専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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6月13日(火)
今日は午前中、塀の汚れを高圧洗浄機を使って清掃。
今日で3日目。
雨の後は特に黒い汚れが目立つので、ずっと気になっていたところ。
完全に綺麗にすることは出来ないけれど、かなり汚れは落ちたような気が。
バッテリーが30分ほど使用すると切れるので、それが1日の限界。
井戸水をバケツに入れ、10杯ちょっとかな。
後は高いところをどうするか。。。
午後から阿賀西光寺にて仏教婦人会連盟総会。
コロナ禍で4年ぶりの開催。
ただ、コロナ以前は各単位3名の参加だったのが、このたびは2名と人数制限。
専徳寺仏教婦人会から2名と一緒に参加。
総会の後、江田島光源寺坊守 海谷真貴子様の二胡と、安佐南区教雲寺の藤井大樹様のギターによる演奏を。
演奏はあっという間の40分。
途中、会長のフラダンスの飛び入り出演もあり、楽しい一時を。
ようこそのお参りでした。
6月12日(月)
雨も上がり、庭を見てまわると、あれ???
何と!
ネジバナの花を発見。
今年4月に植えたネジバナの苗は、どうも成長が遅いので、今年は無理かなと半ば諦めていたら、その側の丁字草の間に一本だけスーッと。
先日、現在放送中のNHK朝ドラ『らんまん』のモデル、牧野富太郎の図鑑を購入。
註釈版聖典と同じくらいの厚さ。
昭和18年に刊行されたものの復刻版で、白黒ではあるけれど、なかなかの見応え。
この『牧野日本植物図鑑』には、「もぢずり(盤龍参) 一名 ねぢばな」として紹介。
「盤龍参」 螺旋状に咲く花を、龍が天に昇ろうとしている姿に見立てたのだろうか。
なかなか素敵な名前。
それにしても、どうしてここにネジバナが?
と考え、思い出したのが、丁字草を植えた翌年、丁字草の芽とは異なった芽が近くにあった。
今年の春もその芽があったことを思い出し、その時の写真を探すと、今年植えたネジバナの苗にそっくり。
ひょっとしたら、丁字草の苗と一緒にネジバナが混ざっていたのかな。
何はともあれ、今年花が咲くところを見てみたかったネジバナ。
また、近くの桔梗もつぼみが膨らんできた。
桔梗も『牧野日本植物図鑑』で見ると、「古名 ありのひふき」と書いてある。
「蟻の火吹き」 名前の由来を尋ねるのもなかなか面白い。
6月9日(金)
今日は午後から広島別院で安芸教区総講習会。
昨日今日と2日間開催されたが、法務等の予定もあり、今日の午後のみ受講。
昨日は深川宣暢勧学の「他力の基礎的理解 ――親鸞聖人の開かれた仏教とは――」
今日は午前中、大谷派 瓜生崇氏の「煩悩菩提体無二と、すみやかにとくさとらしむ ――カルト問題と私たち――」
そして、午後から文化時報社代表取締役社長兼主筆の小野木康雄氏の「お寺に社会が期待すること ――文化時報からの視点――」
最後は井上見淳司教の「三業惑乱の背景と概要 ――聖人一流を考える――」
文化時報社の小野木氏からは自らが取り組んでいる福祉仏教からのお寺に対する提言。
井上見淳司教からは三業惑乱の話をエネルギッシュに。
井上司教とは、安居事務所を辞めた年の閉繙式以来になるのかぁと、とっても懐かしく、何だか楽しく受講。
法門無量誓願学
昨日の仏教壮年会の例会で出て来た四弘誓願の一つ。
まだまだたくさん学ぶことが。
6月8日(木)
今夜は雨の降るなか、仏教壮年会の6月例会。
『歎異抄』については十数年前に仏教壮年会でやったことはあったけれど、このたびは一言一句をうかがうのではなく、一条ごとのキーとなる御文についてお味わい。
今日は宮沢賢治が15歳の時、父へ宛てた手紙
小生はすでに道を得候。歎異抄の第一頁を以て小生の全信仰と致し候。もし悉くを小生のものとなし得ずとするも八分までは会得し候。念仏も唱えており候。仏の御前には命をも落とすべき準備充分に候。幽霊も恐ろしくなくこれ候。なんとなれば念仏者には仏様という味方が影の如くにそいでこれを御護り下さるものと承り候へば、報恩寺の羅漢も回るべし。岩手山の頂上にひとり夜登ることまたなんの恐ろしき事かあらんと存じ候。
この話から第一条の「誓願不思議」と「摂取不捨の利益」について。
唯円房のように、なかなか〈耳の底に留まる〉ことは難しいと思うので、『学仏大悲心』と題した新聞形式のものを用意して。
そうすると、来れなかった方にも後で読んでいただくこともでき、総代さんが世話係のみなさんにもお配りしてくださるので、それはそれで一つのご縁かと。
足元の悪いなかをようこそのお参りでした。
ただいま境内の桜の木に
ミノムシが一匹。
蓑虫の 音を聞に来よ 草の庵
松尾芭蕉の俳句にこんなのが。
ミノムシの季語は秋らしい。
清少納言が『枕草子』にミノムシは「ちちよ、ちちよとはかなげになく」と記しているそうだが、実際には鳴くことがないそうで、鳴くはずもないミノムシの声を私の庵に聞きに来ませんか?という意味だとか。
専徳寺のミノムシも鳴くことはないだろうけど、夏のミノムシは珍しいのかな?
珍しくても、見に来る人はいないだろうなぁ。
