我聞会 10月例会

10月18日(火)

今日から2日間、広両谷地区の報恩講。

そして、今夜は善通寺にて我聞会の10月例会。

『蓮如上人御一代記聞書』(111)(112)の輪読。

相手のことを思い、相手に応じて仏法を聞かせるように。(112)

相手に応じて説法することを「対機説法」といい、お釈迦さまがその方法をとられていた。だから、たくさんの経典が残っている。

また、このような方法を「応病与薬」ともいう。
病気に応じて薬を与えるように、相手によって説き方を変える。

「臨機応変」ということばもそこから来ているのだろう。

「人を見て法を説け」
「座を見て法を説け」
「機に因りて法を説け」

など、ことわざにもなっている。

 
それから、「嘘も方便」ということばもある。
真実に導くための手段として用いられる。

キサーゴータミーという幼い我が子を失った若いお母さんの話は、まさに方便。

 

相手のことを思うには、相手のことを聞く必要もある。
それがなかなか難しい。

 

ちょうど、輪読の後のW氏の法話の内容がまさにそんなこと。

ある男性の母が亡くなった日、その1ヶ月前に行方不明となっていた息子の遺体が発見された。

その喪主である男性が、「母が最期に息子を見つけて逝ってくれたんです」と涙ながらに語ったそう。

ただの偶然では?と思いながらも、僧侶として「そうかも知れませんねぇ」としか答えられなかったと。

 

否定せず、ただうなずいて聞くことも大事なことである。

2011年10月18日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 10月例会

10月11日(火)

今日と明日、小坪臨海地区の報恩講。

午後から、当山専徳寺にて呉東組聞名講の例会。

10月例会は報恩講法要も行われるため、呉東組法中、そろいの色衣・五条袈裟をつけて厳修。

直前になって、登礼盤作法をすることに。
おつとめは『正信念仏偈 第二種』。

その後、百周年の時の御消息を拝読し、称名寺若院さんの法話。

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御示談では、「凡夫」・「十方衆生」について質問が出た。

「凡夫」とは、凡庸なる士夫。
〔四諦の道理を知らない人をいう〕。

聖徳太子の十七条憲法のなか、

十にいはく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、われ是みすればすなはちかれは非んず、われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。ここをもつてかれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たりといへども、衆に従ひて同じく挙へ。

と、『註釈版聖典』(本願寺出版)には、「凡夫」に「ただひと」と仮名が振ってある。

お互いにただの人。
そのただの人である私が法に出遇うそのとき、愚の正体に気づかされるのだろう。

ハングリーであれ。愚かであれ。

故S・ジョブス氏のことば。

十方衆生では、仏性の話が出た。

「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」と経典には説かれている。

また、『大阿弥陀経」(『大経』の異訳)には、

諸有の人民・蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり。

小さな虫までも願いがかかっていると説く。

ただ、縁がととのわなければ種から花を咲かせることはない。

今、私たちは縁がととのって法に出遇えたことを大切にしたいものである。

2011年10月11日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

10月2日(日)

今夜は川尻の光明寺にて法中会。

今日の主な議題は『御縁の会』。

準備委員会のスタッフに任命され、話を進めてきた企画が、正式に今日の法中会で承認されて、いよいよ来月第1回目を開催することに。

『御縁の会』とは、呉東組各寺院の御門徒さんを対象とした婚活パーティーを開いて、新しいご縁を結んで頂こうと企画。

そのパンフレット作成を任され、ポストカードサイズに製作。

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初めての試み。

どんな風に展開するか分からないが、これが良い縁となり、組にとっても、寺にとっても良いご縁となればと思う。

2011年10月2日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

我聞会 9月例会

9月25日(日)

今夜は阿賀の称名寺にて呉東組若手僧侶の勉強会『我聞会』の例会に。

輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(109)(110)。

(109)は、本願寺の現代語版と、他の『聞書』の注釈書の訳し方がまったく違うという。
現代語版にもそのあたりのことが註に書かれているのだが、他の書の訳し方から見ると、蓮悟という人物はどんな人物であったのだろうか。と、そんな話で盛り上がる。

法話は、「自分が願われている」という話を聞かせていただく。

東井義雄(とういよしお)先生のお年玉の話から、親から願われていることに気づかされたという話。

この話を聞かせていただきながら、大晦日に行った『安穏のともしび』のこと、「願」バッジのことがふっと頭に浮かんだ。

願われていることに気づくご縁。
とても大切なご縁である。

この話を聞いて、早速帰宅してAmazonで検索。

「いのち」の教え

在庫が「残り1冊」となっていたので、迷わず購入。

秋の夜長。読書の秋となるだろうか。

その秋の夜長で、ふと思い出した。
我聞会からの帰り、専徳寺までの道筋を車で走っていると、溝に降りて逃げる焦げ茶色の後ろ姿。

どうも、あれはタヌキ。
昨年は10月末に大きなタヌキの夫婦が境内を走り去るところを見かけた。
そして、時々糞があったが、いつの間にか消えて。

今日のは少し小ぶりだったので、その子だろうか?

専徳寺も月夜に誘われタヌキがそろそろ出てくるようになるかな?

ちなみに、童謡『証誠寺の狸ばやし』で知られる証誠寺(千葉県木更津)も、浄土真宗本願寺派のお寺である。

2011年9月25日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 9月例会

9月12日(月)

月かげのいたらぬ里はなけれども
     眺むる人の心にぞすむ

これは、親鸞聖人の師匠 法然聖人の詠まれた歌。
今宵は中秋の名月。

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すべての人に届いている月の光。
それでも届いてることに気づかずに過ごしてる人もいる。

すべての人に届いている仏さまの願い。
それでも届いていることに気づかずに過ごしている人もいる。

今日は午後から呉東組聞名講の例会が名田説教所において開かれた。

例会に先立って、今年度の新役員に本願寺からの委嘱状が手渡された。

そして、勤行「正信偈」。
引き続いて、私が御消息を拝読させていただく。

今日の法話は法幢寺御住職。

その後の御示談では、お念仏を申す時に、亡くなった両親のことを思い起こす。そして、浄土でまた会えると信じながらも、それをどのように領解すれば良いのかという質問が出た。

その答えの一例として、ある学生の話が出た。
その学生は、父とは宗教が違う。
それで友人から、あなたのお父さんは宗教が違うから、亡くなった後お浄土で再び会うことはないと指摘されたそう。
でも、その学生は、宗教は違っても、自分を浄土真宗のみ教えに導いてくれたのが父だった。だから父とはきっと会えると答えたのだそう。

すべての人に願いが届いている。

聞名講が終わり、夕方阿賀の宝徳寺にて、呉東組のとある委員会に。
呉東組の寺院、そして地域が活性化するようにと、ひとつのプロジェクトがただいま進行中。

ともにがんばろう

「願」バッジに記したことば。

昨日で東日本大震災からちょうど半年。
ニューヨークの同時多発テロからちょうど10年。

また、改めてその意味を考える。

ひとりでなく、ともに。

帰り道、大きな満月が野呂山から姿を見せた。

眺むる人の心にぞすむ。

2011年9月12日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

9月3日(土)

大型の台風12号。
各地で大きな被害が出ているようだが、このあたりはもう峠を越えているようだ。
昨夜は風と雨の音が凄かったが、朝になると風も雨もほぼ治まって、夕方には夕焼けも。

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今夜は川尻の真光寺にて呉東組法中会。

大きな議題はそれほどなく、組長会の報告が中心。

呉東組団体参拝の第3班が、9月8日に出発。
呉東組の団体参拝としてはこれが最後。
「願」のバッジをつけて、どうぞ良いご縁に。

それから東京国立博物館で開かれる『法然と親鸞 ゆかりの名宝』展のポスターなどを頂いて帰った。
京都では春に『親鸞展』(京都市美術館)と『法然展』(京都国立博物館)が別々に開かれたが、東京では史上初の合同展なのだそう。

機会があれば是非どうぞ。

2011年9月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

延寿荘訪問 (専徳寺仏教婦人会)

8月3日(水)

午後から特別養護老人ホーム『延寿荘』を専徳寺仏教婦人会の方と一緒に訪問。

これは呉東組仏教婦人会連盟の活動で、組内各仏教婦人会が順番に延寿荘と成寿園を訪問している。
今月は専徳寺仏教婦人会が担当。

正信偈を皆さんと一緒にとなえ、そのあと法話。

このブログにも紹介した金子みすゞさんの『蓮と鶏』を紹介。
どんなに美しい花を咲かせる蓮の種も、種だけでは芽も出ない。
2000年以上前の蓮の種も、環境(縁)が整えば芽を出し花を咲かせる。

今年、庭に蓮を迎えたことで、私もいろんなことを学んだ。

それも私のせいじゃない。

それもご縁である。

法話のあと、婦人会の方が『涙そうそう』の音楽でフラダンスを披露。

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猛暑のなか、さわやかなひととき、さわやかなご縁をいただいた。

2011年8月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

7月31日(日)

今夜は仁方の浄徳寺にて法中会。

先日急遽連絡があり、こども用の浴衣や草履などがあれば、法中会に持ち寄ってくださいと。
今日、たくさんの浴衣などが集まった。

これは、呉東組仏教婦人会の会長さんが現地に赴き、そして仙台別院のボランティアセンターで依頼を受けた。
東日本大震災で被災された子どもたちに、盆踊りのための浴衣を用意したいと。

それを受けて集められた。

被災地ではお盆を迎えるにあたり、行方不明の方のお葬式が行われるようになったとニュースで聞く。

お盆。

日本各地でいろんなお盆の迎え方があるが、初盆を迎える方にとっては特別なご縁。

先日、27・28日と呉東組日曜学校連盟が、一泊研修会で750回大遠忌に参拝。

呉東組から子ども30名と保護者12名が参加。
全国から子どもたちが1600名ほど集まったのだそう。
そのなか、呉東組はみんな揃って「願」のバッジを着けて。

小さなメッセージが大きなメッセージとなりますように。

2011年7月31日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組我聞会 7月例会

7月24日(日)

今夜は川尻光明寺にて呉東組の若手僧侶の勉強会『我聞会』の例会。

『蓮如上人御一代記聞書』の(107)(108)を輪読。

(107)人は自尊心が高く、自分の考えを他人から批判されるのを好まない。
蓮如上人は、「だれからでも心得違いを直してもらうよう心がけることが大切なのである」と仰せられた。
なかなかこれが出来ないこと。でも、お互いに大切なことでもある。

(108)では、善知識について。
「善知識とは?」と問われたN氏が、臨終勤行にお参りした時の亡くなられた方の姿と答えた。
新鮮な答えを聞かせていただいた。

輪読の後、法話として「いただきます」と「ごちそうさま」の話を聞かせていただく。

浄土真宗本願寺派では「食前のことば」「食後のことば」があるが、それが一昨年一部改められた。
食前のことばは、

みほとけとみなさまのおかげにより
このごちそうをめぐまれました。
(同音)深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます。

が、

多くのいのちと、みなさまのおかげにより
このごちそうをめぐまれました。
(同音)深くご恩をよろこび ありがたくいただきます。

と変更され、食後のことばが、

尊いおめぐみにより、このごちそうをめぐまれました。
(同音)おかげでごちそうさまでした。

から、

尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます
(同音)おかげでごちそうさまでした。

に変わった。
(ことばの解説は本願寺のホームページで。)

帰宅して、このことについて調べてみた。
この改訂前の食事のことばは、昭和34年に作られたもので、それ以前は、

食前のことば
われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵とにより
この美しき食を饗く。
つつしみて食の来由を尋ねて味の膿淡を問わじ。
つつしみて食の功徳を念じて品の多少を選ばじ。
いただきます。

食後のことば
われ今、この美わしき食を終りて、心ゆたかにちから身に充つ。
願わくは、この心身を捧げておのが業にいそしみ、
誓って四恩にむくい奉らん。
ごちそうさま。

だったのだそう。
これは、今でも天台宗で同じことばが用いられているようだ。

本願寺派では、江戸時代に日渓法霖が『対食偈』というものを作っている。
法霖は、石泉僧叡よりも少し前の学僧である。

粒々皆是檀信  粒々みなこれ檀信
滴々悉是檀波  滴々ことごとくこれ檀波
非士農非工商  士農にあらず工商にあらず
無勢力無産業  勢力なく産業なし
自非福田心力  福田衣の力にあらざるよりんば
安有得此飯食  いずくんぞこの飯食を得ることあらんや
慎莫問味濃淡  慎んで味の濃淡を問うことなかれ
慎莫論品多少  慎んで品の多少を論ずることなかれ
此是保命薬餌  これはこれ保命の薬餌なり
療飢与渇則足  飢と渇とを療すればすなわち足る
若起不足想念  もし不足の想念を起こさば
化為鉄丸銅汁  化して鉄丸銅汁とならん
若不知食来由  もし食の来由を知らずんば
如堕負重牛馬  重きを負える牛馬に堕すごとし
寄語勧諸行者  語を寄せてもろもろの行者に勧む
食時須作此言  食するときすべからくこの言をなすべし
願以此飯食力  願わくばこの飯食の力をもって
長養我色相身  わが色相の身を長養し
上為法門干城  上は法門の干城となり
下為苦海津筏  下は苦海の津筏となりて
普教化諸衆生  あまねくもろもろの衆生を教化し
共往生安楽国  ともに安楽国に往生せん

尊いいのちをいただく。そして、感謝の気持ちを込めて、「いただきます」「ごちそうさま」。

よその宗教では、神に感謝。神に祈りを捧げる。
でも、こちらは目の前にあるいのちに。
日本語ではそんな気持ちを込めて、「お」や「さま」を付ける。
「お肉」「お魚」「お野菜」「御飯」「お茶」・・・。
日本の“ことば”の持っている意味を大切に。

また、今日もいろんなことを学ばせていただいた。

     

2011年7月24日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組納涼会 なでしこ&カープ観戦

7月18日(月)

昨夜寝る前、目が覚めたらサッカーを観よう。
そう思って眠りについた。
すると、朝3時にピタッと目が覚め、こっそり起きてテレビで観戦。

アメリカはさすがに強かった。
何度もダメかと思ったが、選手たちはそうでなかったらしい。
2度も追いつき、とうとうPK戦。

私がいないことに気づいた長男が起き、次いで次男も妻も。
なでしこジャパン、世界一の瞬間をみんなで観ることに。

久しぶりに感動。
しかも、終わった後はみんな笑顔。

大きな大きなメッセージとして、被災地へも届いたことでしょう。
私の心にも届いているのだから。

そして、今夜の呉東組納涼会は阪神VS広島戦。

ここ数年納涼会は、恒例となってきたカープの応援。
20名ほどが参加し、私も長男と一緒に。

ただ、今夜は6時からお通夜。
台風が近づいてることもあり、欠席することも考えたが、前から長男が楽しみにしていたので、お通夜が終わってマツダスタジアムへ向かうことに。

スタジアムに着いたら、すでに5-0。

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盛り上がることなく、そのままのスコアで終わってしまった。
試合に負けても、長男は楽しかったらしい。

なでしこの最後まであきらめない姿勢。
その姿を見てサッカーを始める子どもがいる。
大人の姿は子どもたちの手本だ。

こちらもあきらめない姿を見せたいところだが、くれぐれもあきらめの悪い姿にならないように。
このあきらめの悪いことを「往生際が悪い」という。
これも、仏教用語から生まれたことばである。

2011年7月18日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku