牡丹開花

4月28日(木)

今日は快晴。

朝、牡丹ぼたんが一輪開花。

境内に花を迎えようと、先日牡丹の鉢植えを二種類購入。

その内の一つ、“島根長寿楽”と言う牡丹が開花。

 

牡丹はお寺の欄間やふすま絵、いろんなところに描かれている。

また、その牡丹とともに描かれるのが唐獅子。

 

「唐獅子牡丹」と言えば、高倉健さんの映画の影響もあってか、任侠の世界をイメージ。

でも、これはお経に説かれている話に由来。

百獣の王である獅子は、怖いものなしではあるが、唯一怖いものがあった。

それは、自分の体内に寄生している虫。

それによって命を奪われてしまう。

これは『阿弥陀経』の翻訳者としても知られる摩鳩羅什くまらじゅうが訳した『梵網経』に、「獅子身中の虫」と、仏教徒でありながら仏教に害をなすものの譬えとして出てくる。

これを転じて、恩を受けた者に仇で報いることの譬えとして、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも知られる『吾妻鏡』にも引用されているとか。

 

ただ、その寄生虫にも、怖いものがあった。

その寄生虫は、牡丹の夜露に当たると死んでしまうのだそう。

そこで獅子は夜露を垂れる牡丹の下で安心して眠ることが出来ると言う話から、唐獅子と牡丹が一緒に描かれ、「獅子身中の虫」「唐獅子牡丹」と言った言葉が広まったとか。

 

安住の地

私にとっての安住の地。
それがここですよと、教えてくださっている牡丹の花。

 

今日は午後から広南中学校の参観日・PTA総会。

久しぶりの参観と言うか、去年は一度もなかったので、次男が中学に入ってから初めての参観?

そこで何と!
英語の授業で今日はシンガポールのマーライオンの話。

牡丹と言えば、やっぱり獅子なのかな。

 

木耳?

4月6日(水)

新年度、新学期が始まった。

境内のソテツ、2年前にどんどん重みで枝が下がってきたので、枝ごと切ってもらった。

その切り口に、何だか今。。。。

どう見ても、木耳きくらげにしか見えないのだけれど。。。

木耳とは、木に生えるクラゲ、とか、木に生えた耳と言う意味から来ているそうで、英名では“Jew’s Ear Fungus”(ユダヤ人の耳 菌類)と言う意味だそう。

何を聞くのか、何が聞こえてくるのか。

聞く耳は世界共通。

 

 

 

 

華鬘草

3月30日(水)

薄墨桜が15個の花をほぼ開花。

小さな花だけど、初めてここで咲いた薄墨桜。

昨日縮景園で見たソメイヨシノのように咲くのは、まだまだ先のことかな。

 

ただいま庫裏の玄関先に可愛らしいピンクのハート型の花が咲き出した。

華鬘草けまんそうという花で、鯛釣草たいつりそうとも呼ばれる。

今月5日に苗を買って鉢に植えたら、

あれよあれよと成長し、あっという間に花が咲いた。

中国・朝鮮半島に分布する花で、仏具の華鬘に似ているところから華鬘草けまんそうと呼ばれるのだそう。

仏具の華鬘と言っても、専徳寺の本堂にあるのは房の付いた紐華鬘ひもけまんと呼ばれる華鬘。

だから、華鬘と言ってもピンと来ないのだけれど、奈良国立博物館で見た牛皮華鬘ごひけまんとか中尊寺の金剛華鬘とかいろいろ。

ただ、毒があるそうなので、お供えとしては向かないみたい。

このハートがもっと連なってくるそうなので、それはそれで楽しみに。

 

 

兵戈無用

2月26日(土)

今のウクライナのことを思うと、ふと。

兵戈無用ひょうがむよう

『仏説無量寿経』に説かれている

仏所遊履 国邑丘聚 ―中略― 国豊民安 兵戈無用

ぶつ遊履ゆりしたまふところの国邑こくおう丘聚くじゅこうぶらざるはなし。天下和順てんげわじゅん日月清明にちがつしょうみょうなり。風雨ふううときをもつてし、災厲さいれいこらず、くにゆたかにたみやすくして兵戈ひょうがもちいることなし。

この言葉を。

「兵戈無用」とは、軍隊(兵)も武器(ほこ)も必要ないという意味。

 

上の写真は安芸教区平和・環境部会のピンバッジ(2011)。

広島が被爆77年を迎える今年。

改めて、

世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ

ウグイス初鳴き

2月24日(木)

今日も呉市に低温注意報。

でも、日ざしは暖かく。

朝、裏の螺山からウグイスの声が聞こえてきた。

昨年と同じくらい早い。

 

今、ヒヨドリがクロガネモチの実を食べにやって来る。
手水鉢のまわりに最近糞が落ちていて、何だろうと思っていたら、どうやらヒヨドリがクロガネモチの実を食べ、ハナミズキで一休み。
そして、手水鉢で水を飲んでいくようだ。

 

また、大洲順道を讃えた頌徳碑の前に、ピンク色の花が咲いている。

何の花かな?と思ってアプリで調べたら、「ヒマラヤユキノシタ」というそう。

原産はヒマラヤ山脈周辺(アフガニスタンから中国にかけて)。

シルクロードを渡ってきたのか、それとも違ったルートを辿ってきたのか。

いずれにしても、シルクロードを旅して天竺へ向かった三蔵法師たちは、この花を見かけただろうか。

 

藤袴

2月23日(水)

呉市に低温注意報が出ている中、昨年植えた宿根草の内、フジバカマが新芽第1号!!

昨年5月に植えたフジバカマ。
アサギマダラが旅の途中に飛んで来たらいいなと植えたのに、そこには来ないでツワブキに一度だけやってきた。(11/2)

今年ここで新芽が出たということは、ちゃんと根付いてくれるのかなと期待しつつ。
そして、今年はゆっくりアサギマダラを見ることが出来るかなと期待しつつ。

 

やどりせし 人のかたみか 藤袴 わすられがたき 香ににほひつつ

『古今和歌集』に紀貫之の詠んだフジバカマ。

去年咲いたフジバカマは、そんなに香がしなかったけど。。。

 

ひとはいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

こちらは『百人一首』に詠まれている紀貫之の歌。

紀貫之は、花の香をいろいろと楽しんでいたのだろうか。

紀貫之と言えば、三十六歌仙。

三十六歌仙と言えば、本願寺飛雲閣。

飛雲閣が聚楽第から移設されたという前提で、当時の飛雲閣を想像で3D再現したブログを見つけた。↓
3D京都(聚楽第に在った頃の飛雲閣を想像してみた 内部編

歌仙の間にいたら、三十六歌仙のような歌が詠めるようになるのだろうか。

 

花のそばにいるから、花の香を感じる。

何もないところでは、それを感じることもない。

そう思うと、感じるご縁を大切に。

 

 

 

聖徳太子

2月7日(月)

今日、2月7日は聖徳太子の誕生日。

〈聖徳太子〉か〈厩戸王うまやどのおう〉かで一時期教科書問題ともなった聖徳太子。

親鸞聖人は〈和国の教主〉と大変大切にされ、多くの和讃をお作りになった。

皇太子聖徳奉讃こうたいししょうとくほうさん』には、

大慈救世聖徳皇だいじくせしょうとくおう

 父のごとくにおはします

 大悲救世観世音だいひくせかんぜおん

 母のごとくにおはします

と、聖徳太子を親のようにお慕いに。

 

昨年4月、聖徳太子1400回忌が本願寺でも営まれたが、コロナ禍でひっそりと。
各地でさまざまな聖徳太子展が催されたようだけど、ひとつも観れず。。。

 
京都にいた頃、お彼岸に奈良法隆寺聖霊院のお会式にお参りさせていただいたことがある。
お供物がとにかく凄かったということと、普段はお目にかかれない聖徳太子摂政像(国宝)を間近に観ることが出来たことを今でも思い出す。

 

専徳寺には、本堂内陣の左余間(外陣より向かって右側)、御厨子のなかに聖徳太子孝養きょうよう像が。

父である用明天皇の病気平癒を願い、柄香炉を持って仏さまに香を献げる16歳の時のお姿だそう。

孝養

専徳寺には中国の親孝行の物語を集めた二十四孝の彫刻があったり、この本堂を建立した時の住職、大洲順道の想いがそこにあったのかなぁと、ふと。

 

節分

2月3日(木)

今日は節分、明日が立春。

暦の上ではもう春。

まだまだ寒いけれど、光が春めいて。

一昨年、鐘楼の南に植えた薄墨桜。
今年もつぼみが付いていないので、この春も恐らく葉桜スタート。
それでも去年倍くらい大きく育ったので、今年はどれくらい?と楽しみに。

昨年このまわりにいろいろと植えてみたものの、冬場は落葉して何とも寂しい限り。。。

一昨年はスナゴケを桜の根元に植えてみたけど、ネコに荒らされたり、日当たりも良すぎて、ここでは無理なのかなと。

そこで、日当たりの良いところでも育つ植物をいろいろと調べて、たどり着いたのが

サギゴケ(ムラサキサギゴケ)

名前はコケだけど、コケの仲間ではなく、地を這うように広がっていくのでコケの名が付いているとか。

日本にも自生する丈夫な植物なので、グランドカバーとしてもおすすめだそう。

 

グランドカバーとして地面を緑で覆うことで、少しくらい違ってくるかな?


13.気候変動に具体的な対策を
15.陸の豊かさも守ろう

このスペースでは微々たることかも知れないけれど、とりあえず小さなことから。

 

先日、植物のまわりに〈まくだけで蘇る〉という土を撒いてみた。

そして、本日届いたサギゴケを桜のまわりやあちこちに。

これが這うように広がっていくのだそう。

乾いた場所に緑が加わると、やっぱりいいな。

 

今日は午後、職人さんに本堂のお内陣を見ていただいた。

御本尊の阿弥陀如来、足下の蓮台のまわりにさらに花があるのは、なかなか珍しいお姿なのだそう。

また、衣に絵が施され、よく見ると

蓮の花が。

この角度から仏さまの姿をしげしげと見ることがないので、聞いてびっくり。

 

専徳寺の阿弥陀さまは蓮が描かれた衣を着け、蓮台には蓮と牡丹?

今年も花を楽しんで。

最後のご縁

1月13日(木)

呉市も広島県内でも新型コロナウィルスの新規感染者が過去最高だと。

そんな中、今日は午前中御自宅での17回忌の御法事に。

御主人の17回忌のご縁。
法話中ずっと肩を震わせ、よっぽど仲がよかったのかなぁと思っていたら、法事が終わると息子さんから「母が明日、〇〇(老人ホーム)に入所するんです。この家は誰もいなくなるので、今すぐではないけれど、近いうちに取り壊しになると思いますので、その時にはまた相談させてください」と。

それで、自分の隣に亡くなられた御両親の写真を並べ、ここでの最後の御法事をみんな揃ってお迎えになられたのか。

 

おりん

お佛だんかえたけど
おりんは どうしても
かえ難かった

このおりんは ご先祖さまも
母も 祖父母も ならされて
お別れにも ならした
おりんだ

(『樹にきく 花にきく』宇野正一 柏樹社)

 

このお仏壇で迎えた最後の御法事。

この詩のように、このおりんの音色で、いろんな方のご縁に遇ってこられたのだなぁと思うと、何だか尊く。

コロナで法事の延期・中止、自宅から本堂への変更の連絡がチラホラと。
でも、今日は御自宅でお参りできて、何だか有り難く。

※1月20日(木)に予定されていた呉東組聞名講例会(法謙寺)は中止になりました。

 

聞くとは

1月9日(日)

まんぼう(まん延防止等重点措置)がいよいよ本日より31日まで。

御法事を延期したいというお電話をいただいたり、法事をもっと先に考えていたけれど、先が見えないから今日にでもお願いできますか?とお電話をいただいたり。

 

そんな中、今日の御法事で〈蓮〉の法話をしたら、大変喜んでくださって、「亡くなった母も喜んでると思います。花が好きだったから」と。

今日のご縁に導いてくださったお母さんも一緒にここでお聴聞してくださったんだぁと思うと、何ともありがたい。

 

「聞くとは」

今朝の朝日新聞朝刊、〈折々のことば〉より。

 

御正忌に向けて、いろいろと本を取り寄せたのだけれど、11日・12日と予定されていた小坪説教所の御正忌も中止の連絡があり、しばらく出番がなさそうな。。。

その中の1冊、本願寺出版社の『出遇えてよかったね』(宮崎幸枝)に、

「その脳の中にない話を聞いているのです! 私の側には、仏さまのお覚りの中身の持ち合わせは点数を付けたら零点。偏差値の高い大学出の賢い人も零点。ノーベル賞受賞者も零点。零点の人間からすれば、仏さまの百点満点のお覚りの中は不明。脳が解釈をつけて、まとめようとすると聞き間違うだけ。だからただ聞こえてくるお説教とお念仏の声を聞くだけ。それが身に滲みお育てに遇うのです。ただ念仏。お前の口にナマンダブツと出て救う・・・・・・と言われ、ありがとうございます、ナモアミダブツとお礼をするばかり。みんな零点同士。聴聞の点数は、こっちが零点のままで満点」

と。
そのまんまをそのまんま聞く。

親鸞聖人も「聴聞」の左訓に、〈ユルサレテキク シンジテキク〉と。

 

今日から本願寺では御正忌報恩講。

インターネット中継もあるのでそちらでどうぞ。

https://www.hongwanji.or.jp/