専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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6月17日(水)
今日は年に一度の専徳寺門信徒会の総会。
いつもお世話いただいている、総代、各地区の世話係のみなさんが集まって。
9時から準備と受付。
辞められる方への感謝状と、新しくなっていただく方への委嘱状。。。
そして、昨年度の報告と、今年度の行事予定、予算等をご審議。
今年もお世話になります。
終わると、外から子どもの声。
今日は広南小学校の1年生と2年生が“まちたんけん”で訪問。
こちらから一方的に話をするより、質問に答える形が良いかなと、質問を受け付けると、
「あの前にいるのは、もしかしてほとけさまですか?」
からスタート。
「おうちにお仏壇がある人!」
半分くらい手が挙がったけど、初めて見る子にとっては、何もかもが不思議な世界かな。
「ここは、いくらで買いましたか?」とか、「金でできてるもの(上卓)はいくらですか?」という何とも現実的な質問から、キョロキョロしながら、あれは何ですか?これは何ですか?
そして、「蓮君のお父さんは何の仕事をしているのですか?」とハッとさせられる質問も。
何と答えたら分かるかなぁと思いながら、「ほとけさまの心を届ける仕事をしています」と。
我ながらいい答えかなと思ったが、帰って坊守より「あれは分かりにくいかも」。。。
何はともあれ、今日はたくさんの方がお寺にご縁を。
ようこそ、ようこそのお参りでした。
6月15日(月)
昨日、広両谷のお参り先で、今年初めてシオカラトンボをみ~つけた。
今朝は広南小学校読み聞かせ。
担当は2年生。
はじめる前に、
「この日曜日、何の日か知ってる?」
と尋ねたら、
「・・・。」
「日曜日は父の日です。」
「あ~・・・」
「みなさんはお父さんのこと、何て呼んでる?」
「パパ!」「おとうちゃん!」「ちちうえ~!」と。
今日、読んだのは、
いつもダラダラしている“おとん”。
“おとん”ってよんどるから あかんのやろか。
と、パパ、おとうさま、ちちうえ、おとっつあん・・・と次々と呼び方を変えてみるけれど、やっぱり行き着くところは「おとん」。
すると、「なんや?」
「なんでもあらへん」
お父さんの呼び方にもいろいろ。
でも、何でもないけど呼んでみたって、とてもほのぼのした父と子のおはなし。
作者のホームページには、この絵本をいろんな方言に読み替えて、「おとんって、よんどるけぇ いけんのじゃろうか」という具合に広島弁でも紹介している。
でも、広島で「おとん」って・・・。
そんなことで、原文通り関西弁で読み聞かせ。
呼び方はいろいろあるけれど、自分のお父さんへの呼び方はそれぞれ。
「南無阿弥陀仏」もそう。
「なもあみだぶつ」「なまんだぶ」「なんまんだぶ」・・・
いろんなよびごえを聞くけれど、自分の「南無阿弥陀仏」だから。
ただ、「なんや?」とはおっしゃられないでしょうが。
今日は午前中、総代のみなさんが集まって、明後日開かれる門信徒会総会に向けての準備。
お世話になります。
6月11日(木)
雨の降るなか、阿賀西光寺において、呉東組仏教婦人会連盟の総会。
組内20単位の仏教婦人会より各3名ずつ参加。
総会のあと、役員の皆さんによる朗読劇、『金色のシカ王』。
昨年末の児童養護施設『仁風園』の報恩講で行われた朗読劇を再演。
プロジェクターを使って、お釈迦さまの前世の物語『ジャータカ』のなかのお話より。
こうした活動を通して、子どもたちに、仏さまのこころ、婦人会のみなさんのこころが届きますように。
昼食をはさんで、午後からは法話。
御講師は、備後教区浄福寺の山下瑞円師。
「早くおむかえが来ないかと・・・」と、ご門徒さまとの話で出てきた「おむかえ」=来迎の話より、御開山のお示しくださった南無阿弥陀仏のお味わいを。
雨のなか、ようこそのお参りでした。
6月8日(月)
今夜は仏教壮年会の6月例会。
先日の法座で、「笑顔」のお話を聞かせていただいたご縁に。
『無量寿経』のなか、
和顔愛語 先意承問 (わげんあいご せんいじょうもん)
〈表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ・・・〉
と出て来る。
何とも理想的な姿がそこに。
笑顔で過ごすってことは、何も私が幸せだから笑顔になるってことだけではない。
相手のことを思うて笑顔になることで、その笑顔が返ってくる。それと同時に、他へとひろがっていくことも。
こちらの夢の国も、そんな「和顔愛語」にも通じる世界だったかな。
ただ、仕事柄、笑顔になれないことも多々・・・。
それでも、心のなかでは「和顔愛語 先意承問」とありたいもの。
6月8日(月)
今朝は今にも降り出しそうな曇り空。
広南小学校の読み聞かせ。
担当は4年生。
明日がプール開きに向けてのプール清掃。
4年生以上がそれに当たっていることもあって、
とってもシンプルで、あっという間に読み終わってしまう作品。
日本の海で生まれたいわしくん。
捕獲され、店頭に並んで、買われて、焼かれて、食べられて。。。
そこで終わりでなく、人のからだの一部となって、最後のシーンでは
「ぼくはおよいだ」
何か感想ありますか?と聞くと、
普段はあんまり挙がらない手が、挙がる挙がる。
「食べられたところで終わりかと思ったら・・・」とか、「ちょっと怖かった」とか、いろいろ。
「いわし」といえば、金子みすゞの『大漁』
朝焼け 小焼けだ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう
人間の目と鰮の目。
「いわしくん」の目から見ると、食べられるために生まれてきたんじゃない。食べられて嬉しいなんて思わないだろう。。。
そんな大切ないのちを私がいただくということ。
金子みすゞの『大漁』とはちょっと違った見方で、「いのち」を表現。
おいしく、ありがたく、いただいて、そしてそのいのちを・・・。