専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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7月2日(火)
昨日、咲いたこの蓮。
ピンク色の花びらで、てっきり大賀ハスだと思っていた。
今朝、見ると・・・
大きく開いた白い花びらに先がピンクの“黄陽”。
名前を間違え、ごめんなさい。
それにしても、一日でこうも姿を変える。
とっても不思議なハスの花。
午後から広南小学校の参観日に。
長男の4年生クラスは、社会の授業で、呉市の水道がどこから来るかについて。
長浜へは宮原浄水場から送られてくる。
その宮原浄水場は、国の登録有形文化財。
呉鎮守府が軍用水道として、横浜・函館に続き日本で3番目に作った水道施設だとか。
また、平原浄水場も国の登録有形文化財に指定されているが、老朽化により、今年の3月末で廃止されたそう。
さらに、この浄水場へは広島市の太田川から。
蛇口をひねれば水が出る。
当たり前のことのように思っていることも、こうして知ると・・・。
昨夜、フィギュアスケートの安藤美姫選手が、出産して母になって、そしてソチオリンピックをめざすとニュースで。
それまで3回転飛ぶのが当然のことのように思っていたのに、出産し、ブランクを経て練習でジャンプが出来なかったとき、当たり前ではなく、すごいことをこれまでしていたんだって思ったと話されていたこととちょっぴり重なった。
帰ってみたら、
こんな姿に。
明日は雨の予報。
散ってしまうかな。
7月1日(月)
今日から7月!
早いもので、2013年も後半に。
今朝、境内の大賀ハスが咲いた。

ただ、9時をまわり、日を浴びてしまうとしぼんでしまうので、きれいに見えるのはホンの少しの間。
広南小学校の読み聞かせ、今朝は5年生。
ずっと低学年担当だったので、5年生には少し長く、少しこころに残る絵本を。
『きいろいゾウ』

映画にもなった小説『きいろいゾウ』のなかに登場する絵本だそう。
灰色で地べたを歩くゾウではなく、自由に空を飛ぶことの出来る月の光の粉をあびたきいろいゾウ。
あるとき、病気で寝たきりの女の子と出会い、世界を一緒に旅するなかで、ケニアのゾウの群れを見ながら、
「ねえ、あなたのなかまがいるわよ。」
「よせやい、あんなはいいろの、地面をあるくだけのゾウなんて、ぼくのなかまじゃないよ」
「でもね、あなたひとりぽっちで、さみしくないの?」
「さみしい? ぼくが・・・?」
なかまといることのすばらしさ、ゾウはゾウらしくあることのすばらしさ。
昨日は法務と会合で、少々へたって行ったので、読み続けられるか心配であったが、何とか最後まで。
こころに何か響くといいな。
6月30日(日)
朝、境内のニューフェイス、“姫白蓮”が咲いた。
小ぶりな白い蓮。
大賀ハスの蕾もかなり大きく膨らんできた。
明日あたり、開花かな。
今日、お参り先で・・・
先日の『元就。』放送以来、いろんなところで聞かれる。
長浜で生まれたこのソース。
今はその流れを汲む千葉の高島醸造が製造販売。
長浜で製造されてた頃は、ずっと愛用。
学生時代、京都にもこのソースを持ち込んで。
今日は、その『元就。』にいつもの姿で映っておられた方の葬式が自宅にて。
会館葬がほとんどの昨今。
会館葬と自宅葬。どちらが良いとは一概に言えないところもあるが、大変とか面倒とか、家の前の海に放り込んでしまったような、良いご縁であった。
そして、今夜は阿賀の西光寺で呉東組法中会。
法中会のなかで、6月初旬に安芸教区の教区会議員が福島の被災寺院を訪れたそうで、その話を聞かせていただく。
岩手や宮城とは違った状況は、何ともことばにならない・・・。
法中会の後、ご縁の会のミーティング。
お疲れさまでした。
6月24日(月)
夜中に雨が降ったようで、つぶ山に霧。
今朝は広南小学校の読み聞かせ。
今日からプールの授業が始まるようだが、気温・水温が少し低いかな。
読み聞かせは、3年生。
『としょかんライオン』という、少し読むには長い?と思ったが、この本を選んでみた。
2,3人、これまでに読んだことがあると答えてくれたが、ほとんどが初めて。
「え~!図書館にライオン?」と、タイトルだけで興味津々。
―決まりを守ることも大切だけれど、もっと大切なことがある―
決まりは想定されたなかで作られたもの。
想定外のことが起こったとき、どう行動するか。
やさしいライオンを通して、いろいろと考えさせられる話。
3年生にも何か伝わったかな。
6月23日(日)
今夜はスーパームーン。
1年で一番月が大きく見える夜だそうだが、曇って見ることは叶わない・・・。
今夜は広の浄円寺にて、我聞会6月例会。
『蓮如上人御一代記聞書』輪読は(146)(147)。
蓮如上人が子どものオムツを自分で洗ったという苦労話。
今のように紙オムツでなく、しかも蓮如上人は子だくさん。
たくさんのオムツが干されてたのであろう・・・。
また、本願寺が当時青蓮院の末寺であったと話が出て、「末寺」とはどのような形の末寺だったのだろうと、いろいろ話が。
法話では、「懺悔」ということばについて。
浄土真宗では、あまり使われることのないことばであっても、その正しい意味を知り、どうして使われないかを知っておかなければという話を聞かせていただいた。
「懺悔」は、「ざんげ」と一般的に読まれているが、仏教では「さんげ」。
キリスト教は、「ざんげ」。
自らの罪を告白し、悔い改める。また、許しを請うとの意味で使われる。
これと合わせて使われることばに、「慚愧(ざんぎ/ざんき)」。
「慚愧懺悔(ざんぎさんげ)」と合わせて使われることが多かったため、江戸時代に「ざんげ」と濁音で呼ばれるようになったともいわれるのだとか。
「慚愧(ざんぎ)」は、「慚」と「愧」と分けて解釈されるようだが、一般的には罪を恥じることを意味したことば。
親鸞聖人は、『正像末和讃』悲嘆述懐讃で、
無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ蛇蝎奸詐のこころにて
自力修善はかなふまじ
如来の回向をたのまでは
無慚無愧にてはてぞせん
と、罪を恥じることも出来ない私であることを嘆き、そんな私だからこそ弥陀如来の願いをいただいていることを讃えている。
浄土真宗は懺悔しなくてもよい教えではなく、恥じることも悔い改めることも出来ない私を知らされ、その私に願いが届いてるって知らされる教え。
そんなふうにいただくのかな。
明日は読み聞かせ。