ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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御正忌報恩講 3日目

1月16日(月)

今日の朝席で御正忌報恩講が御満座。

このたびは、「願い」をテーマに『阿弥陀経』のこころをいただいた。

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今日紹介した話は、東井義雄先生の『「いのち」の教え』より。

住職であり、教育者であった東井先生の本より、親の願いを味わう。

私も二児の父として、この本のことばを味わうご縁が少しばかりととのっただろうか。
それ以前にこの本に出会っても、恐らく今の味わい方とは違っていただろう。

今現在説法

『阿弥陀経』の「その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ」のことばをいただく。

 

専徳寺の御正忌報恩講が終わり、庫裏で本願寺のインターネット中継で御満座の模様を参拝された方々と一緒に見せていただくことにしたが、少し時間もあったので、550回大遠忌に本山よりお迎えした御絵伝を内陣に上がって見ていただく。

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これもご縁。

そして、覚如上人の『報恩講式』による報恩講作法を見せていただき、法要終了後にはご門主さまの御満座の御消息。

昨年の4月9日よりお勤めして参りました親鸞聖人750回大遠忌法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。
各地から多くの方々にご参拝いただき、65日間115座にわたるご法要を厳粛にお勤めすることができましたのは、仏祖のご加護と宗祖のご遺徳のおかげであり、御同朋御同行の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことにありがたく存じます。
かえりみますと、ご法要のはじまる直前の3月11日、東日本大震災が起こりました。その後も各地で地震・豪雨など災害が続き、大変な1年となりました。被災された方々にこころよりお見舞い申し上げます。法要参拝を楽しみに待ちながら、災害やさまざまな理由で参拝出来なくなった方々のことを忘れることが出来ません。
地球の歴史を考えますとき、自然現象としての地震や豪雨は、数限りなくあったことでしょう。しかし、それが深刻な災害となるのは、人間のあり方・社会のあり方によります。特に今回の原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、のちの世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります。聖人は、凡夫には清らかなこころも真実のこころも存在しないとお示しになりました。それは、阿弥陀如来の光に照らされて明らかになる私の姿です。凡夫の身でなすことは、不充分・不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と精一杯努力させていただきましょう。阿弥陀如来はいつでもどこでも照らし、呼び続け、包んでいてくださいます。本願念仏のご法義は時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が生きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。ご法義を伝え、弘めるための宗門の組織も、社会の変化に応じて変わる必要があります。歴史をかえりみて、受け継ぐべき伝統を確かめ、創造的な活動を育てていかなければなりません。本年4月1日から宗門の体制が改められますのも、時代に即応する営みのひとつであるといえましょう。新しい体制のもとで、ひとりひとりが抱える課題を大切にし、お念仏をよろこび、こころ豊かに生きることのできる社会をめざしましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします。

平成24年
2012年  1月16日

 

新たな歩みを進める機縁。

次の800回大遠忌。
私は恐らく迎えることのないご縁。

でも、このたび家族で参拝したことを、息子たちが800回大遠忌を迎えた時に思い出してくれたら。そして、家族でそのご縁にあってくれたらと。
それが、親としての願いであり、私がいただいた願いである。

ようこそのお参りでした。

 

2012年1月16日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

御正忌報恩講 2日目

1月15日(日)

今日はおたんや(大逮夜)。
明日16日が親鸞聖人750回目の御命日。その前夜のことを逮夜という。

日曜日ということもあり、朝席が終わると3件法事を勤めて、昼席。

そして、夜は法話に中休みを取り、親鸞聖人は小豆が好物であったと伝えられるため、おぜんざいが婦人会の方々のご協力で振る舞われる。

そして、『御伝鈔』を拝読し、再び法話。

一日中、声を出しているので、さすがに喉が腫れる。
それでも、こうしてご縁に遇わせていただいていることに感謝。

 

今日も、昨日に引き続き『阿弥陀経』のこころ。

今日、紹介した本は『一茶 おらが春』より。
現代語訳で冒頭と終わりの部分を読ませていただく。

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『おらが春』の冒頭には、『おらが春』の題名の由来にもなった

・・・ことしの春もあなた任せになんむかへける。
 目出度さも ちう位なり おらが春   一茶

そして、最後の締めくくりは

 ともかくも あなた任せの としの暮  一茶

「あなた任せ」の「あなた」とは、阿弥陀如来のこと。

この俳人小林一茶のことばを通して、あなた任せにすることの難しさを味わった。

「別に難しいことは仏の道にはないですよ。自力の他力の何のかんのとゴミクズみたいな説教くさい話を、さらりと日本海へ流してしまえば良いのです。
死んでからのことは、なにもかも阿弥陀さまにまかせ、地獄でも極楽でもどこでもあなたのよいようにしてくださいとだけ頼んでおけばよいのです」

明日の朝席で御満座。
そのあと、インターネット中継で本願寺の御満座にあわせていただくことに。

続けて、お参りを。

2012年1月15日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

御正忌報恩講 1日目

1月14日(土)

今夜から専徳寺の御正忌報恩講。

550回忌の時に下附された御絵伝を掛けて。

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「住職自勤」。

毎年、御正忌は住職自ら講師も勤め、お取り次ぎ。

このたびのご讃題は『仏説阿弥陀経』。
テーマは、「願い」。
『阿弥陀経』のこころをいただく。

今夜はその前に鳩摩羅什の話。
鳩摩羅什は訳し方に魅力があるのだろう。
『阿弥陀経』もそうであるが、『妙法蓮華経』を訳されたのもこの方。
浄土真宗ではご縁のないお経ではあるが、たくさんの方に影響を与えている。
宮沢賢治もその一人。

浄土真宗の学僧 島地大等(しまじだいとう)の願教寺の講話会などに出入りしていた18歳の宮沢賢治。
その島地大等訳の『漢和対照妙法蓮華経』を読んで、からだが震えるほど感銘を受けたそう。

 

白石説教所・小坪説教所と少し話を変えながら、明日から本題に。

続いてお参りを。

2012年1月14日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

本願寺御正当参拝

1月13日(金)

今日は日帰りで本願寺の親鸞聖人750回大遠忌の御正当逮夜法要に参拝。

本願寺の御正当法要は1月9日から1月16日だが、小坪説教所の御正忌が1月10日・11日、専徳寺の御正忌が明日14日から16日。

限られた参拝日のなか、今日参拝がかなう。

 

朝、9時過ぎに家を出て、12時前に京都駅へ到着。
京都駅で軽く昼食を済ませて、12時30分集合の本山へ。

これまで過去2回法要に参拝させていただいたが、このたび初めて列衆(内陣でおつとめ)として参拝。

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受付で「安芸教区の大洲です」と名告ると、係の方から「大学の講義で習いました」と。
覚えていただいていたことに恐縮。

 

龍虎殿で正装(色衣・五条袈裟)に着替え、阿弥陀堂へ。

阿弥陀堂に向かうとき、御影堂の裏の廊下(後堂うしろどう)で常夜灯を見る。
第1回目の「安穏のともしび」は、この火の分灯をいただいた。

阿弥陀堂から太鼓・雅楽の音に導かれ、華籠を持って御影堂内陣へと参進。

初めて上がらせていただいた内陣は、広くて輝いていた。

列衆の第1列。奥から2番目に座らせていただくが、お荘厳の見事なこと。

余間には大きな御絵伝がかかり、その前には各宗派、聖人ゆかりの寺院からのお供えが並ぶ。

 

新門さまご導師のもと、6月の団体参拝と同じく宗祖讃仰作法の音楽法要。

6月・9月は汗をかきながらの参拝であったが、このたびは白い息を吐きながら。
このお内陣で、最初で最後のご縁かなと思いながら、恙なくおつとめさせていただく。

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法要も無事終わり、経堂、修復された伝道院を見学し、自坊へと帰る。

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法要中の記録をとることは出来なかったが、瞼には焼き付いている。

夕方自坊へ帰ると、今日行われた隣の住蓮寺御正忌報恩講の御満座に、インターネット中継を皆さんでご覧になったそうで、そこに私の姿が映っていたと聞く。

1回目は組の団体参拝で御門徒の皆さんと。
2回目は家族で。
そして、最後は一人で参拝。

大変良いご縁をいただいた。
そのご縁を通して、明日の夜席から専徳寺の御正忌報恩講。

2012年1月13日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

小坪説教所 御正忌報恩講 2日目

1月11日(水)

今日も昨日に引き続いて小坪説教所の御正忌報恩講に。

朝席、そして昼席で御満座。

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昼席には『御伝鈔』の拝読も。

『阿弥陀経』のこころを味わいながら、「願い」の話を。

ようこそのお参りでした。

 

昨日、鳩摩羅什の白馬塔の写真を見つけたとき、御正忌の懐かしい写真も一緒に。

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大学院時代の恩師である浅野教信和上が御正忌で改悔批判(がいけひはん)をされたときのもの。(2000年1月)
このときは、御影堂が修復中のため、阿弥陀堂(総御堂)でおこなわれた。

改悔批判とは、ご門主様が信心(安心)の正否を批判(判断)する儀式です。
本願寺第八代蓮如上人のころ、報恩講中の毎夜、篤信の僧侶・門徒が各自の信仰を告白し、批判を仰いだことにはじまるものです。
現在は、初夜(9日~15日)のお勤めに引き続き、改悔批判をおこなっています。
                  (『御正当 参拝のしおり』より)

今年は31年ぶりにご門主さまが初日に改悔批判をされたそう。
それ以外は和上(勧学)がご門主さまのお手代わりとして緋の衣を着けて勤める。

 

和上がご安心を述べられ、途中で「領解出言」と参詣された方々に促すと、前に座っておられる五条袈裟を着けた諸僧が、額を畳につけるように一斉にお辞儀して、

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて・・・

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と、領解文を唱える。

その後ろ姿が、何とも不思議な、そして、厳かな光景だった。

 

御正当(1月16日)まであと5日。

2012年1月11日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku