は一人で生まれ、一人で死ぬ。この世に来たときが一人なら、去るのも一人―という教えだ。他者に依存しない、揺るぎのない自分を持つことの大切さに気付かされる。この教えの意味を2回の連載で考えたい。初回は老境にさしかかったときの心持ちについて、島根県邑南町の浄土真宗本願寺派西林坊の沢田隆之前住職(82)に聞いた。

もう35年も前のことです。旧瑞穂町の町民課長時代、町のデイサービスを利用していた70代女性からこんな話を聞きました。

男の子5人を育ててきたが、全員が家を出て社会人になった。みんな立派になってくれたと夫婦で喜んでいた直後、夫が急逝した。都会に住む子どもは同居しようと招いてくれるけれど、いまさら都会に出てもすることがない。知り合いもいない。そのときふと気付いたそうです。自分は一人なんだと。

▽死というものへの気持ちの落ち付けどころ…

それから女性は法座に足を運ぶようになりました。私たちは終わる命を生きている、亡くなった命はお浄土に行ける―。聴聞を受けることで気持ちが整理されるとおっしゃっていました。仏教の教えに触れることで、一人で生まれ、一人で死ぬことを受け入れていく。死というものへの気持ちの落ち着けどころを学んでおられるようでした。

ところが近年は、お参りをする人が減りました。お金が心のよりどころとなる風潮の中で、仏法に出会う時間が減ってしまった。そうなると、死を自分のこととして捉えるベースが希薄になり、死が怖いものでしかなくなってしまったのです。

一人で生まれ、一人で死んでいくというのは絶対的な事実です。それは孤独や寂しさを強調するものではありません。誰とも代わることのできない、この世にただ一つしかない尊い命をいただいている、という事実。かけがえのない人生を、知恵を使い工夫をしながら全うしなさいという、お釈迦しゃか様からのメッセージと受け止めてほしいのです。

もちろん、人とのつながりを否定しているわけでもありません。実際、私たちはいろんな関係性の中で生きています。たくさんの「一人」が連帯して絆を結び、相互支援をしながら暮らしています。

でも、私たちはそれを忘れがちです。自分自身をかわいがるばかりで、客観的に見ることができない。都合のよいように人に依存し、人を拒絶する。何をさておいても自分が―という「自愛」に満ちた世界から、なかなか抜け出すことができません。

親鸞しんらん聖人も自分のことを欲深い「凡夫」とおっしゃった。「欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ、ねたみの心ばかりが絶え間なく起こる。まさに命が終わろうとするその時まで、とどまり消えることはない」と書き記しておられます。凡夫である自分を知ること、客観的に見ることこそが大切なのだと気付かされます。

自分の人生、責任を持って引き受ける。独生独死の教えは、その覚悟を問うものです。でもたいてい、老いるほどに覚悟は揺らぎます。不安ばかりが増して、誰かにすがることを考え、主体的に生きることから逃げたくなる。人付き合いや行動範囲も狭くなりますから、自分を客観的に見る機会も奪われがちです。

老境においても、「自分の生き方をしておるんだろうか。自分らしく生きてきているのだろうか」と自問してください。心の中を鏡に映すように、じっくり眺めてほしいのです。

気持ちが集中できる場所で手を合わせ、一日の出来事を振り返ってみましょう。命あることに感謝し、ふとした小さなことに喜び、心を潤しましょう。そうした習慣こそが、おのずと人生を全うすることにつながるのです。 (中国新聞 2021年8月23日洗心欄)

いろいろとお答えを頂戴したので、一つ一つご紹介してのお味わい。

代わってあげることも、代わってもらうことも出来ない私たちの生死しょうじの問題。

 

帰宅して、今一度このことを振り返ると、本願寺のホームページに稲城選恵和上の御法話が。

本願寺ホームページ 「生死しょうじづべき道」 よむお坊さんの話 より

行きゆきて たおれ伏すとも 萩の原 (曽良そら

間に合ってよかった

ようこそのお参りでした。

2021年10月11日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku