仏教壮年会 2月例会

2月8日(金)

昨日、法事でお参りに行くと、西山(黄幡山)からウグイスらしき声?
あまりにも早いかなと思いながら、

昨夜は広某所にて専徳寺総代会の新年会。

そして、今夜は仏教壮年会 2月例会。

今日は、先月の呉東組実践運動研修会を受けて、そのお話を。

呉東組の重点目標は、「貧困の現実に学ぶ」。

先日の仏教婦人会の新年会と重なるが、阿弥陀さまのお心を通して。

平等心をうるときを
 一子地となづけたり
 一子地は仏性なり
 安養にいたりてさとるべし

仏さまのようにいかないのが凡夫の心。
でも、せっかくいただいたのだから、できることを。

ようこそのお参りでした。

2019年2月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

仏教婦人会新年会

2月4日(月)

今日は11時から専徳寺仏教婦人会の新年会。

おつとめのあと、法話の中で、まずは先日の実践運動研修会の話を。

「《SDGs》って知ってますか?
というより、これ何て読むか分かります?」

と。

「・・・」

これは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略で、「エスディージーズ」と読むらしい。
国連で2015年に採択された、世界を変革するための17の目標のことを表しているそうだが、あんまり知られていない。。。
その1番はじめが「貧困をなくそう」。

まずは知ることから。

今朝の中国新聞、洗心欄にお寺のネット活用が。

SNSに関しては、それぞれいろんな考えをお持ちのようだが、個人的にはそれが有効に活用できればいいなと思う。また、いただいたご縁の「おすそわけ」な感じで使えたらいいなと。

先日、その「おすそわけ」な感じでいただいたのが、絵本を出版している童心社のフェイスブックに紹介されていた「母のひろば」のことば。

東京大学名誉教授(教育学)の汐見稔幸先生の『感謝と贈与』。

読ませていただいて、仏教婦人会の活動と重なっているかなと紹介。

「おかげさまで」と感謝し、ダーナ(布施)活動を通して贈与。

何も大それたことをするのでなく、できることを続けていけたら。

今年もいろいろとお世話になります。

2019年2月4日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

石泉文庫防火訓練

1月28日(月)

朝、読み聞かせから帰った後、雨がパラパラと。

正午の時点で雨が降っていたら中止の判断をしなければならなかったのだが、正午の時点では青空。

1時頃になって、またパラパラと雨。

心配したものの、その後雨は降らず。

1時30分より石泉文庫に集合し、事前の打ち合わせ。
1時45分頃、広南小学校3年生が石泉文庫へと到着。

2時、スモークが焚かれ、石泉文庫から火災発生!と、地域の方から消防へ通報。

そして、消防隊の到着まで、地域の方が初期消火。

そして、消防隊が到着!!

消防隊が到着し、放水はしないけど、子どもたちの目の前で迫力ある消火活動。

石泉文庫まで道が細くて消防車が入れないので、専徳寺の下から延長ホース。
後片付けも大変。

場所を専徳寺境内に移して、呉市東消防署署長の話、

そして、水消火器を使った消火訓練。

小学生も初めての消火器にドキドキしながら。

最後に、今年も天ぷら火災の実験。

今日は風が強く、天ぷら油の温度がすぐに下がって難しかったみたいだけど、最後に火の付いた天ぷら鍋に少量の水を入れたらどうなるかを実験。

あまりにも大きな炎にみんなびっくり。

火の怖さ、熱さ、そして火事の恐ろしさを実体験。

みんなで守ろう文化財

寒い中、ようこそのご参加でした。

元旦会

1月1日(火)

新年あけましておめでとうございます。
“なもあみだぶつ”に包まれて 世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
 

除夜会から数時間、一眠りして朝を迎え、9時から元旦会。

今年も正信偈をおつとめした後、本願寺にならって御開山親鸞聖人の『教行信証』総序の御文を拝読。

元旦会リーフレットに総序の御文、昨夜の除夜会の写真、そして今年は「私たちのちかい」を載せて。

本堂でのおつとめが終わり、庫裏のお内仏でおつとめをしている間に、総代さん方が昨日の除夜会の竹灯籠やキャンドルを早々に片付けてくださった。

お世話になりました。

終わって数名境内に残っておられたので、お礼を伝えようと外に出ると、「石泉」「黙霖」「順道」と、次々と郷土史談義に花が咲いて。

 

昨夜の除夜会は、青・黄・赤・白の蓮の花が親鸞聖人の足元に。

本堂の中では、お焼香をして阿弥陀さまに新年のごあいさつ。
小さなお子さんが、自分のお財布から一生懸命お金を取り出して焼香している姿、親のマネしながら手を合わす姿に思わずニッコリ。

「正月」の「正」。

漢字の語源を調べてみると、「一」に「止める」と書いて「正」。

元々は、「一」は四角い城壁で囲まれた都市、「止」は足跡を表しているそう。
城に向かって歩を進める姿が「正」の成り立ちだそうで、城に攻め込んで、その都市を治める姿が正義、「征服」の「征」にもつながる言葉だったみたい。

「正義は勝つ」というよりも、「勝ったものが正義」というのが「正」の本来の意味だったらしい。

そんなことを聞いて、ふと次の言葉を。

「世間虚仮 唯仏是真」(天寿国繍帳)

「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」(歎異抄)

世間ごとの「ただしい」は、時や所によって変わってしまうってことかな。

また、調べてみると、こんなことも。

正月の《正》という字ね、字引で引くとすると「何ヘン」で引くと思いますか?

やさしい字だから改まって引いたことがないかな?

昔の漢和辞典ではね、「止」というヘンで引くんですよ。

《正》というのはね、「一に止る」ということです。

「一を守る」 それが正。

それでは一とは何でしょう?

一とは原点、一とは自分、一とはこのわたしです。

自分が人間としての原点に止まる、それが正。

自分が人間としての原点を守る、それが正。

自分が自分の原点に立ち帰る、それが正です。

そして、自分が自分の原点に立ち帰る月、それが正月。

つまり、自分が自分になる月、それが正月。

自分が自分になるということは、人間としての、本来の自分になること。

それでは本来の自分とは何か?

「そんとく」「勝ち負け」お金の「有る無し」等と比べることをやめた自分、それが本来の自分です。

子供のことで言うならば柿の落ち葉をみて「わァ、キレイ!」と感動し、その落ち葉を大事に拾ってきた子供の心、それが子供本来の心です。

感動することにお金は一銭もかかりません。

感動にそんとくはありません。

そんとくを離れた人間本来の自分に立ち帰る月、それが正月です。

ふだんの私たちの現実生活は、いつも「そんとく」「勝ち負け」という「比べっこ」に振り廻されているから、一年に一ぺん、そういう世間的な「比べっこ」をやめて本来の自分に帰ろうというのが正月です。

正月になると、寺によっては、「修正会(しゅしょうえ)」という行事をします。

「修正する会」と書きます。

何を修正するのでしょう?

昨年やってきたことあやまち、失敗を反省し、同じことをくり返さないように、自分の原点に立ち帰って、自分の生き方を軌道修正するんですね。

そして、自分のことばかりではなくて、世の中の平安や世界の人々の幸せを祈願するわけです。

つまり、正月とは、「そんとく」で歪められた自分の軌道修正をする月ともいえます。

(相田みつを 『一生感動一生青春』より)

「一」に止まる。

どうぞ、よいお正月を。

2019年1月1日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

大晦日

12月31日(月)

今年の年末は、お葬式が続き、昨日も法事が3件。
ようやく、大晦日になって年始の準備。

午前中、年賀状。

午後から除夜会に向けて準備。

境内に竹灯籠を並べていたら、総代さん2名、仏教壮年会会員1名が照明を設置するために来てくださり、いろいろとお手伝いしてくださった。

竹灯籠を拭き、ライトをつけ、そして竹灯籠に蝋燭をセッティング。

それほど寒くなく、準備完了。
お世話になりました。

そして、本堂での準備が夕方まで。

最後のお夕事を本堂とお内仏でおつとめし、夕飯をいただいた後、紅白歌合戦を見ながら、最後の蓮作り。

とりあえず、一休み。

もう少ししたら、除夜会の準備に。

たくさんの蓮の花が親鸞聖人の足元を照らしますように。

どうぞ、暖かくしてお参りを。

今年も一年、ありがとうございました。

2018年12月31日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

広真光寺報恩講・法中会

12月19日(水)

今日は青空のもと、午後から今年最後の報恩講つとめあい、大広真光寺報恩講法要へ。

去年までと違うのは、今年の7月豪雨災害で全国ニュースにまで流れた真光寺橋の姿。。。

以前は、素敵な歩行者専用橋。(2年前の報恩講に撮影)

昨日、中学生の長男に今年の重大ニュースを調べる宿題が出ていたので、「豪雨災害は?」と尋ねたら、何と!ランキング10位以内に入ってないと??

1位が安室奈美恵引退。2位がカルロス・ゴーン日産自動車会長逮捕、3位がTOKIO山口メンバー事務所を退所。。。

時間が経つと、どんどん忘れられて。

 

今夜は安登浄念寺にて今年最後の法中会。

組内行事も残すところ忘年会のみ。

ともかくも  あなたまかせの  年の暮れ  (一茶)


2018年12月19日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

仏教婦人会 本堂清掃・報恩講

12月18日(火)

晴れあがった朝。

今日は朝9時より仏教婦人会のみなさんが集まって、本堂の清掃。

きれいにしていただいた本堂で、そのあと報恩講。

正信偈のおつとめをし、法話。

今日は、昨日読み聞かせで読んだ、かこさとしさんの遺作、『みずとはなんじゃ?』より話を。

今朝のNHKのニュースにもこの本のことを紹介されていて、とってもタイムリー。

ちきゅうの いきものの ひとりとして、
うみや かわを よごさないようにしましょう。
みずの もっている すぐれた せいしつを しった わたしたちは、
せっかくの みずの ちからを まもり、いきもの みんなが
いきてゆけるよう つとめましょう。

かこさんの最後のメッセージ。

ご門主さまが、秋の法要に「私たちのちかい」についてのご親教を。(⇒本願寺HP)

私たちのちかい

一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
  穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように

一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように

一、自分だけを大事にすることなく
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように

一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

仏さまの願い、仏さまのこころを知った私たちは、せっかくの仏さまのこころをいただき、いきもの みんなが生きていけるよう、つとめましょう。

何だかそんなふうに味わって。

婦人会のみなさまには、今年もいろいろお世話になりました。
ようこそのお参りでした。

2018年12月18日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

広島別院報恩講

12月14日(金)

今日は午前中、東小坪地区の通り報恩講。

これで、地区ごとでまわる通り報恩講は一区切り。
あとは、少し残ったところを。

午後から広島別院の報恩講へ。

このたび、専如御門主が、各地別院の報恩講をお参りになられるその最初が安芸教区。

ということで、別院の末席にてそのご縁に。

呉東組から、称名寺・住蓮寺御住職が結衆として、また、広島雅楽会より若さんたちが法要を彩る。

正信偈第二種の法要をおつとめし、そのあと、御門主さまよりご親教。

ただいまは、皆さまとともに、本願寺広島別院報恩講をおつとめさせていただきました。門主として初めて広島別院での報恩講法要を多くのご参拝の皆さまとともにおつとめ出来ましたことを嬉しく思います。今後もこのようなご縁を多くいただければありがたいと願っております。
まず、本年7月の平成30年7月豪雨において、お亡くなりになられた方に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。10月に被災されたお寺などへお伺いさせていただきましたが、被害の様子や現状をお聞きして、被災地の皆さまの生活の上には、いまだに災害が終わっていないこと、そして、終わりが見えないことを改めて感じました。大きな悲しみや苦しみを抱え、困難な状況の中で本日ご参拝くださった方もおありだと思います。報恩講に際し、皆さまとともに親鸞聖人のご恩を偲び、親鸞聖人が説かれた浄土真宗のみ教えを改めて深く味あわせていただきたいと思います。
仏教は今から約2500年前にインドでお釈迦さまによって説かれました。お釈迦さまはこの世界における不滅の真理をさとられました。不滅の真理ですから、それは時代や場所を問わず、いつでもどこでも、また、誰にでも当てはまる真理です。それを「四諦(したい)」、四つの聖なる真理として説かれ、その第一に「苦諦(くたい)」という私たちの現実世界の苦しみに満ちているという真理が説かれます。「四苦八苦」という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、私たちの人生における苦しみを具体的に示したのが「四苦八苦」です。「四苦」、四つの苦しみとは、生・老・病・死。すなわち、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つです。これらは、どれ一つとっても自分の思いどおりにならないことであり、この思いどおりにならないということが、仏教でいう苦しみの意味です。古来より人間はこの生老病死から逃れようと、様々なことを試みてきました。不老不死の薬を探し求めたり、今日ではアンチエイジングということがいわれています。しかし、諸行無常のことわりに示されますように、どのようなことをしても私たちは生まれてきた以上、死ななければなりません。そして、その死は老いたものから順番に訪れるわけではありません。現代のように科学技術が発達しても、私がどのような理由でいつ死ぬのかということを予測することは不可能です。病気のリスクを量ることが出来ても、不慮の事件や事故を避けることは出来ません。しかし、私たちはこの真実を直視することなく日々の生活を送っているのではないでしょうか。それは、自分だけは変わることなくいつまでも生きていきたいという欲望、すなわち自己中心性というものが、私たちの心の本質だからです。親鸞聖人はこのような私たちを放っておくことができないとはたらいてくださる阿弥陀さまのおはたらきに出遇われました。まぎれもなく、現代の私たちも、また将来の世代の人たちも自己中心性を持った凡夫であり、阿弥陀さまのおはたらきの中でこそ、このいのちを大切に生きぬくことができます。これからもみ教えを聞かせていただき、今日いのちがあることの不思議に思いをいたし、日々を大切に過ごしてまいりましょう。本日はようこそご参拝くださいました。(文責 専徳寺住職)

ご親教のあと、御講師 花岡静人師の御法話。

お内陣には屏風が立てられ、ご門主さまはそちらでお聴聞。

ご門主さまのご教示を受けたような、「あなたにとって一番大事なものは?」とのお話。

時には末席で聞かせていただくと、いろいろ見えてくるかも。

 

2018年12月14日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

善通寺報恩講

12月13日(木)

今日は午後から、つとめあいの善通寺報恩講の御満座へ。

その前に、午前中は毎年その近くのご門徒さんのお宅へ通り報恩講。

今日もお参り先で犬に吠えられる。
とは言っても、しっぽを振りながら吠えてくるので、どうもかまってもらいたい?
読経中は飼い主さんに抱かれ、吠えはしないけど、「ハー、ハー」声だけが後ろから聞こえてくる。

御文章を拝読し、終わった途端に、また「ワン、ワン、ワン!」と鳴きながら、近寄ってきてクンクンクン。

その犬の思いが伝わればいいんだけど、「ワン、ワン」ではなかなか。。。

それは、「ワン、ワン」だけでなく、言葉をどれだけ並べても相手に伝わらないこともある。

相手のことを思いながら伝え、相手のことを思いながら聞く。

何だかそんなことを。

善通寺報恩講。

無事、今年も導師をつとめさせていただいた。

今年もあと少し。

2018年12月13日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会 12月例会

12月8日(土)

寒い。

呉市内でも昼から白いものがチラチラ。

今夜は今年最後の仏教壮年会例会。

先月に引き続いて、除夜会に使う蓮の花作り。

ストーブのそばに3つのグループに分かれて作成。
少しずつコツをつかんでこられたよう。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔

大晦日、親鸞聖人に蓮のともしびを献げ、それぞれに輝く年を迎えられますよう。

2018年12月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku