ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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節分

2月3日(金)

今日は節分。

朝、昨夜降った雪がうっすらと残る。

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まだまだ寒さは厳しいようだが、暦の上では明日が立春。

そして、今日は「鬼は~外、福は~内」。

人間は弱いもので、何かいやなこと、悪いこと、苦しいが重なると、何とかしてそれを追い払おうと考える。

鰯の頭も信心から

学生時代に京都で節分に柊に刺した鰯の頭が玄関先にあるのを見て驚いた。

また、恵方巻にも驚いたが、今では全国どこでも見られるように。

 

来たる2月7日は如月忌。

仏教婦人会を設立されたり、関東大震災の復興事業に奔走された九条武子夫人の御命日。

おほいなるものの ちからにひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや

どんなにお念仏をよろこぶ身とさせていただいても、私が歩んでいる道は、何ともおぼつかない。

ふらふらっとしてしまう人間の弱さ、自分のこころに気づかせていただくのも、この節分。

葬式 ~読経の意義~

2月2日(木)

今日は大変寒い一日だった。

叔父(前住職の弟)が一昨日亡くなり、昨夜お通夜、今日お葬式が専徳寺本堂にて営まれ、導師を勤めさせていただいた。

晩年は専徳寺総代、仏教壮年会でもいろいろと専徳寺の活動にご尽力いただき、その最後を見送らせていただく。

ただ、僧侶として、何が出来るというわけでもない。
僧侶として出来ることは、ただお経を読み、お念仏をとなえるのみ。

しかも、それは亡くなった叔父のために読経したり、念仏をとなえるのではない。
叔父にいただいたご縁を通し、御本尊の前でほめたたえる。

『吉本隆明が語る親鸞』のなかに、

『三帖和讃』は「和語の教行信証」とも呼ばれ、親鸞が称えた教義をより多くの人が体得していく大きな手助けとなってきたことだろう。その一方で、和讃を「労働歌」として授かった民衆は、日々の暮らしのなかで我知らず口ずさみ続け、いつしか、自然と教義を身に沁み込ませていったはずだ。その意味において和讃は、日本の賛美歌であると同時に、ブルースであるといっても過言ではないかもしれない。

と述べているが、私も読経とは、ある意味ソウルミュージックに通じると以前から思っている。
ソウルミュージックとは、感情(魂)のこもった音楽。
如来よりいただいた願いに対し、こころからそのよろこびを声に表すわけであるから、自分の持っている最大限の力を出さなければ。

昨夜も今日も非常に空気が冷たく、内陣から吹き込んでくる冷気は、まるで冷蔵庫の扉を開けて、その前でお経を読んでいるかのよう。
喉は乾燥し、声が出しづらい状況ではあったが、自分なりに精一杯の読経はさせていただいた。

読経は、意味の分からない呪文のようなものだという声も聞く。
だからといって、それを現代語訳にしたものをただ読めば良いかといえば、そうではない。
それは相手に読み聞かせるためのものではなく、私のこころのあらわれであるから。

丁寧にこころをこめて仏徳讃嘆。

 

親鸞聖人が流罪に処せられるきっかけとなったのも、後鳥羽上皇の女官 鈴虫・松虫の出家。

住蓮房・安楽房の『礼讃』の声に惹かれたためともいわれる。

 

読経をどのように受けとめてくださっているかは分からないが、お念仏をとなえる助け、ご縁となれば幸いである。

 

お寒いなか、ようこそお参りくださいました。

呉東組法中会

1月29日(日)

今夜は阿賀の西光寺にて、今年初めての法中会。

 

議題としては、それほど大きな議題もなかったが、過疎化が進み、廃寺となった寺を有効に利用していく活動の話を聞かせていただいた。

また、4月以降の聞名講日程等についても決まる。

そして、昨年の750回大遠忌記念法要の安芸教区各組の団参参加人数等の内訳を聞く。

安芸教区全体では、14,385名の方がお参りに。
そのなか、呉東組からは512名がお参りされた。

 

いろいろと続いた行事も一段落。

2012年1月29日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

五色百人一首 広島県大会

1月29日(日)

今日は午後から広島県総合体育館 武道場に、「五色百人一首 広島県大会」の応援に。

広島県内の小学校から254名。そのなか、長浜小学校から11名がエントリー。

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呉市の小学校からは、何と長浜小学校のみ。

そんななか、低学年を中心に、高学年と良い勝負。

 

長男(2年生)も出場。

その組は、同級生のKくんと2人だけが2年生で、後は高学年ばかり。

残念ながら、3勝4敗で予選敗退。
それでも、初出場で高学年相手に3勝は立派なもの。

本人は負けた悔しさよりも、ズルをされて負けたというのが悔しかったらしい。

世のなかの厳しさを少し経験したようだが、来年も出る気満々。

 

百人一首の意味は恐らく分かっていないだろう。
それでも、この時期に覚えたことばは、これから先、頭に残っているだろう。

昔は「素読(そどく)」が大切にされた。
「素読」とは、文章の意味は気にせず、暗誦できるまで繰り返し声を出して読むこと。

 

宮沢賢治も、3歳で『正信偈』や「白骨の御文章」を暗誦していたともいわれ、16歳の時、父に宛てた手紙のなかで、

小生は道を得候。歎異鈔の第一頁を以て小生の全信仰と致し候。

と書き記している。

 

長浜小学校としては最後の出場となったが、良い経験をさせていただいた。

我聞会 1月例会

1月27日(金)

今夜は浄円寺にて、今年初めての我聞会の例会。

輪読は『蓮如上人御一代聞書』(115)(116)。

ご門徒が安心の心得ちがいを改められたことを聞き、蓮如上人が大変よろこばれたという話から、蓮如上人がご門徒と大変親しく接しておられることをうかがった。

そして、そのあと先日の御満座の御消息をみんなで拝読し、いろいろと話を聞かせていただいた。

 

今、次々と注文しておいた本が到着。

ご門主さまの『願いの力』を読み終わり、ちょっと違った本を読んでみようと。

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先日届いた『本願寺新報』に、『加越能 真宗かるた』の紹介がされていた。

北國新聞社が御遠忌を記念して製作したもので、俳優の西村雅彦さんと女優の田中美里さんが読み手を担当されたCD付き。

調べてみたら、夕刊に諸宗派の僧侶の連載したものが本になっていることを知り、これも注文。

北陸地方は浄土真宗の熱心な土地柄であるが、なかなかご縁がないので、これを機会に読んでみようと。

 

そして、もう一冊。

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『吉本隆明が語る親鸞』。

これはコピーライターで知られる糸井重里さんの事務所が出版した変わり本。

 

いろんな方向、いろんなかたちのものを読んでみないと、自分の位置が分からなくなることも。

これから、しばらく読書三昧。

2012年1月27日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku