専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月22日(土)
今年は寒いお彼岸。
それでも、ツバメの声を聞く。
今日は年に一度の呉東組の組会(そかい)。
住職・若院・総代代表と、教区の教化団体代表が一堂に会しての組会。
そして、このたびは『御同朋の社会をめざす運動(実践運動)』の研修会を兼ねて開かれる。
呉東組の実践運動重点プロジェクトは、
『浄土真宗における儀礼の意義を問う』
葬式のあり方を今一度問い直そうと、安芸教区実践運動委員長・中央本部副委員長の加藤一英先生をお招きして、葬式にまつわるお釈迦さまから現代まで、いろいろと貴重なお話を聞かせていただいた。
今日は受付を担当していたので、扉の外で「そっと」耳をそばだてて。
生まれたからには、誰にでも必ず訪れる「死」。
その「死」と向き合える大切なご縁に、私たちは何をいただくのか。
今日は、大切なヒントをたくさんいただいた。
その後の懇親会では司会。
8時をまわった頃、呉で震度2の地震があったそう。
ちょうど、お開きのご挨拶をいただいていたので、まったく気づかず。
気づかない程度で良かったかな。
明日の夜席から専徳寺の春季彼岸会。
どうぞ、お誘いあわせてお参りを。
3月17日(月)
今年度最後の広南小学校読み聞かせ。
担当は5年生。
今日読んだのは、
イギリスのデビッド・マッキー作。
子どもが小さかった頃に『ぞうのエルマー』というカラフルな象の絵本をよく読んだが、この作品もその作者。
ある国の大統領が、
「せかいじゅうの 人びとを しあわせにするためだ。われわれが せかいじゅうをせいふくすれば、みんなが われわれと おなじように くらせるのだからな。」
と、戦争をしては世界中を制服していった。
残ったのは、気にも留めていなかった小さな国だけ。
一つだけ残しておくのも気持ちが悪いということで、大統領は兵を率いてその国へ。
そこには兵隊がいない。武力もない。
そこを訪れた兵隊たちは大歓迎を受け、その小さな国の遊びや料理、歌を好み、仕事も手伝ったり。
大統領は「けしからん!」と、怠けてしまった兵隊を国へ返し、新たに兵隊をその国へ。
それでも、同じことの繰り返し。
そこで大統領は兵隊を少しだけ残して、自国へと帰っていく。
国へ帰ると、みんなが小さな国のいろんなことを真似ている。
こどもに歌を歌ってとせがまれた大統領は、思いついた歌を次々と歌うのだが、それはすべて小さな国の歌だった・・・。
『強い日本』・・・、どこかで聞いた言葉。
本当に強い国って何だろうと、問いかける物語。
春から6年生。
どんなふうに届いたかな。
3月16日(日)
今夜は善通寺にて我聞会。
輪読は、『蓮如上人御一代聞書』(160)(161)。
今日は私が担当。
(161)は「仏凡一体」。
「安心論題」が25論題だった頃にはあったのだが、今は17論題となり、「仏凡一体」は外されているという話から、殿試を受けるのに25論題を一生懸命勉強したことを懐かしく思い出しながら・・・。
その前の(160)は、「談合」での心得を説いたもので、「われこそがという思いもなく、人に負けて、信心を得るものである」という話。
どうしても「私」を抜きにして、人の話を聞けないのが私の姿。
そんななか、「私は生きている」ではなく、「生かされている」とのお味わい。
法話は、「老い」が見方次第では違った生き方ができるのではというお話を。
それはそうと、今日はご門主さまの書かれた本と、先日発注したチロルチョコが届いた。
『いまを生かされて』
ご和讃を通して、やさしいことばでご門主さまのこころが。
そして、チロルチョコは、淡い色彩、細かすぎると、なかなか難しいということが分かった。
少し修正した方が良いかな。
3月14日(金)
今日の未明、伊予灘を震源地とする地震が発生。
呉は震度5弱。
就寝中を襲った地震。
長い揺れが続いた。
揺れがおさまると、外から放送が聞こえてくる。
起きてテレビをつけてみると、早々に「津波の心配なし」との情報。
しばらく様子をうかがっていたが、サイレンの音も人の声もしてこないので、再び休むことに。
そして、午前中、専徳寺の長浜墓地・小須磨墓地、石泉文庫を見て回る。
前回、2001年3月の芸予地震では、寺の石垣がずれ、
その時のことを思うと、今回の揺れは小さかったのかな。
昨日、たまたまテレビで、ダイオウイカやサケガシラ、リュウグウノツカイなど、深海生物が最近定置網によくかかると聞いた。
すぐに、地震?と思ったものの、まさか自分の所では・・・と。
南海トラフ地震との関連性は低いらしいが、備えあれば憂いなし。
ご用心、ご用心との催促のご縁をいただいた。
3月11日(火)
あの東日本大震災から3年。
午後2時46分、専徳寺の梵鐘を鳴らす。
隣の住蓮寺からも聞こえてきた。
真宗大谷派では、この鐘を『勿忘の鐘(わすれなのかね)』と名づけているようだ。
あんなにショッキングな出来事だったのに、時間が経つと記憶からだんだんと薄れてしまいそう。
まだまだ復興には時間が・・・、そして、福島の原発問題は・・・。
忘れることのないように、ちっぽけな音かも知れないけれど、この鐘の音が響き、届いて欲しいなと思いながら。