専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月7日(水)
今日は午後2時より広島別院にて、安芸教区同朋運動推進僧侶研修会。
その前に、久しぶりに広島平和公園を訪れた。
安らかに眠って下さい
過ちは 繰り返しませんから
この石碑に刻まれた言葉を、3.11を前にもう一度見つめ直そうと。
広島平和記念資料館から別院へ向かおうとしたところ、川辺から歌声が聞こえてきた。

修学旅行で鹿児島から訪れた高校生たちが、被爆ピアノの演奏で合唱。
被爆したピアノを使って、平和コンサートをされていた。
こんなかたちの伝え方もあるのだとこころに響いた。
別院に向かい、同朋運動推進僧侶研修会に出席。
大阪教区千里寺住職 武田達城氏を講師に迎え、『同朋運動の源流』と題した講義。
歴史を認識し、そこから学び、そして「過ちは繰り返しませんから」。
そんなことを一日学んだように思う。
3月4日(日)
今日は朝9時より長浜小学校で閉校イベント。
閉校式は3月23日(金)に行われるが、平日で来られない方も多いということもあって、今日開かれた。

天気予報では70%の降水確率。
少し小雨のぱらつくなか、体育館にて長浜小学校の歴史をふり返る。

これまでの卒業アルバム、トロフィー、賞状などの思い出の品とともに、10月のふれあいまつりで描いたありがとうの絵手紙。

地域の方、卒業生、保護者・・・、立ち見も出るほどたくさんの方にお越しいただいた。

10年後の自分へ宛てた手紙を納めたタイムカプセルを地中に埋める。

最後にみんなで校歌を歌い、「ありがとう」の声とともに風船を飛ばす。
小雨が降り、寒いなかでのイベントとなったが、最後まで笑顔。
10年後に送られてくる今日の手紙を見るとき、あの時は雨で寒かったけど、みんなのあたたかいありがとうがいっぱいあったなぁと、思い出してもらえたら。
歴史と伝統を大切に
ふるさとを大切に
人を大切に
たくさんの思い出をありがとう、長浜小学校。
そして、よろしく広南小学校。
3月1日(木)
午前11時より、住蓮寺にて呉東組聞名講の委員会が開かれた。

聞名講は、各地区の委員82名がそれぞれの地区のお世話をされている。
その委員のみなさんが年に一度集まって、前年度の行事報告、決算報告、次年度の行事予定、予算等を審議する。
今日の委員会では、来たる3月12日、この1年間に亡くなられた講員の方々の追悼法要を厳修する予定になっているが、その追悼法要と合わせて東日本大震災で亡くなられた方々の追悼法要も行うこととなった。
本願寺では3月11日(日)14時45分より阿弥陀堂にて「東日本大震災一周忌法要」が営まれ、安芸教区では、3月16日(金)13時30分より、広島別院本堂にて「東日本大震災一周忌法要」が営まれる。
『見真』によると、
日 時:2012(平成24)年3月16日 13:30~
会 場:本願寺広島別院「本堂」
お勤め:読経作法(阿弥陀経)
講 師:中村英龍氏 (本願寺派布教使・佐伯区湯来町 最廣寺)
備 考:16日の親鸞聖人御命日法要(10:00~)終了後、東日本大震災復興支援として、うどん・バザー(福島物産品等)、喫茶コーナー(売上を支援金として被災地にお渡しします)を用意しております。お誘い合わせのうえ、ご参拝ください。
とのこと。
それぞれに、それぞれの思いで3月11日を迎えましょう。
2月29日(水)
今日は午後4時より長浜小学校へPTA会長代理として学校評価委員会へ出席。
終わったら焼山でお通夜。
昨夜雪が降ったようで、道のほとりにはところどころまだ雪が残っていた。
お通夜から帰り、阿賀の称名寺にて法中会。
東日本大震災一周忌を3月11日に迎える。
今日の法中会で、組の取り組みとして、3月11日は組内全ヶ寺が午後2時46分から梵鐘を撞くことに決まった。
専徳寺では、ただ撞くというだけでなく、参加して撞いていただこう。
仏教壮年会の例会や日曜学校の修了式等で呼びかけて。
2月27日(月)
2月は組内行事が少なく、法座もないため、1年のなかで一番楽な時期にあたるが、法務は別。
昨日は6件の法事とお通夜で一日読経。
さすがに今日は喉が腫れている。
それでも、今日も普通に声は出ているので、そのことに感謝。
今夜は住蓮寺にて我聞会。
(117)は、蓮如上人が能や狂言のしぐさを見せたりしながら、聞くものに退屈させずに法話をされる話。
蓮如上人のいろんな伝道の仕方を改めて知らされる。
『聞書』は本と末の2巻に分かれているが、その本巻がこれで終わった。
この『聞書』を読み始めたのがいつか?という話が出て、本の発行年が1999年なのでそれ以降だろうとの話になったが、定かでない。それでも10年ほどかかってようやく読み終わる。
継続は力なり
内容に関しては覚えていないことの方が多いかも知れないが、続けていることでいろんなことを学んでる。
法話では、「知ってるつもり」。
さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし
私たちは縁に触れればどうなるか分からないという話から、「4つの殺」の話を聞かせていただく。
自殺 (じせつ)
他殺 (たせつ)
呪殺 (じゅせつ)
方便殺 (ほうべんせつ)
それに「歓喜殺(かんぎせつ)」というのを加えて、「五殺」というそうだ。
これは戒律の経典『梵網経』に由来するそうで、「自殺」とは、自分のいのちを自ら断つことだけではなく、不摂生によって自分の命を無駄にするような生き方も「自殺」。
「他殺」とは、他の命を奪うことであるが、私たちは知らず知らず虫を踏み殺していたりすることもある。
「呪殺」とは、「あの人さえいなければ・・・」と、こころに思うこともある意味「呪殺」。
「方便殺」とは、手だてとして間接的に命を奪っていることもある。薬を飲むことも、その開発にはネズミなど無数の命がそこで失われていることも。
「歓喜殺」とは、殺されたことによろこびを感じていることを表している。
仏教では、不殺生戒を説くが、こんなことを聞いていると、すべてどこかでしてしまっているような気も。
自分だけは大丈夫と思っているような私が、ただの「つもり」になっていたことに気づかされるのが法事の場という話を聞かせていただいた。