専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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3月28日(月)
昨日に引き続いて、朝席・昼席・夜席と春季彼岸会。
浄土の救いは到達ではなく、浄土への方向の発見である。(藤場俊基)
住職を退任されるまで、掲示伝道をされていたそうで、その中からのことばより。
七高僧のお一人、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』
一毛をもつて百分となし、一分の毛をもつて大海の水の二三渧のごときを分かち取るがごとし。苦のすでに滅するは大海の水のごとし。余のいまだ滅せざるものは二三渧のごときなれば、心大いに歓喜す。
と、通常読むところを、親鸞聖人は『教行信証』の中に、
一毛をもつて百分となして、一分の毛をもつて大海の水を分ち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余のいまだ滅せざるもののごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。
と、読み改められた。
普通なら、あと2、3歩で頂上に到達だと喜ぶのを、親鸞聖人は山の麓を2、3歩歩み出したところを喜ばれているとのお話。
子どもがよく先を急いで走り出し、よその人について違う方向に向かう姿を思い出した。
いつも決まって、後ろから、「そっちじゃない!こっちよ!」と。
進むべき方向が定まる。
彼岸(浄土)からのお喚び声に導かれ。。。
ようこそのお参りでした。
3月27日(日)
彼岸も過ぎたけれど、寒さは戻ったまま。。。
午前中、お参り先で訪れた川尻。
寒いけれど、サクラがチラホラ。
今夜から春季彼岸会。
御講師は、島根県大田市 正蔵坊の菅原龍憲師。
今夜は「聴聞」のお話より。
聴くとは 動けなくなることだ
濵口竜介 「聴く」といいながら、ひとはたいてい聴きたいこと、理解できることしか聴かない。ほんとうの「聴く」というのは、これまでそのようなものがあるとすら思っていなかったような他人の疼(うず)き、心の震えに触れて、身じろぎできなくなることだ。それにとことん身を晒(さら)すこと。今年1月、砂連尾理(じゃれおおさむ)のダンス公演「愛のレッスン」アフタートークでの若き映像作家の発言。(鷲田清一)
今日紹介された、『朝日新聞』〈折々のことば〉79 (2015.6) より。
ようこそのお参りでした。
3月26日(土)
前坊守の故郷、明円寺若院の結婚式に一家で朝から。
子どもたちにとって、おじいちゃんの葬式は体験済みだけど、結婚式は初めて。
初参式、入学式、卒業式、葬式と、いろいろと人生の大切な節目の一つ、結婚式。
仏さまの前で、誓いのことば。 子どもたちにとって、今日の一日が記憶に残るといいな。
ここの本堂お内陣の欄間には蓮池の彫刻。 よーく見ると、その蓮池には一匹の
蜘蛛がいて、一本の糸を垂らしている。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。
自分一人だけ救われようとすると切れてしまう。
相手のことを思うこころをお育てていただくんだなぁと。。。
場所を移しての披露宴。 若い布教使さん、春秋会メンバーがたくさん。
どうぞ、お念仏薫る家庭に。
ご結婚、おめでとう。
3月25日(金)
今日は風が強く、寒い寒い一日に。
午前9時から広南小学校で、長らくお世話になった藤平校長先生、高橋先生、室賀先生の離任式。
校長先生と高橋先生は、長浜小学校に長男が入学した時に就任されてから6年間お世話になり、室賀先生は小坪小学校・広南小学校7年間。
《学びとありがとう日本一》をめざす広南小学校。
全校児童の「ありがとうございましたっ!」の大きな声が響いた。
そのあと、今度は隣の広南中学校で4名の先生方の離任式。
毎朝長浜のバス停で降りると、空気が暖かく、人が温かくと挨拶のなかで。
先日から読み始めた『呼び覚まされる霊性の震災学』の冒頭に紹介されたリントンの一節、
「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろうという。何かの偶然が水面に運び、大気に触れさせない限り、彼は水というものの存在を意識しないであろう」 (『パースナリティーの文化的背景』)
がふと。。。
曇鸞大師の「蟪蛄(けいこ)春秋をしらず、この虫あに朱陽の節を知らんや」(セミという虫は春とか秋を知らない。だから、夏という季節さえ分からない)という言葉とも重なるけれど、ここで育ち、ここしか知らなければ、ここがどれだけすばらしいか、どれだけ良い先生に出会えたかってことも分からないんだなぁと、先生方のあいさつを聞きながら。。。
ありがとうございました。
3月24日(木)
ここ数日暖かい日が続き、一気にサクラの花が開花。
でも、今夜は風が強く、寒くなりそうななか、浄徳寺にて我聞会の例会。
輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(198)(199)。
蓮如上人を支えた門弟の一人、金森の善従のお話より。
履き物を脱がないうちから、仏法のことについて話し始める善従に、〈どうしてそのように急いで話しはじめるのですか〉と尋ねたところ、〈息を吐いて吸う間もないうちに命が尽きてしまうのが世です。もし履き物を脱がないうちに、命が尽きたらどうするのですか〉と答えたのだと。。。
「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれり」の『御文章』白骨章や、「出息入息不待命終」(出る息は入る息を待たず、命終わる。)とのお釈迦さまの話より、無常の話はよく聞かせていただくところ。
頭では理解できるのだけれど、なかなかこれが自分のこととなると、いろんなことを後回しにしてしまいがち。。。
法話では、丁寧な言葉づかいの中にある大切なこころを。
そして、今日はこれまで「呉東組若婦人仏教連続研修会」として続いてきた研修会を、平成28年度より『やわらか真宗 (仏教婦人連続研修会)』と名称を変更し、年齢に関係なく、またこれまでの修了者でも受けられるような形に。
その役割分担を決定。
良いご縁となりますよう。
明日は広南小学校・中学校の離任式。