7月19日(木)
石泉文庫虫干し法座が朝席で御満座。
法座が始まる前にポツポツと小雨が降り出したので、本を返すことが出来るか心配だったが、法座が終わった時点で雨がやんでいた。
それで石泉文庫へ本を返すことに。
車の通らない細い道。そこを昔と変わらず、人の手によって運ばれていく。

そして、その様子を凌霄花(ノウゼンカズラ)が静かに見守っている。
長浜の夏の風物詩。
暑い中、どなたさまもご苦労様でした。
そして、ありがとうございました。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
7月17日(火)
今日も青空の下、石泉文庫虫干し法座。
中国地方は梅雨明けしたと見られるそう。
朝席が終わると、石泉文庫から蔵書を専徳寺へと運ぶ。
広南小学校6年生のみなさんも地域学習でお手伝い。
小坪の子どもたちにとっては、石泉文庫?宇都宮黙霖?かも知れないが、汗だくになりながら本を干すのを手伝ってくれた。
本を干し終わった後、石泉文庫や宇都宮黙霖の話をいろいろと聞いていただくのだが、小学生だけでなく、お手伝いしてくださった地域の御門徒の方々も残って聞いてくださる。
石泉僧叡和上が生まれて250年。
65歳で亡くなり、その30年後にその後の石泉文庫のあり方について、門弟の方々と長浜の御同行で取り決めがなされた。
その一つが虫干し。
以来、この地の皆さんの協力で、ずっと受け継がれている。
200年も昔の本でありながら、きれいな姿で残っているのは、こうした方々のおかげ。
今日、参加した小学生のみなさんも、その輪に加わった。
実際にさわって、いろんなことを感じてほしい。
そして、今日はたくさんの質問もいただいた。
午後3時より干した本を片付け、一切経以外の蔵書を目録と照合。
そして、夜席でいただいたことばは、
仏身円満無背相
このことばは、昨日の夜席でおつとめした『般舟讃』のことば。
中国の善導大師のことばである。
仏身円満無背相 十方来人皆対面
仏身円満にして無背の相なり 十方より来る人、みな対面す。
ほとけさまは背中を向けない。どこから来る人に対しても向かいあう。
私たちは面倒なことには背を向け、出来れば関わらないでおきたいという気持ちを持ったりする。
今、問題になっている”いじめ”もそう。
でも、今日こうしてみんなが虫干しという行事に向き合い、関わった。
ほとけさまのこころを知り、みずからの姿を知らされる。
ようこそのお参りでした。
7月16日(土)
朝席で石泉文庫虫干し法座が御満座。
このたびは、御講師に安登の浄念寺 安達高明御住職を迎えて、「仏教とは?」をテーマにいろいろと聞かせていただいた。
そのなかで、「聴聞」の話もされた。
「聴聞」
親鸞聖人は『顕真実教行証文類』(教行信証)の「行文類」に『平等覚経』を引用され、
宿世のとき仏を見たてまつれるもの、楽(この)んで世尊の今日を聴聞せん。人の命まれに得べし。仏、世にましませどもはなはだ値(もうあ)ひがたし。信慧ありて到るべからず。もし聞見せば精進して求めよ。
の「聴聞」の左側に「ユルサレテキク」「シンジテキク」と左訓(意味)を施されている。
聴聞とは、聞いて信じるのではなく、信じて聞く。聞いて信じて許されるのではなく、許されて聞く。私が中心、私が先ではないのだ。だから、「お聞かせいただく」のである。
朝席が終わり、石泉文庫へ本を返す。
多い人で何往復していただいたのだろう。
ノウゼンカズラが青空に映える。
お手伝い、ありがとうございました。
7月15日(金)
石泉文庫虫干し法座3日目。
今日も青空の下、朝席が終わると残りの半分を虫干し。
石泉文庫の虫干しは、毎年すべての本を出して虫干ししているのでなく、文庫内のほぼ半分の蔵書を隔年で干す。
来年は文庫内に残っている方の本を。
そう思うと、大変な数である。
でも、中身は読めなくても、手にされる方、それぞれにいろんなご縁が生まれている。
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今年もおかげさまで無事干すことが出来た。
明日の朝席が終わったら、これをみんなで石泉文庫へお返しする。
今、本堂の廊下から満開のノウゼンカズラが見える。
石泉文庫にも咲いている。
この花は平安時代に中国から渡ってきたのだそう。
中国名が「凌霄花(りょうしょうか)」。
それを日本で「ノウセウ」と読んだのが訛って「ノウセン」となったとか。
霄は「空」とか「雲」の意味があって、「空を凌ぐ」。空に向かって高く咲く花の姿を表した名前なのだそう。
文字通り、青空のなかによく映えている。
法座も明日の朝席で御満座。
明日もお誘いあわせてお参りを。
7月14日(木)
青空の下、石泉文庫虫干し法座2日目。
本堂に張られたロープの下でのお聴聞。
この朝席が終わった後、石泉文庫から専徳寺の本堂まで蔵書を運ぶ。
今年も長浜小学校6年生が地域学習として手伝ってくれた。

運ばれた本は、ロープに干されていく。
本堂いっぱいに干された本はいつもながら圧巻だ。
干す作業が一段落付いたところで、手伝ってくれた小学生にPowerPointで用意した資料を見せながら、石泉文庫の話をする。
手伝ってくださった方も一緒に。
干されている本で、一番多いのは黄檗一切経。
この「経」について話をした。
「経」とは、古代インドのことばで「スートラ」。
それを音写したのが「修多羅」。
そして、漢訳したのが「経」である。
「経」とは、たていと。
地球儀の縦と横の線。横の線が緯度、縦の線が経度を表すように。
どうして、その「たていと」か?
お釈迦さまが亡くなられ、その後、お釈迦さまの話をずっと側で聞いていた弟子たちが集まって文字に現した。

当時、紙のなかったインドでは「貝多羅葉(貝葉)」と呼ばれる椰子の葉に記した。
そして、それに穴を開け、そこに糸を通してきれいに束ねた。
それが「たていと」と呼ばれる由来だそう。
数枚のスリランカの貝葉経を見せながらこの話をした。
「修多羅」。
実はこのことば、日常の会話にも使われている。
「ふしだら」「だらしない」
このことばは、きちんとしていないという意味で、「不修多羅」が訛って生まれた言葉といわれている。
お経はお弟子さんたちがきちんと整理し、糸で束ねてまとめた。
それに対しての「不修多羅(ふしだら)」。
私たちが使っていることばにはそんなことばがいくつもある。
そして、「虫干し」の話。
本を食べて穴を開ける虫は「シミ」と呼ばれる虫。
逃るなり 紙魚(しみ)の中にも 親よ子よ (一茶)
浄土真宗の教えに生きた小林一茶の俳句である。
「紙魚」と書いて「シミ」。
英語では、Silverfish。「銀の魚」と呼ばれる。
虫干しをして、このシミから本を守るわけだが、そのシミにも命があり、親子の関係がある。それを表現した一茶のことば。
小学6年生の児童も、和紙の軽さを体験し、たくさんの本の下でいろんなことを感じたと思う。
200年近く守られてきた地域の宝。
それを今日は守る力となった。
午後3時から干された本を片付けて、またもう一日残りの半分を干す。
暑いなか、ご苦労さまです。
7月13日(水)
今夜から石泉文庫の虫干し法座。

昨年は連日大雨警報も出たりして、最終日まで虫干しできなかった。
土砂崩れが起きたところもあり、夜席を1席休みとさせていただいた。
今年は早々と梅雨明けし、雨の心配はなさそうだ。
それでも、この暑さ。
電力不足に、水不足も心配されるところ。
熱中症にはお互い注意しましょう。
午後から、仏教壮年会の皆さんにご協力いただいて、虫干しのための準備。

本堂に仮設の柱を設け、そこに太い竹を一本渡す。そして、本堂の両側からロープをピンと張る。
このロープがピンと張れていないと、本を干す時に重さでだらりと垂れてしまう。
力のいる作業である。
準備も整い、夜から法座。
御講師は安登の浄念寺 安達高明御住職。
仏とは?
迷ったと気づいた時に、正しい道を知ることが出来るという話を聞かせていただいた。
明日の朝席が終わったら、石泉文庫から蔵書を本堂へ運び、2日間干す。
長浜小学校6年生が、明日は地域学習として本を運ぶのを手伝ってくれる。
実際に江戸時代の本を手にして何かを感じて欲しい。
江戸時代からずっと地域の方々によって守られてきているそのつながりを感じて欲しい。
そして、そのなかに自分がいることも。
明日も良いご縁となりますように。