専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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4月12日(火)
午後から青空に誘われて野呂山まで。
野呂山の桜も今が満開。
太陽の光をいっぱいに受け、光り輝いている。
写真愛好家の方にとっても、今日は撮影日和。カメラ片手に桜を追う姿が見られた。
桜といえば、親鸞聖人の得度の前に読んだといわれる
明日ありと思ふこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
を思い起こすが、
花に染む 心のいかで残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
と、出家してもなお桜を愛し、
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
と、生涯桜とともにあった西行法師。
その西行庵のある吉野の桜を訪ねて、学生時代に一度だけふらっと行ったことがある。
満開の下の千本から一人歩いて行くと、中の千本を過ぎた当たりから人がまばらに。
すると、1羽のウグイスが飛んできて、私の目の前の枝に止まり鳴き始める。
それからしばらく、私の前を前を飛び移っては鳴き、数百メートルそれが続いた。
まだ、その頃は蓮如上人のウグイスの話を聞いたことがなく、「法、聞けよ」と聞くことができなかった。
毎年のように野呂山の桜を見に来るが、桜を見るたびそのことを思い出す。
思い出すということは、その声を今「法、聞けよ」と聞いてるのだろうか。
『阿弥陀経』の「今現在説法」のこころである。
4月9日(土)
今朝、住蓮寺にて長浜日曜学校の入校式と花まつりが開かれた。
新しいほとけの子が5名加わって、新年度開校。
入校式の挨拶で、大震災後、毎日のようにテレビで流れていた金子みすゞさんの「こだまでしょうか」の詩を紹介。
子どもたちの口からもすらすら出てくる。
この詩を書いた金子みすゞさんも日曜学校でほとけの子として学んだ。
ほとけさまのこころを描いた詩もたくさんある。
さびしいとき
わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。わたしがさびしいときに
お友だちはわらうの。わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。
この詩はほとけさまのこころをよく表しているように思う。
お母さんはやさしいの。
お母さんはさびしいとき、励まし、がんばれ!って応援してくれるのだろう。
でも、その後の「ほとけさまはさびしいの」を読むと、ふと亡くなった祖母の言葉を思い出す。
入院先の病院に見舞いに来てくださった方が、「がんばってください」と言って帰って行く。
その後、病室を訪ねると、「これまでがんばってきたのに、これ以上何をがんばったらいいのか」とつぶやいた。
やさしい言葉がさびしいこころに届かないこともある。
それに対してほとけさまはいつも同じこころで包みとってくれる。
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずば
苦海をいかでか渡るべき
『愚禿悲歎述懐和讃』
ほとけさまのこころと同じこころを持つことは出来ないが、ほとけさまのこころに触れたら、少し心持ちが変わるのではないだろうか。
「がんばって」ではなく、「ともにがんばろう」
ほとけの子に、相手を思いやるこころが育ちますように[E:confident]
その後、誕生仏に甘茶をかけ、甘茶をいただいて花まつりを祝う。
青空がひろがり、花も満開。
桜前線も一気に北上していくだろう。
桜前線
小学生に向けて文部科学省からメッセージが送られ、昨日息子も小学校でもらってきた。
そこにこの桜前線を命のリレー、そしてそれになぞらえて思いやりのバトンを被災地に届けてほしいと記されている。
かがやけ!ほとけの子。
4月8日(金)
今夜は雨の降るなか、仏教壮年会の総会。
一時は50名以上いた頃もあったが、だんだんと減ってゆき、今では35名に。
今年は親鸞聖人750回大遠忌を記念して、毎年恒例の仏教壮年会主催の法座を休み、落語会を開催する。
たくさんの方に集まっていただき、笑いを通して親鸞聖人のご縁に触れていただきたい。
それから、他のお寺の仏教壮年会と交流しようという話も出ている。
まだこれから互いに話を進めていくことになるだろうが、お互いの会にとって良いご縁となればと思う。
4月7日(木)
今夜は、広の浄円寺にて呉東組我聞会。
『御一代記聞書』(101)(102)の輪読。
蓮如上人の「南無阿弥陀仏」に包まれている。
すべてのことにおいて油断することのないようにしなさいとの仰せを聞かせていただく。
この「油断」ということば、『涅槃経』に説かれていることが由来だそう。
ある王が家臣に命じて、鉢いっぱいに油を入れて歩かせ、一滴でもこぼれたら汝の命を断つという逸話があるそうだ。
そして、法話では震災後ACの広告で話題になった
「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。
「思い」は見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える。
その気持ちをカタチに。
そのもととなった宮澤章二さんの「行為の意味-青春前期のきみたちに-」の詩の全文を紹介していただいた。
如来よりたまわった「信心」は見えないが、「念仏」は聞こえる。
そんなふうに味わえるのだろうか。
来月からは2ヶ月に1回の例会が毎月の例会となることに。
若院さんたちの力で、これから盛り上がることでしょう。
4月5日(火)
今朝、ツバメの声を聞く。
夕方には4羽のツバメが長浜の空を楽しそうに飛びまわる。
ようやくツバメが故郷に帰ってきた。
遠くはオーストラリアから帰ってくるのもいるそうだ。
ホントにお疲れさま。
本堂前の手水鉢の木瓜(ボケ)の花も咲き、いよいよ春の到来。
春曉 孟浩然(もうこうねん)
春眠不覚暁 春眠 暁を覚えず
処々聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
夜来風雨声 夜来 風雨の声
花落知多少 花落つることを知んぬ多少ぞ
一夜の雨で散ってしまう花はいつの時代も同じである。
だからこそ、人は散ってしまう前の花見に集う。
明日から長浜小学校も新年度スタート。
来年度から隣の小坪小学校と統合されて小中一貫校となるため、長浜小学校としては最後の1年。
それぞれの最後、そしてはじまり。
有意義な1年となりますように。