専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
9月29日(金)
今日の朝席で御満座。
今日は早朝にラグビーワールドカップ、日本VSサモア戦。
さすがに早起きして見ることは無理なので、録画であとからゆっくりと。
NHK朝ドラ『らんまん』も最終回。こちらも録画であとでゆっくりと。
そして、今夜は中秋の名月。
月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人のこころにぞすむ
朝席では法然聖人の詠まれた歌を紹介。
今夜はお月さまがきれいに見れそう。
でも、せっかくきれいに見れる月でも、外を見ない人には分からない。
そして、今日が「中秋の名月」と知らない人にはただの月かも。
おいわれを聞く。
一切経が出来るまでの話、石泉僧叡和上にここで勉強し、その教えをひろめて欲しいと、地元長浜の人たちが一切経を寄進した話、僧叡和上が亡くなったあと、ずっと虫干しをして残して欲しいという願いを永代定書に記された話、それをずっと守り続けている話、いろんな話を聞いてから本を運ぶと、ありがたさが違うとご門徒さんより。
朝席後、干し終わった蔵書を石泉文庫へお返し。
初日は小学校の子どもたちの手を借りたのであっという間に運べたけれど、いつも最後は少人数。
そこで、今年もこれが大活躍。
コールマンのアウトドアワゴン。
5、6人分は一度に運べるかも。
それで2往復+お茶を載せて計3往復。
皆さまのおかげにより、今年も無事虫干しを終えることが出来た。
ご協力ありがとうございました。
ようこそのお参りでした。
9月28日(木)
石泉文庫虫干し法座、朝席。
先日、朝日新聞の折々のことばに目がとまったことから。
「点字聖書」を舌と唇で読んでいたという話。
「点字聖書」があるのなら「点字聖典」はあるのだろうかと調べてみたら、ちゃんと浄土真宗本願寺派では社会部が点字書籍を作成。
他にもないかと思って調べたら、浄土宗が【点字のお経本】というサイトを。
そこに本願寺派の聖典が紹介され、「価格:無償」と。
それはともかく、「聖書」とどのように出会ったのか知りたかったので、本を取り寄せ。
一週間に一日休むことになっただけで、学校が急に遠くなったような気がして、私は淋しかった。 そんな私に、母はお寺の日曜学校へ通うように勧めた。門徒宗のそのお寺は、町の中とはいえ、ちょっとした森にかこまれていて、比較的静かな場所にあった。潜り戸を入ると、土塀に囲まれた境内は、いっそう静かで、子供心に身の引き締まるのを覚えた。本堂には同じ年ごろの子供達が五、六名、お坊さんの説教を聞き、お経を習うのであった。このお経は「帰命無量如来」で始まる 正信偈であって、かつて、祖父が毎朝奥の仏間で唱えていたものであることはすぐにわかった。
やがて母はそのお経を、先祖様に捧げるようにと私に命じた。私はいかにも神妙に仏壇の扉を開き灯明と線香をあげ、座布団に正座し、合掌して念仏を唱えた。全くの見様見真似であった。経本を開き唱え始めると、傍らに萎えた手を合わせて、母も一緒に口ずさんだ。その三十分間はまたたく間に過ぎてしまう。やがて、
願以此功徳 平等施一切
同発菩提心 往生安楽国
と、最後の部分をゆっくり唱え終わると、母は身を震わせて喜んだ。同じ病を持つ母と私の二人旅は、この頃から始まったと言える。
11歳で発病し、学校を休みがちになった少年が最初に出会ったのは正信偈。
そのあと、四国の霊場をまわり、お母さんが亡くなったあと、長島愛生園へ。
愛生園では治らい薬プロミンの副作用で6年間も高熱が続き、両手の麻痺状態が進み骨膜炎を併発して手の指を損ない、視力も衰え失明。そんななか、病室に友が一人尋ねてきて、本の朗読をしてくれるようになる。
そこで、『新約聖書』を読んでくれたのがご縁だそう。
その後、点字を学んだけれど、指で読むことが出来ないので、唇と舌で。
点字
ここに僕らの言葉が秘められている
ここに僕らの世界が待っている
舌先と唇に残ったわずかな知覚
それは僕の唯一の眼だ
その眼に映しだされた陰影の何と冷たいことか読めるだろうか
星がひとつ、それはア
星が縦にふたつ、それはイ
横に並んでそれはウ
紙面に浮かびでた星と星の微妙な組み合わせ読めるだろうか
読まねばならない
点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ
予想したであろうか……ためらいとむさぼる心が渦をまき
体の中で激しい音を立てもだえる
点と点が結びついて線となり
線と線は面となり文字を浮かびだす唇に血がにじみでる
舌先がしびれうずいてくる
試練とはこれか――
かなしみとはこれか――
だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない
この文字、この言葉
この中に、はてしない可能性が大きく手を広げ
新しい僕らの明日を約束しているのだ
涙は
そこでこそぬぐわれるであろう
(「はなかみ通信」其の十一通〔二〇〇四年九月]-其の二十八通[二〇一〇年一月])
唇と舌で点字を読み続けると、コンクリートの壁をなでるような痛みで、唇が裂け、本が血で染まるのだそう。
それでも、この文字、この言葉に果てしない可能性が大きく手を広げていると。
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こうして毎年行っている虫干しも、経文そのものを読むことは出来なくても、先人方の御苦労、御恩を肌で感じることが出来、そしてそれを次へと伝えてゆけたら。
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
ようこそのお参りでした。
9月27日(水)
今朝、朝席前に昨夜仕掛けておいたトレイルカメラを回収。
映っていたのは、
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アナグマ。
今月初めに掘り荒らされて以来、4回目。
トレイルカメラを設置し忘れた時に荒らされること2回。
先日はイタチが映っていたけれど、今日はアナグマの姿がしっかりと。
しかも大胆に掘りあげて。。。
恐らくそうかなぁと思いながら、証拠もないのに決めつけてもいけないかなと。
とりあえず、正体判明。
朝7時30分から朝席。
寺での朝席と石泉文庫での搬出に向けての準備が同時進行のため、参拝者はどうしても少なくなる。
しかも、内陣修復中ともあり、住職自勤で。
朝席では「お経」にまつわる話を。
8時40分頃、広南小学校より6年生が到着。
一緒に石泉文庫に向かい、子どもたちに運んでもらう。
「もっと持てます」とたくさん運んで行く子、走るように運んでくれる子、何度も往復してくれる子、いろいろと。
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元気に運んでくれたので、いつもより早く終了。
そのあとはプロジェクターを使っていつものように石泉文庫などの話を。
広南小学校のホームページにも教育活動の様子(9月27日)で紹介。
半日干して、午後3時から後片付け。
ようこそのお参りでした。
明日も朝7時30分より朝席に続いて虫干し。
お手伝いいただける方は是非。
9月26日(火)
今日も午前中、通り報恩講。
そして、午後から総代、仏教壮年会有志のみなさんが集まって、明日の石泉文庫虫干し準備。
本堂の真ん中に支柱を立て、そこに入口から竹を渡す。
そして、本堂の端から端にロープを張っていく。
強く張り過ぎると、手が届かないし、緩すぎると、本の重みで垂れ下がってしまう。
ほどよい張りが求められる。
経典をロープに引っかけて干していく虫干しは、他では知らない。
思いつくとしたら、江戸末期より長浜は漁網で繁盛していたということ。
丈夫なロープがなければ、こんな虫干し方法は思いつかない。
長浜の歴史とともに歩んでいるのかも。
明日は朝7時30分より石泉文庫虫干し法座。
御内陣修復中につき、住職自勤で。
その後、8時40分頃より石泉文庫から専徳寺へと経典を運び、本堂内で虫干し。
今年も広南小学校6年生がお手伝い。
午後は3時頃より片付け作業。
お手伝いいただける方は、是非是非ご協力ください。
9月25日(月)
今月初めに鐘楼横の花壇を掘り荒らされた。
その後2回も。
荒らす正体が分からないので、トレイルカメラを夜間設置。
毎朝確認するのだけれど、映っているのはネコばかり。
たまに設置し忘れた時に限って掘られていたり。。。
今朝、花壇は荒らされていなかったけれど、ネコでないものが映っている。
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イタチだろうか。
よくよく見てみると、飛びついたのに「あらら」落っこちゃったっという感じ?
思わずクスッと朝から。
今日からいよいよ通り報恩講。
幸先良くスタートを。
そう思ってスクーターに乗り、小坪1件目のお宅へ。
玄関前でスクーターを止め、スタンドを立てようとしたら、
「ガタン」
スクーターをこかしてしまった。。。
は~っ。。。
そのあと無事通り報恩講を終え、帰りに広南小学校へ。
明後日予定している石泉文庫の虫干しで、子どもたちに運ぶ作業をお手伝いいただくのでご挨拶に。
帰りに玄関の黒板を見ると、相田みつをさんの詩が。
何だか幸先良いスタートかも。