ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

ブログ一覧

あめんぼ

4月13日(日)

雨上がり、蓮の鉢を覗くと、

アメンボが一匹。

ここ数年蓮を育てているけれど、初めてアメンボの姿を。

でも、どこからやって来た?

そう思って調べたら、何と!アメンボって飛べるんだと。

羽があるから「そりゃそうだ」となるのかも知れないけれど、これまで一度も飛んでいる姿を見たことがない。

このアメンボも水面をスイスイと動くばかりで。

 

そしてふと思い出したのが、「あめんぼ あかいな あいうえお」。

これって何だっけ?と。

何と!北原白秋の作『五十音』だと。

あめんぼ あかいな あいうえお
うきもに こえびも およいでる
かきのき くりのき かきくけこ 
きつつき こつこつ かれけやき
ささげに すをかけ さしすせそ 
そのうお あさせで さしました
たちましょ らっぱで たちつてと
とてとて たったと とびたった
なめくじ のろのろ なにぬねの
なんどに ぬめって なにねばる
はとぽっぽ ほろほろ はひふへほ
ひなたの おへやにゃ ふえをふく
まいまい ねじまき まみむめも
うめのみ おちても みもしまい
やきぐり ゆでぐり やいゆえよ
やまだに ひのつく よいのいえ
らいちょうは さむかろ らりるれろ
れんげが さいたら るりのとり
わいわい わっしょい わいうえを
うえきや いどがえ おまつりだ

最初の「あめんぼ」しか知らなかった。。。

 

今朝のアメンボのおかげで、一つ勉強になった。

これも蓮の花を育てているおかげ。

 

2025年4月13日 | カテゴリー : | 投稿者 : sentoku

一人静

4月10日(木)

昨春、いただいて植えた二人静。

ちょうど植えたあたりから芽を出したので、てっきり二人静だと思っていたら、何だか昨年とは違うような。。。

昨年の花がこれ↓

今年の花はこれ↓

一人静(ヒトリシズカ)は、静御前が白拍子を舞っている姿に例えて付けられた名前だとか。

きみが名か 一人静と いひにけり  室生犀星

何故、ヒトリシズカが花開いたのかは分からないけれど、元気そうなのでこれからもよろしく。

 

他にも元気に育っているものもいれば、いつになっても出て来ないものも。

 
 
 
 
 
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一雨ごとに、楽しみが一つずつ。

それと同時に草抜きも。。。

2025年4月10日 | カテゴリー : | 投稿者 : sentoku

広南中学校入学式 呉東組法中会

4月9日(水)

昨日の小学校に続き、今日は朝から広南中学校の入学式に。

15名の新一年生。

新しく、少し大きめの制服を着た姿。
式辞や挨拶で、「チャレンジ」という言葉が耳に残る。

みんなそれぞれ輝いて。

 

そして今夜は宝徳寺にて呉東組法中会。

令和6年度最後。

令和7年度の行事予定等も概ね決まった。

副組長として1年。
何とか無事ここまで。

 

2025年4月9日 | カテゴリー : 呉東組, 長浜 | 投稿者 : sentoku

広南小学校入学式 仏教壮年会4月例会

4月8日(火)

今日はお釈迦さまの御誕生日。

昨年は花まつりコンサートを4月に開催したけれど、今月石泉僧叡和上二百回忌法要を控えているため、今年はお休み。

 

午後から満開の桜の下、広南小学校の入学式に出席。

新1年生、今年は10名。

全校生徒77名。

来週早々読み聞かせで新1年生が当たっているので、どんな絵本を読もうかなと。

新しい学校生活を楽しみ。

 

夜は仏教壮年会4月例会。

4月は総会。

今日の入学式で、校長先生が新入生への挨拶の中で、「聞くということは考えること」と。

その話から先日読み終えた『僕は鳥の言葉がわかる』のシジュウカラの言葉の話を。

聞くということは尋ねていく、問うていく。
相手の心を問い、私の心に問うていく。

そんな挨拶をして、総会審議。

このたび2名の新規会員と、ちょっと前から来られている1名の会員紹介も。

 

今年度もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

2025年4月8日 | カテゴリー : 行事, 長浜 | 投稿者 : sentoku

ともに育つ

4月4日(金)

朝は少し冷えたけれど、日当たりが良く、本堂の屋根の上ではイソヒヨドリが恋の歌を。
シジュウカラが巣材をくわえてきたから、巣作り中?

本堂では五〇回忌の御法事をお勤め。

過去帳に「一日」と年齢が記載されているお方の。

 

昨日の朝日新聞朝刊、「折々のことば」より。

「死児の齢を数う」

こんなことわざがあったことも初めて知ったが、

人は死して無に帰すのではなく、死「者」として、つまり遺された者の語らいの相手として、生まれなおす。そしてその関係の内で、遺された者とともに育つ。

法話でこのことばを紹介し、今日五〇回忌を迎えるまで、ともに年を重ねてこられたのだなぁと。

終わった後、

毎日お仏壇に手を合わせているのですが、年回の案内をいただくまで、今年が五〇回忌だと気づきませんでした。

と、喜ばれて。

夢の世に あだにはかなき 身をしれと 教えて還る 子は知識なり

お子さまのお導き。和泉式部の一句を思い出しながら。

ようこそのお参りでした。

 

午後から先日取り寄せた器具を試しに。

間もなくストーブもいらなくなる。

ストーブは、いつも仏教壮年会の境内清掃など、人の集まる時に片付けをお願いしているけれど、これが結構大変。

家具を移動させるキャスターをたまたまネットで見つけ、使えそう?と購入。

 

試してみると、テコの原理で持ち上げて、キャスターを装着。

わりと楽に移動。

 

ストーブがいけるなら、もっと大きいものでも?と、試しに。

この4つのキャスターを、

演台の下に。

これまで結構重たい演台を移動させるのに一苦労していたけれど、これがあれば。

年に数えるほどしか使うことはないのだけれど、備えあれば憂いなし。 

だんだんと無理の出来ない体になっているので、無理しなくても出来ることを。

 

「ともに育つ」

〈老いとともに育つ〉中でいろいろと。