専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
10月4日(水)
今日から6日まで、広島別院で安芸教区親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要。
呉東組からの参拝は、今日の午後の部。
各組の割り当てと人数制限が設けてあり、各寺院3名。
と言うことで、このたびは住職と総代長・総代の3名で参拝させていただく。
その前に朝から本堂では大がかりな電気工事。
次々と古い照明器具、扇風機が取り除かれて、
金灯籠だけになった天井は、広く感じる。
昼前に寺を出発。
別院境内が駐車禁止のため、近くの駐車場に止めてお昼を済ませ広島別院に。
呉東組でも練習中の「御本典作法」のおつとめ。
そして、深水健司師(四州教区今治組太平寺)の記念布教。
講題は「ご開山聖人ご出世のご縁」
そのあと、記念行事 二胡奏者「姜 曉艶 演奏会」
最後は広島雅楽会の雅楽と二胡で恩徳讃の合奏。
良い天気で少し汗ばむ陽気の中、久しぶりに別院での大きなご縁。
帰宅すると、まだ本堂では工事中。
本堂で天井を眺めていると、ガサゴソ天井裏から音が聞こえてくる。
「まだ作業されているんですか?」
と尋ねると、
「照明つけてしているから、見られます?」
と言われ、カメラを取りに帰り、脚立を登って天井裏に顔を入れて撮影。
ライトがついているとは言え、屋根裏での作業は大変。
ありがとうございます。
はしごを登るのは全く問題なかったけれど、いざ降りようと下を見ると「たっ、たかい。。。」。
「ありがとうございます」しか出て来ないかも。
何事も無事終わりますように。
9月30日(土)
昨夜は中秋の名月。
次に中秋の名月が満月と重なるのは、7年後らしい。
中秋の名月と一緒に親鸞聖人像を撮ろうと思ったけれど、これがなかなか難しい。。。
その代わり、月光を浴びた本堂が星空のもと綺麗に。
今日は午前中、法事と重なり見に行けなかったけれど、大和ミュージアムで第71回呉市児童生徒発明くふう展の表彰式があり、次男(共同作品)が特別賞(教育委員会賞)を受賞。
中学校の部は40作品。
そのうち36作品が和庄中学校。
残り4作品のうち、2作品が広南中学校。
2作品とも共同作品で、もう一つ(2年生)もモビコン特別賞を受賞。
応募作品が少なく、受賞しやすかったのかも知れないけれど、呉市主催行事で教育長から賞状をもらうことはなかなかないことかも。
受賞、おめでとう。
午後からの法事が終わり、御内陣の修復出来たものがまた少し戻ってくる。
今日は聖徳太子の御厨子が彩色を終えて戻ってきた。
これが高さも奥行きもピッタリ過ぎて、なかなか納めるのが難しいらしい。。。
まだ聖徳太子像は戻っていないけれど、修復前が下の写真。
漆も金もすべて艶消しのマットな姿しか記憶にないので、ピカピカに輝いた漆に金具がとにかく眩い。
それだけでもすべてが帰って来て、照明も一新されたら、それはそれは楽しみでしかない。
9月29日(金)
今日の朝席で御満座。
今日は早朝にラグビーワールドカップ、日本VSサモア戦。
さすがに早起きして見ることは無理なので、録画であとからゆっくりと。
NHK朝ドラ『らんまん』も最終回。こちらも録画であとでゆっくりと。
そして、今夜は中秋の名月。
月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人のこころにぞすむ
朝席では法然聖人の詠まれた歌を紹介。
今夜はお月さまがきれいに見れそう。
でも、せっかくきれいに見れる月でも、外を見ない人には分からない。
そして、今日が「中秋の名月」と知らない人にはただの月かも。
おいわれを聞く。
一切経が出来るまでの話、石泉僧叡和上にここで勉強し、その教えをひろめて欲しいと、地元長浜の人たちが一切経を寄進した話、僧叡和上が亡くなったあと、ずっと虫干しをして残して欲しいという願いを永代定書に記された話、それをずっと守り続けている話、いろんな話を聞いてから本を運ぶと、ありがたさが違うとご門徒さんより。
朝席後、干し終わった蔵書を石泉文庫へお返し。
初日は小学校の子どもたちの手を借りたのであっという間に運べたけれど、いつも最後は少人数。
そこで、今年もこれが大活躍。
コールマンのアウトドアワゴン。
5、6人分は一度に運べるかも。
それで2往復+お茶を載せて計3往復。
皆さまのおかげにより、今年も無事虫干しを終えることが出来た。
ご協力ありがとうございました。
ようこそのお参りでした。
9月28日(木)
石泉文庫虫干し法座、朝席。
先日、朝日新聞の折々のことばに目がとまったことから。
「点字聖書」を舌と唇で読んでいたという話。
「点字聖書」があるのなら「点字聖典」はあるのだろうかと調べてみたら、ちゃんと浄土真宗本願寺派では社会部が点字書籍を作成。
他にもないかと思って調べたら、浄土宗が【点字のお経本】というサイトを。
そこに本願寺派の聖典が紹介され、「価格:無償」と。
それはともかく、「聖書」とどのように出会ったのか知りたかったので、本を取り寄せ。
一週間に一日休むことになっただけで、学校が急に遠くなったような気がして、私は淋しかった。 そんな私に、母はお寺の日曜学校へ通うように勧めた。門徒宗のそのお寺は、町の中とはいえ、ちょっとした森にかこまれていて、比較的静かな場所にあった。潜り戸を入ると、土塀に囲まれた境内は、いっそう静かで、子供心に身の引き締まるのを覚えた。本堂には同じ年ごろの子供達が五、六名、お坊さんの説教を聞き、お経を習うのであった。このお経は「帰命無量如来」で始まる 正信偈であって、かつて、祖父が毎朝奥の仏間で唱えていたものであることはすぐにわかった。
やがて母はそのお経を、先祖様に捧げるようにと私に命じた。私はいかにも神妙に仏壇の扉を開き灯明と線香をあげ、座布団に正座し、合掌して念仏を唱えた。全くの見様見真似であった。経本を開き唱え始めると、傍らに萎えた手を合わせて、母も一緒に口ずさんだ。その三十分間はまたたく間に過ぎてしまう。やがて、
願以此功徳 平等施一切
同発菩提心 往生安楽国
と、最後の部分をゆっくり唱え終わると、母は身を震わせて喜んだ。同じ病を持つ母と私の二人旅は、この頃から始まったと言える。
11歳で発病し、学校を休みがちになった少年が最初に出会ったのは正信偈。
そのあと、四国の霊場をまわり、お母さんが亡くなったあと、長島愛生園へ。
愛生園では治らい薬プロミンの副作用で6年間も高熱が続き、両手の麻痺状態が進み骨膜炎を併発して手の指を損ない、視力も衰え失明。そんななか、病室に友が一人尋ねてきて、本の朗読をしてくれるようになる。
そこで、『新約聖書』を読んでくれたのがご縁だそう。
その後、点字を学んだけれど、指で読むことが出来ないので、唇と舌で。
点字
ここに僕らの言葉が秘められている
ここに僕らの世界が待っている
舌先と唇に残ったわずかな知覚
それは僕の唯一の眼だ
その眼に映しだされた陰影の何と冷たいことか読めるだろうか
星がひとつ、それはア
星が縦にふたつ、それはイ
横に並んでそれはウ
紙面に浮かびでた星と星の微妙な組み合わせ読めるだろうか
読まねばならない
点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ
予想したであろうか……ためらいとむさぼる心が渦をまき
体の中で激しい音を立てもだえる
点と点が結びついて線となり
線と線は面となり文字を浮かびだす唇に血がにじみでる
舌先がしびれうずいてくる
試練とはこれか――
かなしみとはこれか――
だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない
この文字、この言葉
この中に、はてしない可能性が大きく手を広げ
新しい僕らの明日を約束しているのだ
涙は
そこでこそぬぐわれるであろう
(「はなかみ通信」其の十一通〔二〇〇四年九月]-其の二十八通[二〇一〇年一月])
唇と舌で点字を読み続けると、コンクリートの壁をなでるような痛みで、唇が裂け、本が血で染まるのだそう。
それでも、この文字、この言葉に果てしない可能性が大きく手を広げていると。
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こうして毎年行っている虫干しも、経文そのものを読むことは出来なくても、先人方の御苦労、御恩を肌で感じることが出来、そしてそれを次へと伝えてゆけたら。
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
ようこそのお参りでした。