専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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1月16日(水)
晴れてはいるが、冷たい朝。
今日の朝席で、当山専徳寺の御正忌報恩講も御満座。
親鸞聖人のご命日。
何とか声も持ちこたえ、終えることが出来た。
これで、秋のお彼岸明けから1年の3分の1を費やして続いてきた報恩講が、おかげさまで一段落。
ホッと一息つきたいところだが、そんなときに襲ったのが阪神淡路大震災(1995)。
御正忌明けの1月17日の朝を思い出す。
明日は石泉文庫の防災訓練。
1月26日が第59回文化財防火デー。
それに先だって、呉市では一番最初に開かれる防火訓練。
今回、初めて広南小学校の3年生が参加。
ちょうど社会科で、昭和46年(1971)4月27日に発生した呉市山林火災(大張矢山林火災)のことを勉強中。
長浜の方を含む18名の消防士が亡くなられた、戦後史上もっとも痛ましい山林火災。
そのことを学んでいる児童たちが、明日の訓練に参加される消防士の方々の姿をどのように感じるのだろう。
ご用心、ご用心。何ごともご用心。
1月15日(火)
今日はおたんや。
「おたんや」とは、「大逮夜(おおたいや)」が訛ったことば。
「逮夜」とは、もともと亡くなった日(命日)の前夜を指すようだが、親鸞聖人の月命日(毎月16日)の前夜を「逮夜」、祥月命日(1月16日)の前夜を「大逮夜」と呼ぶようになったところから、「おたんや」と呼ばれるように。
夜席には、大晦日に使った蓮のキャンドルを親鸞聖人像の前にお供え。
このたびのご縁で拝読している『御俗姓』に説かれている
かの御恩徳のふかきことは、迷盧八万の頂、蒼溟三千の底にこえすぎたり
「迷廬八万(めいろはちまん)の頂」とは、とても高い山の山頂。「蒼溟三千(そうこうさんぜん)の底とは、とても深い海底。
それだけのご恩に報いていく「報恩」、その意味をうかがっていく。
そして、『御伝鈔』を拝読。
すべてを拝読することは出来ないので、上下巻より2段ずつ。
このたびは先日の住蓮寺でのご縁、『弁円のなみだ』にあやかり、読ませていただいた。
その後、後席をつとめる。
今日は朝から法座・葬式・法座・還骨・通夜・法座と声を出しっぱなし。
終わる頃には喉がパンパンに。
明日の朝席で御満座。
お寒いなか、ようこそのお参りでした。
1月12日(土)
今朝8時30分より、昨日に続いて隣寺の住蓮寺へ御正忌報恩講に。
今日は長浜日曜学校“新年お楽しみ会”も兼ねて、子どもたちと一緒のご縁。
「らいはいのうた」をおつとめし、まずは長浜にお住まいのM氏が腹話術と手品を披露。
そのあと、昨日に続いて、安藤けいいち師の人形説き(ひとり人形芝居)。
子ども向けに2つの作品を上演。
最初は「なかよし」。
そして、「王さまとハトとタカ」。
この「王さまとハトとタカ」という話は、お釈迦さまの前世の物語、『ジャータカ物語』より。
大きい小さいにかかわらず、いのちの重みはみんな等しい。
子どもたちは何を思っただろう。
どんな世界に生まれても、どのいのちも尊い。
ただ、その尊いいのちをいただいて、私たちは生きている。
「おたんやの市止まり」
親鸞聖人のご命日にはお精進。
肉や魚を食べず、精進料理をいただいていた。
特にここ安芸門徒の地では。
親鸞聖人のご命日の前夜、「大逮夜(おおたいや)」。
それがなまって「おたんや」と呼ぶようになったそう(西教寺ホームページ参照)だが、それが御正忌の法座自体を表すようになり、数日間お精進が続くので、だれもその時期に魚や肉を買わないため、市自体が休業に。
したがって、漁師さんたちもこの時期は休業。
それが、時代とともに安芸門徒ばかりでなく、いろんな宗教を持たれた方が増えてきた。
そんなこともあり、市を休業することもできず、この「おたんやの市止まり」もなくなった。
「精進料理」とは、何も肉や魚を食べず、野菜だけを食べることをいうのではない。
ベジタリアンの方が毎日食べている料理が精進料理かというと、それは違う。
つつしむこころを持ち、いつも美味しい美味しいといただいていることに、「ハッ」とこころが動かされるご縁。
親鸞聖人の御命日を通して、「いのち」のこと、いろんなことに気づかせていただく。
1月11日(金)
今日と明日、隣寺の住蓮寺にて御正忌報恩講。
今日の夜席と明日の朝席は、安藤けいいち師をお招きして人形説き(ひとり人形芝居)が。
今夜は大人向けに「弁円のなみだ」。
そして、明日の朝は日曜学校の子ども向けに、「王さまとハトとタカ」を上演。
初めての人形説きのご縁にあわせていただいた。
安藤けいいち師は、浄土真宗本願寺派の僧侶でもあるが、人形劇の世界ではたいへんな方。
NHKの「ひょっこりひょうたん島」「英語であそぼ」「おかあさんといっしょ」をはじめ、最近では「新☆三銃士」の主役ダルタニアンの人形を操っていたそう。
その方が演じる「弁円のなみだ」。
母に会いたいときは、母上と呼びなされ。この母は、母上という声となりて、つねにそなたとともにおりまする。
幼い頃に死に別れた母の臨終のことばを思い出し、それが「なんまんだぶ」へと・・・。
久しぶりに、良いご縁をいただいた。
生で観る人形劇は、20年ほど前にベトナムのハノイで観た水上人形劇以来。
あのベトナムの水上人形劇も、元々はお寺が発祥。
言葉は分からなくても、たいへん楽しく観ることが出来たのを思い出す。
絵解き、落語、そして今日の人形説き・・・。
いろんな芸能にまで発展したもののルーツは、いかに伝えるか。
上演後、親鸞聖人が好物だったと言われる小豆。
その小豆を使った“おぜんざい”をいただいて帰る。
住蓮寺でいただくおぜんざい。
思い起こせば、日曜学校に通っていた頃以来。
明日も朝席。
今度は子どもたちと一緒に。