9月25日(日)
今夜は阿賀の称名寺にて呉東組若手僧侶の勉強会『我聞会』の例会に。
輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(109)(110)。
(109)は、本願寺の現代語版と、他の『聞書』の注釈書の訳し方がまったく違うという。
現代語版にもそのあたりのことが註に書かれているのだが、他の書の訳し方から見ると、蓮悟という人物はどんな人物であったのだろうか。と、そんな話で盛り上がる。
法話は、「自分が願われている」という話を聞かせていただく。
東井義雄(とういよしお)先生のお年玉の話から、親から願われていることに気づかされたという話。
この話を聞かせていただきながら、大晦日に行った『安穏のともしび』のこと、「願」バッジのことがふっと頭に浮かんだ。
願われていることに気づくご縁。
とても大切なご縁である。
この話を聞いて、早速帰宅してAmazonで検索。
「いのち」の教え
在庫が「残り1冊」となっていたので、迷わず購入。
秋の夜長。読書の秋となるだろうか。
その秋の夜長で、ふと思い出した。
我聞会からの帰り、専徳寺までの道筋を車で走っていると、溝に降りて逃げる焦げ茶色の後ろ姿。
どうも、あれはタヌキ。
昨年は10月末に大きなタヌキの夫婦が境内を走り去るところを見かけた。
そして、時々糞があったが、いつの間にか消えて。
今日のは少し小ぶりだったので、その子だろうか?
専徳寺も月夜に誘われタヌキがそろそろ出てくるようになるかな?
ちなみに、童謡『証誠寺の狸ばやし』で知られる証誠寺(千葉県木更津)も、浄土真宗本願寺派のお寺である。