専徳寺のぶろぐです。
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8月19日(火)
朝席で小坪説教所の盂蘭盆会御満座。
今朝も暑い。。。
昨日の地獄・餓鬼・畜生の三悪道の話より、『愚禿鈔』冒頭に記された
賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。
のお味わい。
昨日いただいて帰った夏水仙。
今朝、満開に。
このたびのご縁で、たまたまキツネノカミソリの話をしたばかりに、ナツズイセンと言うきれいな花に出会った。
せっかくこんなに暑い時期にきれいな花が咲いていても、その存在に気づくこともなく、何も知らないで一生を終えるのか、こんなに素敵な花がここに咲いていることを知るのかで、ずいぶん違う。
せっかくいただいてここにある阿弥陀さまの願い。
何も知らないで一生終えることのないように。
ようこそのお参りでした。
8月18日(月)
今日からお盆明けということろも多いよう。
今日から明日まで、小坪説教所の盂蘭盆会に。
今年は例年よりも早く小坪地区の通り報恩講をはじめるため、そのご案内も兼ねて。
お昼の席で、キツネノカミソリの話をしたら、夜席控室に花が。
「ウチの庭に咲いているのは、キツネノカミソリでしょうか?」と、持って来てくださった。
ただ、色も違うし、すぐにおつとめが始まったので、何だろうと思いながら、そのあとGoogleフォトで。
すぐに判明。
夏水仙というスイセンではなく、キツネノカミソリと同じヒガンバナ科の花。
先日ぶろぐに紹介した牧野富太郎の『植物一日一題』にも「桃色の花が咲き属中で一番大きなナツズイセン」
とあり、その時はナツズイセン?と思いながらもそれきりに。
それが何と目の前に。
何でもご縁だなぁ。何がきっかけでつながるか。
今日の昼・夜席のご縁では、先日ぶろぐでも紹介した『御文章』2帖目12通から
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
六道の話より。
学生時代に見て大変ショックを受けた『餓鬼草紙』『地獄草紙』。
その一場面をGrokでAI加工してみると、勝手にこんな風に。
暑い中、ようこそのお参りでした。
8月16日(土)
朝、境内に水撒きをしていると、チラッと木の陰から赤っぽい花が。
キツネノカミソリだ!!
2023年に苗を購入し、毎年葉っぱは出くるものの、これまで花は付かず。
同じく2023年に植えたユウスゲも、ずっと花が付かなかったのに、今年は次々と花を咲かせ、1ヶ月ほど楽しませてくれた。
今年はそのユウスゲが終わると、キツネノカミソリ。
NHKの朝ドラ『らんまん』に登場し、どんな花か見てみたいと思って求めた。
牧野富太郎は、『植物一日一題』にキツネノカミソリを紹介している。
狐ノ剃刀
キツネノカミソリ、それは面白い名である。狐も時には鬚でも剃っておめかしをするとみえる。それからこのコンコンサマが口から火を吹き出すこともあれば、また美女に化けて人を誑かすという段取りになるのだが舞台が違うからここでは省略だ。
このキツネノカミソリはヒガンバナ科(マンジュシャゲ科、石蒜科)のいわゆる球根草で、日本国中諸所の林下に生じ、秋八月から九月にかけて柑赤色の花が二、三輪独茎の頂に咲く。誰もこれを庭に植える人はないが、しかしそう見限ったもんでもない。学名を Lycoris sanguinea Maxim. というのだが、この種名の Sanguinea は血赤色の意で、その花色に基づいたものである。
この属すなわち Lycoris 属には日本に五種があって、その一は右のキツネノカミソリ、その二は桃色の花が咲き属中で一番大きなナツズイセン、その三は黄花の咲くショウキラン、その四は赤花が咲き最も普通でまた多量にはえているヒガンバナ一名マンジュシャゲ、その五は白色あるいは帯黄白色の花が咲きヒガンバナとショウキランとの間の子だと私の推定するシロバナマンジュシャゲである。今日までまだ純粋の白色ヒガンバナを得ないのが残念であるが、しかしこれはどこかにあるような気がする、というのは数年前摂津の某所にそれが一度珍しく見つかったことがあったからである。惜しいことには、その白花品をある小学校の先生が他へ運んでついになくしたという事件があった。私は人に頼んでその顛末を詮議してもらったけれど、ついにそれを突き止めることが出来ず、よく判らずにすんでしまった。
さて狐の剃刀とはその狭長な葉の形に基づいた名だ。時とするとヒガンバナに対してもキツネノカミソリの名を呼んでいるところがある。
これらの地中の球は俗に球根といっているが、じつは根ではなくて、其の根は鬚状をなして球の底部から発出しているいわゆる鬚根である。そしてこの球は極く短かい地下茎と地中の葉鞘からなっており、その大部はこの変形した葉鞘からなっており、その大部はこの変形した葉鞘で、それは嚢のように膨らんだ筒を成し層々と重なり、そこに養分が貯えられているから厚ぼったい。この部からは澱粉がとれる。元来この球には毒分(リコリンというアルカロイド)があるが、澱粉には無論この毒はない。またこの球を潰して流水に晒せばその毒分が流れ出て、その残ったものは餅に入れて食べられる。そしてこの球根を植物学上では襲重鱗茎(tunicated bulb)と称するが、しかしこの茎と指すところは前述の通りの極めて短かい茎で球の底部にあり、この茎から地下葉が重りつつ生じている。ユリ類の鱗茎はバラバラになった地下葉が出ているが、ヒガンバナ、キツネノカミソリなどは前記の通り地下茎が嚢様の筒となって重なっている。これは水仙も同じことだ。
これらは花の咲くときは葉がなく、葉は花がすんだあとで出て春に枯れる。その後秋になるとまた忽然と花が出る。ゆえにヒガンバナに「葉見ず花見ず」の名がある。これはヒガンバナに限らず、キツネノカミソリでもナツズイセンなどでもこの属の植物はみな同じである。今これを星に喩えれば参商の二星が天空で相会わぬと同趣だ。
私はこの属に今一種あることを知っている。そうすると日本にこの属のものが六種となる。それはオオキツネノカミソリ(新称)であって、今その学名を Lycoris kiusiana Makino(sp. nov.)と定めた。そしてその概説は An allied species to Lycoris sanguinea Maxim., but the leaves broader, and the flower larger than, and its colour similar to those of the latter. Perianth lobes larger and broader. Stamens much exserted(=Lycoris sanguinea Maxim. var. kiusiana Makino, in herb.)であるが、なおその詳説は拙著『牧野植物混混録』に掲載する。
この襲重鱗茎球の外面は他のヒガンバナなどと同様に黒色となっているが、これはその球を包んでいる地中の葉鞘が老いて、その内容物を失い、黒い薄膜となって球の外面を被覆しているのである。 (青空文庫より)
「誰もこれを庭に植える人はないが、しかしそう見限ったもんでもない。」
誰もこれを庭に植える人はない?
ここにおりました。
今年も10個のキツネノカミソリ、すべて芽が出た。
5月すぎて葉っぱは枯れ、今年も花が咲かないのかなと思いながらも、は肥料も与え、毎日水も。
「柑赤色」とは、ブラッドオレンジの果肉の色。
確かに血のような色かも。
茎まで赤いんだと思いながら、しげしげと。
同じく『植物一日一題』を見てみると、興味深い記事を見つけた。
贋の菩提樹
往々お寺の庭に菩提樹と唱えて植わっている落葉樹があって、幹は立ち枝を張って時に大木となっている。お寺ではこれを本当の菩提樹だと信じて珍重し誇っているが、豈に図らんや、これはみな贋の菩提樹で正真正銘のものではないことに気がつかないのは情けない。殊に小さい円いその実で数珠を作って、これを爪繰り随喜しているのはなおもって助からない。
このいわゆる菩提樹はもと中国での誤称をその植物渡来と共に日本に伝えたものである。そしてこの樹は中国の原産でシナノキ科に属し Tilia Miqueliana Maxim. の学名を有する。宝永六年(1709)に発行せられた貝原益軒の『大和本草』に「京都泉涌寺六角堂同寺町又叡山西塔ニアリ元亨釈書ニ千光国師栄西入宋ノ時宋ヨリ菩提樹ノタネヲワタシテ筑前香椎ノ神宮ノ側ニウエシ事アリ報恩寺ト云寺ニアリシト云此寺ハ千光国師モロコシヨリ帰リテ初テ建シ寺也今ハ寺モ菩提樹モナシ畿内ニアルハ昔此寺ノ木ノ実ヲ伝ヘ植シニヤ」とあり、昭和四年六月発行の白井光太郎博士著『植物渡来考』ボダイジュの条下に「支那原産、本朝高僧伝及元亨釈書に後鳥羽帝の御宇僧栄西入宋し天台山にあり道邃法師所栽の菩提樹枝(果枝ならん)を取り商船に付し筑前香椎神祠に植ゆ、実に建久元年[牧野いう、一一九一年]なり、同六年天台山菩提樹を分ちて南都東大寺に栽ゆとあり」と書いてある。今これらの記事によると、この菩提樹渡来は相当ふるい年所をへていることが知られる。
このいわゆる菩提樹の実が飛び散り人は植えないが、時に山地に野生の姿となっていることがあって、軽率な人はこれを本来の自生だといっているが、それは無論誤解であって本種は断じて我が日本には産しない。
上に書いたものは贋の菩提樹であるが、しからば本当の菩提樹とはどんなものかというと、それはインドに産する常磐の大喬木で無花果属すなわちイチジク属に属し Ficus religiosa L.(この種名の religiosa は宗教ノという意味)の学名を有し、釈迦がその下で説教したといわれる樹で、吾らはこれを印度菩提樹と呼んでいる。しかし元来はまさにこれを菩提樹といわねばならんのだが、贋ながらも上のように既に名を冒している次第だ。しかし今これを正しく改称するとしたら、インドの Ficus religiosa L. の方を菩提樹として本来の称呼を用い、贋の菩提樹の Tilia Miqueliana Maxim. の方をシナノキボダイジュとして呼べばよろしく、本当はこうするのがリーズナブルだ。
インドボダイジュの実は形が小さくて円いけれど、元来が無花果的軟質の閉頭果であるから、もとより念珠にすべくもない。
菩提樹について『翻訳名義集』によれば、この樹は一つに畢鉢羅樹と称する。仏がその下に坐して正覚を成等するによって、これを菩提樹というとある。またこの菩提樹は梵語ではピップラといい、ヒンドスタン等ではピッパル、ピパルあるいはピプルと呼ばれるとの事だ。
と。
キツネノカミソリと同じく2023年、正真正銘と思われるスリーマハー菩提樹を迎え、今年も元気に育っている。
牧野富太郎の『植物一日一題』。まさしく現在のブログ。
ここまでマニアックになる必要もないのだけれど、専徳ねっとも。と。
8月15日(金)
今年のお盆休みは、早いところでは9日からの3連休より。
ただ、各地で大雨特別警報が出るなど、大変なはじまりに。
呉市にも10日、大雨・洪水警報が出たけれど、幸いこのあたりはよく降ったものの何ごともなく。
このあたりは盆参りをしないけれど、初盆等ご依頼のあったお宅へはお参りさせていただく。
今年はその依頼が例年より若干多く、焼山、安浦、黒瀬と、連日遠方にお参りに。
そして、お盆にみんなが集まるからと、御法事をされる方も多い。
暑い中をようこそのお参りでした。
先日は安浦へ向かうのに、スマホをカーナビ代わりに、到着時間を確認するために使用していたら、川尻を過ぎたあたりから、突然「次を左に、その先を右に、そしてUターンを・・・」と、訳の分からないことを指示し始めた。
地図を見ると、道をずっと外れている。
安浦の海岸線では、海の中をずっと走っていることに。
GPSがおかしいのか、スマホがおかしいのか、初めてのことにちょっと戸惑い。。。
でも帰路はスマホを再起動させると、ちゃんと表示するようになって、とりあえずホッと。
昨日の朝日新聞朝刊の1面。
そして、2面にも、
お墓の問題。
《墓じまい》という言葉も、数年前にテレビで初めて耳にして以来、このあたりでも次々と《墓じまい》。
お墓の問い合わせも時々あるのだけれど、まだ分かる時に、元気な時に、一度自分のところのお墓を確認していただき、検討していただけたら。
昨日は西脇神社の夏祭。
さすがに出る気力もなく。。。
それから、昨年から熱中症対策として本堂に置くようにしている塩分チャージ。
今年は昨年よりも早く置きだしたためか、これで3回目の購入が届いた。
ウォーターサーバーの利用より、この塩分チャージの減り方が多い気がする。
Amazonでの注文だが、箱に下のような手紙が添えてあるので、同じものを注文。
どうぞご自由に。
そして、今夜は入江神社で長浜自治会・長浜女性会主催の戦没者追悼法要。
戦後八〇年。
8月15日は、《戦没者を追悼し平和を祈念する日》。
ただし、実際には8月15日は、正午にラジオの玉音放送で、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日だそうで、9月2日、日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日をもって終戦とするとか。
いずれにしても、日本で最後の終戦、戦没者であって、永久に開戦がないことをただただ願うのみ。
法要後は盆踊り。
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ