専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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10月1日(水)
今日から10月。
昨日から3日間、小坪地区の報恩講を中休みして、ただいま白岳地区の報恩講参りに。

田んぼがあったりして、この稲の香りとコスモスがこの時期の光景。
今夜は宝徳寺にて呉東組法中会。
今月は組内行事もいろいろあり、その確認事項と、組長(そちょう)会報告。
7月4日に新しい御門主を広島別院にお迎えして、非戦平和を願っての法要が営まれる予定。
それに先立つ1ヶ月、広島別院において開かれる
“あなたの平和を表現してください。
と、平和をテーマとしたイベント募集のチラシをいただく。
音楽・演劇・書・創作アート・写真・映像・ワークショップ・シンポジウム・フリーマーケットなどなど、募集した内容を選考して行われるらしい。
あなたの“平和”・・・。
カタチで表現すると、何だろう・・・。
明日は予報では雨。
ひどく濡れなければいいな。
9月29日(月)
土・日は年回法要の予定が入るので、報恩講参りは休み。
今日からふたたび、小坪地区の報恩講参り。
今夜は光明寺にて、久しぶりの我聞会例会。
輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(170)(171)。
(170)人は上がることばかりを考えて、落ちることがあるということを知らないとの誡め。
(171)往生を他人事のように思うのは、自分自身を知らないことだと仰せに。
時にはこうしたことばに我が身をふりかえることって大切なことかな。
先日、報恩講のお参り先で、お参りが終わった後、「去年は入浴サービスと重なってご縁にあえなかったのに、今年はこうして報恩講さんにあえてとっても嬉しいです」と、満面の笑顔で。
こちらから見ると、一日数件分の一件、報恩講シーズン何百件分の一件かも知れないけれど、ご門徒さんにとっては一年に一度のご縁。
気を引き締めて!
と、そんなことを思い出しながら・・・。
法話では、「あたりまえ」をテーマに聞かせていただく。
この「あたりまえ」。
昨日他のことで調べごとをしているなか、「あたりまえ」の反対語は、「ありがとう」だと出てきた。
その他のこととは、次男が今反対語に興味を持って、いろいろと反対語を聞いてくる。
「おとうさん、〈たすけて〉の反対は?」
「〈たすけて〉の反対?何かなぁ・・・」
と答えると、
『だいじょうぶ』
と笑顔で答えてくれた。
「そうだねぇ」
と答えたものの、あとで調べてみると、〈大丈夫〉の反対語は〈駄目〉だそう。
でも、〈たすけて〉に対して〈だいじょうぶ〉と答えたことは、私のなかでは大正解。
私たちの世界は、〈たすけて〉に応えようとするけれど、仏さまの世界は〈たすけて〉より先に〈だいじょうぶ〉を築いてる。
明日も朝から報恩講参り。
9月23日(火)
彼岸の中日。
昨夜、珍客あり。
電気のついていない薄暗い部屋の畳の上に目がとまる。
黒い虫・・・。
一瞬、ゴキブリっ!と思ったが、どうも足が長く・・・、そして、どこかで見たような・・・。
よ~く見ると、何とスズムシが家の中に。
珍しいから、子どもたちに見せ、今朝庭へ放すことに。
それでも、放した場所あたりで夕方声が聞こえたから、あのスズムシかな。
スズムシといえば、親鸞聖人が流罪になった発端、後鳥羽上皇の寵愛をうけていた鈴虫・松虫の出家。
そう思って調べてみたら、『安楽寺 松虫姫鈴虫姫ものがたり』という絵本が昨年出ていると知り、早速注文。
絵は、化粧品の広告で有名な鶴田一郎氏。
絵本にしては何とも艶やかな。
明日からいよいよ報恩講参り。
息子の風邪をもらったようで、今朝から喉がヒリヒリ。
その上、夕食のシシトウの辛いのが当たって・・・。
どんどん声が低くなってるから、大丈夫かなと思いながら、明日からその時その時の精一杯のおつとめを心がけて。
9月21日(日)
今日は一日モズの高鳴きが長浜に響いた。
いよいよ秋到来。
「モズの高鳴き75日」ということばがあるそう。
モズの高鳴きが聞こえて、75日目に霜が降りるとか。
夏の虫の姿もだんだんと消えていき、昨日は道ばたにとってもきれいな緑色の虫の死骸を発見。
螺山にもいるのかな。
タマムシですぐに思いつくのは、法隆寺にある有名な国宝“玉虫厨子”。
それを再現し、法隆寺に奉納したものが存在するのだと。(茶の湯の森 )
「捨身飼虎」や「施身聞偈」の図が描かれた何とも美しい御厨子。
ただ、この御厨子のために1万匹以上の玉虫の羽が使われていると聞くと・・・。
そう思いながらいろいろ調べてみると、新選仏教文学集1に『たまむしずしの物語』(平塚武二著)を見つける。
絵本でもあるそうだが、とりあえずグーグルブックスで全文を読む。
タマムシの命が・・・と思っていたが、仏師若麻呂がタマムシを集める中で、
若麻呂は、玉虫をさがしまわっているうちに、また新しいことに気がつきました。いままでは、虫けらとしか考えていなかった虫が、虫けらというだけではすまされぬふしぎなものだということに気がつきました。虫などというものは、かってなところにちらばって、でたらめなことをしているのだと思っていたのが、そうではなく、命を持ち、それぞれに居場所をきめ、食べものにもきまりがあり、おどろくほどのやりかたで暮らしているのだということに気がつきました。
玉虫をあつめていれば、ほかの虫も見ないではいられません。森にも、林にも、いや、道ばたの草のかげにも、塵芥の中にでも虫はいるのでございますから、いやでも見ないではいられません。
フィクションではあるけれど、こんな話を読むと、何と自分は偏った見方をしているなと。
秋の訪れがまた一つ大切なことを。
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさいあき ちいさいあき
ちいさいあき みつけた
めかくしおにさん てのなるほうへ
すましたおみみに かすかにしみた
よんでる くちぶえ もずのこえ
ちいさいあき ちいさいあき
ちいさいあき みつけた
ちいさいけれど、おおきな秋みつけた。