専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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5月2日(月)
今日は快晴。 広南小学校は遠足。
その前に、いつものように読み聞かせ。
今日の担当は3年生。
3階の教室へ向かうと、廊下に何やら散乱。。。
ただいま、ツバメがせっせと営巣中。
そんな姿を眺めていたら、4年生の男子一人が教室から箒を持ってきて、床掃除。
今日、3年生に読んだ本は、遠足前に楽しい話をと、
『そうべえ ごくらくへゆく』 (たじまゆきひこ作)
これまでの読み聞かせにいただいた御礼の中で、絵本のタイトルが出てきたのが『じごくのそうべえ』。
その本は、みんな知っているみたいだけど、この本は知らなかったみたい。
『じごくのそうべえ』に登場するそうべえ、山伏ふっかい、ちくあん先生が繰り広げる地獄・極楽珍道中。
面白いんだけど、ひらがなばかりの関西弁、そして長かった。。。
今日は広南中学校が参観日の振替休日。
中学1年の長男がお母さんに代わって2年生教室で読み聞かせ。
そして、4年生教室では、中学1年生の女子2名がそれぞれ用意した本の読み聞かせ。
廊下の掃除に、この春の卒業生による読み聞かせ。
とってもいい朝でした。
今日の遠足、熱中症に気をつけて。
5月1日(日)
暑いくらいのゴールデンウィーク序盤の三連休。
連休とはいえ、昨日は午前中法務を終え、午後から広南中学校の参観日、PTA総会、部活懇談、そして夜は懇親会。
参観日では、3階の1年生教室の窓から専徳寺がこんなふうに見えるのか!と。 昔もそうだったのかなぁ。。。
今日も午前中は法務。
そして、夕方から住蓮寺でいよいよ14日に迎える住職継職奉告法要のための習礼(練習)。
このたびの法要では、祖師前一席という大役を。
2時間ほど、法要の習礼。
また、復習をしておかないと、変な汗をかきそう。。。
でも、こうした大きな法要のご縁にあわせていただけるのはとってもありがたい。
当日は、お稚児さんもたくさん出られるようなので、晴れますように。
そして食事をいただいて、法中会。
熊本・大分を中心とした九州各地での地震による寺院被害およびご門徒の方々の被害状況を聞かせていただく。
また、『本願寺広島別院 戦後復興記録誌』をいただく。
いろいろこれまで聞かせていただいた断片的なことがいっぱい。
もりだくさんの三連休。 明日は朝から読み聞かせ。
4月27日(水)
本日、本願寺出版社より『大乗』5月号が届いた。
本来なら、毎月の呉東組法中会で、仏教婦人会連盟を通して年間購読を申し込んだご門徒さんの数だけ預かって帰り、それぞれのお宅へお届けすることになっているが、このたびはそれとは別に。
というのも、「読者のひろば」コーナーに、専徳寺門徒 高島さんの投稿記事が掲載されたので。
次男が中国新聞『チューピーこども新聞』に投稿した「にこにこのおとうさん」に、
「この記事には、今の寺院への希望がちりばめられています」
と、紹介してくださった。
情報化が進む一方、お寺の情報は今ひとつ。。。
個人情報、ネット犯罪、ウィルスによる情報漏洩、、、どうしても「ネット」というと、そんな悪いイメージが先。。。
正しく使えば、可能性はいろいろとひろがるんだろうけど。
先日は、華道や茶道をされている高島さんより、「茶道は『維摩経』や『華厳経』にも通じているそうですよ」と教わり、いろいろと当たるなか、NHKテレビテキスト『100分de名著 岡倉天心 茶の本』というのを見つけて、ただいま読書中。
何がご縁となるか、分からない。
4月26日(火)
今日は午後から広南小学校の参観日とPTA総会。
そして、夜は川尻真光寺にて我聞会。
輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(200)(201)。
毎回基本的には2章ずつ読み進んでいる輪読も200章。
最初の(1)から参加しているのは、私を含めて3名だけ。
世代交代を重ね、今日から若院2名が入会して11名に。
(200)は、比叡山の僧兵に東山の大谷本願寺を破却され、難を逃れていた蓮如上人。 その行方を案じていた金森の善従(道西)が、蓮如上人と再会するやいなや、「ああ、ありがたい。すぐにでも仏法は栄えるでしょう」と仰ったという話。
寺を失い、本来なら途方に暮れてしまうところを、上人さえご無事だったら、仏法は大丈夫と。善従の先見の明もさることながら、本願寺を再興させた蓮如上人。
その話に先日の法事に参った時のことを思い出した。
法事の後、「ちょっと質問してもいいですか?」といくつか質問をいただいた。
そのひとつが、西本願寺と東本願寺がどうしてあるのかとの質問。
石山本願寺と織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の話を少ししたら、
「織田信長ってきらいですか?仏敵だから」 と。
そんなこと、考えたこともなかったので、「へっ?」と。
「好きも嫌いも、、、別に私が何かされたというわけでもないので、、、」と。
その後の法話では、「供養」というテーマで。
何がどうあれ、誰がどうあれ、揺るぎない教えとそれを伝える人が大切なのかな。